聖書預言の役割(2)終末預言は何のために与えられているのか

聖書預言

クリスチャンコモンズでは、聖書預言の役割を重視しています。聖書預言全般の重要性については、前回の記事「聖書預言の役割(1)預言は何のために与えられているのか」で解説しましたので、今回は聖書預言の中でも終末預言の役割に絞って解説します。

キリスト教内にある終末預言を学ぶことに否定的な意見

キリスト教界の中では、聖書預言、特に終末預言を学ぶことに否定的な意見が根強くあります。たとえば、全世界で5000万部以上印刷された『Purpose Driven Life(人生を導く5つの目的)』の著者、リック・ウォレン牧師は次のように語っています。

弟子たちが預言について話してほしいと言うと、イエスはすぐに話題を変えて、伝道について話し始めました。この世での使命に集中してほしかったのです。要するに、「わたしの再臨に関する詳細は、あなた方には関係ない。あなた方が気にかけるべきことは、わたしがあなた方に与えた使命です。それに集中しなさい!」ということです。もしイエスに早く再臨してほしいと思うなら、預言を読み解こうとするのではなく、自分の使命を果たすことに集中してください。
― Rick Warren, Purpose Driven Life (Zondervan, 2002), p.285-86.

When the disciples wanted to talk about prophecy, Jesus quickly switched the conversation to evangelism. He wanted them to concentrate on their mission in the world. He said in essence, “The details of my return are none of your business. What is your business is the mission I have given you. Focus on that!” If you want Jesus to come back sooner, focus on fulfilling your mission, not figuring out prophecy.

言いたいこともわからないではないですが、聖書は別のことを語っています。ウォレンはマタイ24~25章の「オリーブ山の説教」に言及していると思われますが、オリーブ山の説教は実際には以下のような内容になっています。

まずマタイ24:3で、イエスと弟子たちの会話が始まります。

3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか」

いつイエスが再臨して、今の世界が終わるのかというのは、終末預言のメインテーマです。この弟子の質問に対し、イエスは話題を変えることもなく、そのようなことは気にしないで伝道しなさいと言うわけでもなく、再臨が近付いているしるしについてすぐに語り始めています(マタイ24:4~31)。たとえば、マタイ24:7~11では、次のようなしるしが現れると語っています。

7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。 8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。 9 そのとき、人々はあなたがたを苦しみにあわせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。 10 そのとき多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合います。 11 また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。 12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。……

そして、再臨のしるしを一通り語り終えると、イエスは次のように警告しています(マタイ24:32~33)。

32 いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。 33 同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。

ここでイエスは、しるしを見分けて「人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい」と明確に命じています。つまり、イエスは「わたしの再臨に関する詳細は、あなた方には関係ない」とは決して言っておられないし、むしろご自分が戻ってくるしるしを見逃さないようにと教えておられます。

ウォレンの影響かどうかはわかりませんが、聖書を誤りない神のことばと信じる福音派の教会でも、近年では終末預言を教えることは少なくなっているように思います。終末論は、携挙の時期に関する議論(患難期の前か後か、それとも患難期中か)や、キリストの地上再臨の時期に関する議論(千年王国の前か後か、それとも千年王国はないと考えるか)で、さまざまな立場があることも一因であると思います。特定の終末論を語ることで、分裂を起こしたくないという考えがあるのかもしれません。

再臨への期待が薄まる現在のキリスト教

米国では、福音派の『Christianity Today』誌が「なぜクリスチャンはイエスの再臨について語らなくなったのか」というタイトルの記事を2020年12月に掲載し、次のように記しています。

 イエスの再臨という教理は、伝統的にキリスト教神学の主要な教理だった。それは宣教の原動力であり、苦しみの中にいるクリスチャンにとって希望の源であり、キリスト教の礼拝の枠組みとなるものだった。
特にアメリカの福音派は、イエスの再臨に関する議論で形成されてきた。終末論的な期待は、100年以上前に、初期の根本主義(ファンダメンタリスト)運動を形成する力となった。ベビーブーマー世代の福音派は、70年代のハル・リンゼイの『地球最後の日』から90年代の『レフト・ビハインド』まで、終末時代に特に焦点を当ててきた。
しかし、最近では再臨について耳にすることがますます少なくなっているように思う。
― Morgan Lee, “Why Christians Stopped Talking About Jesus’ Second Coming,” Christianity Today, 2 Dec 2020

