終末時代に生きるクリスチャンの役割(1)時代を見分ける

終末論

終末時代に生きるクリスチャンの役割(1)時代を見分ける

米国成人の約10人に4人が、人類は今「終末時代に生きている」と回答

米国の世論調査機関「ピュー・リサーチセンター」によると、米国では成人の39%が「人類は今、終末時代に生きていると信じている」と回答しています。この2022年に出された調査報告書では、次のように言われています。

コロナウィルスが大流行するような大災害や不安の時代には、歴史的に、私たちが知っている世界が滅亡する時、いわゆる「終わりの時」が近いと考える人々が現れる傾向があった。このような考え方には、宗教の経典に基づく要素が含まれていることが多い。たとえばキリスト教には、大混乱の後、あるいは大混乱の最中に、イエスが地上に戻ってくるという期待がある。
― Jeff Diamant, “About four-in-ten U.S. adults believe humanity is ‘living in the end times’,” Pew Research Center, 8 Dec 2022

Periods of catastrophe and anxiety, such as the coronavirus pandemic, have historically led some people to anticipate that the destruction of the world as we know it – the “end times” – is near. This thinking often has a religious component that draws on sacred scripture. In Christianity, for example, these beliefs include expectations that Jesus will return to Earth after or amid a time of great turmoil.

ピュー・リサーチセンターは、キリスト教団体ではなく一般の調査会社で、この調査は一般の米国人を対象にしています。その調査によると、成人の約10人に4人が「終末時代に生きている」と感じているのです。日本で同じ調査を行うとどうなるのかわかりませんが、日本でも同様の感覚が、特にコロナ騒動以降は広がっているように感じます。

聖書的に今は終末時代

この感覚は、聖書的に正しいものです。後ほど説明するように、現在は聖書的にいうと「終末時代」に当たります。終末時代とは、イエス・キリストの再臨が間近に迫っている時代を指します。ただ、クリスチャンと呼ばれる人でも、今が終末時代であるという時代感覚が希薄な方が数多くいます。筆者は、この時代感覚は、終末時代を生きるクリスチャンにとって欠かせないものだと考えます。物事を見る視点が、聖書的視点からずれていく可能性があるためです。

たとえば、聖書は終末時代に起こる教会の背教について預言しています。イエス・キリストは、終末時代のしるしについて語ったマルコ13章で次のように預言しています(マルコ13:22)。

22  偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちを惑わそうと、しるしや不思議を行います。 

また、使徒パウロも、1テモテ4:1で次のように警告しています。

1  しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。 

今が終末時代(「後の時代」)であるという時代認識がないと、偽教師や偽預言者に騙され、背教の大きな流れに乗ってしまう可能性があります。この点については、背教の教会に関する終末預言の記事で取り上げる予定です。

紀元1世紀のユダヤ人の失敗

キリストの再臨が近付いている現在は、キリストの初臨があった紀元1世紀のユダヤ人社会と似ている点があります。それは「時のしるし」が与えられているという点です。当時のユダヤ人、特にユダヤ人指導者に対して、イエスはマタイ16:1~3で次のように語っています。

1 パリサイ人たちやサドカイ人たちが、イエスを試そうと近づいて来て、天からのしるしを見せてほしいと求めた。 2 イエスは彼らに答えられた。『夕方になると、あなたがたは「夕焼けだから晴れる」と言い、 3 朝には「朝焼けでどんよりしているから、今日は荒れ模様だ」と言います。空模様を見分けることを知っていながら、時のしるしを見分けることはできないのですか。

イエスと同時代を生きた紀元1世紀のユダヤ人の大半は、「時のしるし」を見誤ったために、イエスをメシア(救い主)として受け入れませんでした。ユダヤ人の指導者(パリサイ人やサドカイ人)の大多数が、メシアを指し示す「メシア預言」がイエスによって成就していたにもかかわらず、その「時のしるし」を受け入れなかったためです。ユダヤ人の指導者は、時のしるしを見分けなかったために、自分が救われる機会も、自分の周りのユダヤ人が救われる機会も失ってしまいました。そのため、イエスから「時のしるしを見分けることはできないのですか」という叱責を受けたのです。

現代に生きるクリスチャンも、終末時代のしるしを見分けないのなら、紀元1世紀のユダヤ人同様、誤った判断をしてしまう可能性があります。

終末時代を見分ける必要性

初臨と同じく、キリストの再臨が近付いている今も「時のしるし」が与えられています。イエスは、マタイ24:4~31で再臨が近いことを示すしるしについて語った後、マタイ24:32~33で次のように語っています。