The doctrine of Jesus’ Second Coming has traditionally been a major focus of Christian theology: it has been a driving force for missions, it was a source of hope for suffering Christians, it helped to frame Christian worship.
American evangelicals in particular have been shaped by discussion of Jesus’ return—apocalyptic expectation helped to shape the early fundamentalist movement more than 100 years ago. Baby Boomer evangelicalism has been especially focused on the End Times, from Hal Lindsey’s Late Great Planet Earth of the 70’s to the Left Behind novels of the 90’s.
But it seems increasingly rare to us to hear about the Second Coming these days.

ウィートン大学のヴィンセント・バコート教授は、同記事の中で、再臨への関心が薄れている最大の原因として、ミレニアル世代とX世代が今の社会や文化への関わりを重視して、再臨や終末預言を重視しなくなっているという見方を示しています。ミレニアル世代とX世代とは、現時点(2023年)で言うと40代くらいまでの世代を指します。終末論については、年配者は関心度が高いが、若者世代は関心度が低いという世代間ギャップがあるという見立てです。そうなると、この先、世代交代が進むにつれて、再臨への関心が薄くなっていくことが予想されます。

再臨への関心が失われつつあることの意味

現在、再臨や終末預言への関心が失われつつあるのは、さまざまな原因があるでしょう。携挙の日付を特定し、信者と社会を混乱させるだけで終わった多数の事例があることも一因なのかもしれません。また、教会では主の再臨に備えよとずっと教えられてきたにもかかわらず、キリストの昇天から二千年が経った今も、再臨がまだ起こっていないことも原因として考えられます。しかし、再臨信仰が衰退することは、すでに預言されていたことでもあります。使徒ペテロは、2ペテロ3:3~4で終末時代について次のように預言しています。

3  まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、 4  こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」 

ここでは、再臨への関心を失って「彼(キリスト)の来臨の約束はどこにあるのか」と言う世代が、終末時代に現れると預言されています。再臨信仰の衰退は、再臨が近付いていることを逆説的に証明しています。

再臨に関する教えの重要性

聖書では、キリストの再臨は最重要テーマの一つです。イエス・キリストご自身も、新約聖書の中でご自分の再臨について21回言及し、再臨に備えるようにと50回以上警告しています1

グレース・コミュニティ教会のジョン・マッカーサー牧師は、次のように語っています。

 将来に関する預言は聖書の5分の1を占めると言われている。その5分の1の預言のうち、3分の1はイエス・キリストの再臨に関するものである。一般的な預言は660以上あり、キリストに関する預言は333、キリストの初臨で成就した預言は109、キリストの再臨で成就する預言は224ある。つまり、聖書はキリストの再臨について多くのことを語っている。
旧約聖書の46人の預言者のうち、キリストの初臨について語っている預言者は10人に満たないが、キリストの再臨については36人が語っている。イエス・キリストの再臨について何らかの形で言及している旧約聖書の箇所は1,500箇所以上ある。新約聖書の25節に1節はイエス・キリストの再臨に直接言及している。聖書でキリストの初臨に言及している箇所と再臨に言及している箇所の比率は1:8である。
― “The Certainty of the Second Coming,” Grace to You, 24 Nov 1991 (https://www.gty.org/library/sermons-library/66-3/the-certainty-of-the-second-coming)

It is said that prophecy or future prediction takes up one-fifth of the Scripture. Of that one-fifth of the Scripture that speaks of future prophecy, one-third of that refers to the second coming of Jesus Christ. Some have calculated that there are over 660 general prophecies, 333 about Christ, 109 fulfilled at His first coming, 224 at His second coming. So the Bible has much to say about His second coming.
Of the 46 Old Testament prophets, less than 10 of them speak of His first coming; 36 of them speak of His second coming. There are over 1,500 Old Testament passages that refer in some way to the second coming of Jesus Christ. One out of every 25 New Testament verses directly refers to the second coming of Jesus Christ. For every time the Bible mentions the first coming of Christ, it mentions the second coming 8 times.

マッカーサーの挙げる数字を見ると、キリストの初臨の預言よりも再臨の預言の方が圧倒的に多いことがわかります。言及されている聖書箇所の数を見る限り、聖書ではキリストの初臨以上に再臨が重視されていると言うことができます。キリストの再臨は、終末預言の中心テーマです。そのため、終末預言は聖書で重要な役割を担っていることがわかります。

終末預言の役割とは

終末預言の役割は、ただ未来の出来事を前もって示すことではありません。それだけでは、預言が実現しないまま死んでいく世代の人々には何のメリットもないことになります。終末預言の役割は、今生きている人々の信仰生活を変革することにあります。

1.再臨に備える

終末預言の役割として聖書が明確に語っていることの一つは、キリストの再臨に人々を備えさせることです。

新約聖書では、再臨について語った後に「目を覚ましていなさい」と語り、再臨に備えておくように警告する聖句が数多くあります(マタイ24:42~44、マタイ25:1~13、マルコ13:28~29、ローマ13:11~12、1テサロニケ5:1~6、黙示録16:15)。

たとえば、1テサロニケ5:1~6では次のように言われています。

1  兄弟たち。その時と時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。 2  主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。 3  人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません。 
4  しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。 5  あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。私たちは夜の者、闇の者ではありません。 6  ですから、ほかの者たちのように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。 

ここで「主の日」とは、キリストが再臨する直前の7年間である大患難時代を指します。未信者にとっては、大患難時代は突然やってくるものです。しかし、信者にとってはそうであってはなりません。イエスは明確に、ご自分の再臨に備えるように信者に命じています。

2.聖化を進める

終末預言が持っている役割の一つは、信者の聖化を進めることです。この点について、ドワイト・ペンテコスト博士は次のように語っています。

少し前のことだが、新約聖書全体で、主イエス・キリストの再臨に関する記述に一つひとつ印をつけ、キリストの再臨に関する教えがどのように使われているかを確認する機会があった。新約聖書の中でキリストの再臨が言及されるとき、ほぼ例外なく、その後に敬虔と聖い生活への勧めが続くという事実に、私はあらためて驚かされた。
― J. Dwight Pentecost, Prophecy For Today, Page 20

A short time ago, I took occasion to go through the New Testament to mark each reference to the coming of the Lord Jesus Christ and to observe the use made of that teaching about His coming. I was struck anew with the fact that almost without exception, when the coming of Christ is mentioned in the New Testament, it is followed by an exhortation to godliness and holy living.

人は、自分が持っている終末論によって生き方が変わります。自分のゴールがどこかを知ることで、現在の歩みが変わってくるからです。この前提に立って、使徒ヨハネは1ヨハネ3:2~3で次のように語っています。

2  愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。 
3  キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。 

いつかキリストと顔と顔を合わせてお会いするという希望を抱いている人は、キリストに似た者になっていくというのが、ヨハネのメッセージです。

また、2ペテロ3:10~11でも、次のように言われています。

10  しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。 
11  このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。 

「主の日」とは大患難時代を指します。このペテロの言葉は、日々の生き方を吟味するよう私たちに迫ってきます。

MEMO
ここで一つ注意が必要なのは、ここでペテロは信者の生活次第では「一度救われても救いを失うことがある」と教えているわけではないという点です。ここでは、救いを失うことについては何も言われていません。聖化と義認の問題を混同しないようにする必要があります。

新約聖書には、ほかにもキリストの再臨と聖化が結びつけられている聖句が数多くあります(ピリピ4:5、ヤコブ5:8~9、黙示録1:3など)。

3.宣教を進める

終末預言の役割のもう一つは、宣教を進めることです。小説『レフト・ビハインド』の著者として知られるティム・ラヘイは、次のように語っています。

教会史の中で最も伝道熱心だった時代は、教会が預言を学んでいた時代である。テサロニケの教会は、パウロが預言の真理を教えた生まれて間もない教会であったが、伝道熱心な教会だった。初代教会全体もそうだった。主が「わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます」(ヨハネ14:3)と言われた時から、初代教会ではほぼ3世紀にわたって、宣教の火が保たれていた。確かに迫害を受けていた教会であったが、迫害を受けた理由の一部は、主の再臨が近いという教えが強調されたことで宣教の火が灯されたからであった。
… 19世紀には、預言の研究、すなわち終末論の研究が再発見された。近代教会時代という、最も宣教と伝道を重視する教会が生まれたのも、この時期だった。20世紀を通して、最も伝道的で、宣教に熱心な教会のいくつかは、預言を教える教会、特に主の再臨が近いという預言を教える教会だった。
― Tim LaHay, Bible Prophecy for Everyone (Harvest House Publishers, 2009), p.18

The most evangelistic periods of church history have been times when the church studied prophecy. The church at Thessalonica, an infant church to which Paul taught the truths of prophecy, was an evangelistic church. So also was the early church as a whole. From the time that our Lord said, “I will come again and receive you unto Myself” (John 14:3), the early church had an evangelistic fire that lasted almost three centuries. True, it was a persecuted church, but part of the reason it was persecuted was because of its evangelistic fire that was due in part to the emphasis given to teachings about our Lord’s soon return.
… In the nineteenth century came the rediscovery of the study of prophecy, or the study of last things. It was during this period that the greatest missionary and evangelistic emphasis of the modern church era was born. Throughout the twentieth century some of the most evangelistic and missionary-minded churches were those that taught prophecy, especially the prophecies of our Lord’s soon return.

また、前回の記事「聖書預言の役割(1)預言は何のために与えられているのか」で示したように、預言は効果的な伝道ツールとなります。使徒8:26~39で、エチオピアの宦官にイザヤ53章の預言を通して伝道したピリポのように、預言を使って福音を語ることができます。

4.希望を与える

終末預言が持っている重要なもう一つの役割は、希望を与えることです。使徒ペテロは、2ペテロ1:19で次のように語っています。

19  また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。 

預言が「暗い所を照らすともしび」となるのは、この世界は「夜」が来て「暗い所」となるためです。マタイ24~25章の「オリーブ山の説教」でイエスが語っておられるように、キリストの再臨が近付くにつれて、厳しい時代になることが預言されています。マタイ24:21で次のように言われているとおりです。

21  そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。 

この点について、シェーファー神学校校長のアンディ・ウッズ博士は次のように語っています。

これからわが国と世界に起ころうとしていることはあまりにも厳しいので、希望が残されているのは預言を学ぶ者だけという状況になるでしょう。もし預言に根ざしていないなら、今の社会の悲観的な文化に押し流されてしまいます。私たちのあらゆる自由が奪われようとしているからです。…そのような時に、預言は暗い所を照らすともしびとなるのです。
― Andy Woods, “PPOV Episode no. 158. The Practicality of Predictive Bible Prophecy. Drs. Andy Woods & Jim McGowan

The events that are coming upon our country and the world are going to be so severe that the only people that are going to have any hope left are students of prophecy. If you’re not rooted in prophecy, you’re just going to be swept away into the pessimism of the culture because all of our freedoms are about to be taken away… and prophecy is there to function as a lamp shining in a dark place.

今は大患難時代ではありませんが、大患難時代が近付いているという兆候が少しずつ現れ始めています(聖書ニュース.com参照)。そのような時代に希望を与えてくれるのが、聖書の預言です。あらかじめどのようなことが起こるかが預言されているので、どのような状況でも右往左往することなく、神がすべてを支配しておられると神に信頼することができるからです。

また、聖書には厳しい大患難時代の預言だけではなく、信者に希望を与える素晴らしい預言も記されています。次の1テサロニケ4:15~17には、携挙の預言と約束が与えられています。

15  私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。 16  すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、 17  それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

このような約束があるので、パウロは次のように教えているのです(テトス2:13)。

13  祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。 

聖書預言は、どのような時代にあっても希望を持って生きるための秘訣です。また、聖書預言を信じる人は、預言を通して受け取った希望を、希望を失っている人々に分け与えることができます。

まとめ

聖書では、終末預言は以下のような重要な役割を担っています。

  1. 再臨に備える
  2. 聖化を進める
  3. 宣教を進める
  4. 希望を与える

そのため、聖書の終末預言を学ばないこと、教えないことは、個人にとっても、教会にとっても大きな損失です。

参考資料

  1. “The Certainty of the Second Coming,” Grace to You, 24 Nov 1991 (https://www.gty.org/library/sermons-library/66-3/the-certainty-of-the-second-coming)

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