32  いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。 33  同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。 

聖書には、初臨の時と似ていて、再臨に関するさまざまなしるしが与えられています。クリスチャンは、このしるしを理解し、現実世界に現れている現象を見分ける必要があります。

1.終末時代のしるし

紀元1世紀のユダヤ人が犯した間違いを犯さないためには、今が終末時代であることを聖書的に認識する必要があります。今が終末時代であると認識すると、聖書が語る終末預言に耳を傾け、社会や自分に適用して考えることができるようになります。

終末時代に入っているかどうかを見分けるしるしは、マタイ24~25章、マルコ13章、ルカ21章に記されている「オリーブ山の説教」で教えられています。マタイ24:3で、弟子たちは終末時代のしるしについて、イエスに次のように質問しています。

3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」

この答えとして、イエスは次のように語っています。

7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。 8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。

ここでイエスが語っている以下の「終わりの時のしるし」はすでに現れています。

  • 世界大戦が起こる(第一次、第二次世界大戦)
  • 各地で地震、飢饉、疫病が起こる(第一次世界大戦頃から急増)

そのため、今はすでに終末時代に入っていると言うことができます。

そのほか、1948年のイスラエル建国、1967年のイスラエルによるエルサレムの支配権の確立も、終末時代であることを示すしるしの一つです。

MEMO
今が終末時代に入っていることの詳しい説明は「聖書が預言するこれからの世界(1)今はどういう時代か」をご覧ください。
また、聖書預言に関連するニュースを聖書ニュース.comで配信しています。

2.終末時代の2つの意味

聖書的に今が終末時代であることはわかりました。ただ、クリスチャンの中でも、今が終末時代だということを重視しない人々や、終末時代という概念自体を否定的にとらえる人々がいます。

終末時代を重視しない人々

ある人々は、今が終末時代であることは認めますが、さほど重要なことではないと語ります。「終末時代はキリストが地上に来られた時にすでに始まっており、もう二千年間続いている。そのため、特に意識する必要はない」という立場です。この人々は、その主張の根拠として、次の1ヨハネ2:18などの聖書箇所を引用します。

18  幼子たち、今は終わりの時です。反キリストが来るとあなたがたが聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。それによって、今が終わりの時であると分かります。 

ここで使徒ヨハネは明確に「今は終わりの時です」と語っています。ここは現在形で語られていて、ヨハネが生きていた時代から、終わりの時(終末時代)がすでに始まっているという認識が示されています。また、1ペテロ1:20でも、次のように言われています。

20  キリストは、世界の基が据えられる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために現れてくださいました。 

「この終わりの時に…現れてくださいました」という言葉から、この手紙を書いていた時点でペテロは終末時代がすでに始まっているという認識を持っていたことがわかります。

また、ヘブル1:2、1ペテロ4:7などでも、初代教会の時代にすでに終末時代が始まっているという認識が示されています。

現在形で語られている終末時代と未来形で語られている終末時代

ここで注意が必要なのは、新約聖書では「現在形で語られている終末時代」と「未来形で語られている終末時代」の2つがあることです。「終わりの時」という言葉が未来形で語られている聖書箇所の例は、2テモテ3:1に見ることができます。

1  終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。 

ここで「終わりの日には困難な時代が来る」は、英語では「in the last days difficult times will come」(NASB)と未来形(will)で訳されています。

また、1ペテロ1:5でも、次のように言われています。

5  あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりの時に現されるように用意されている救いをいただくのです。

ここで「終わりの時に現される」は英語訳は「ready to be revealed in the last time」(NASB)となっており、未来の時点のことを指しています。

ほかにも、ユダ18、2ペテロ3:3~4などでも、「終わりの時」が未来形で語られています。

もちろん、先ほど見たマタイ24:3の「あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか」という質問も、未来形で語られています(「when will these things be」)。

以上のことから、聖書では現在形で語られている終末時代と、未来形で語られている終末時代という、2つの終末時代が記されていることがわかります。それぞれの意味は以下の通りです。

  • 現在形で語られている終末時代:「キリストの初臨から再臨までの期間全体」
  • 未来形で語られている終末時代:「キリストの再臨の直前の時代」

これを「広義の終末時代」と「狭義の終末時代」と呼ぶこともできます。ここでは、終末時代という言葉を基本的に狭義の「キリストの再臨の直前の時代」という意味で使用しています。

MEMO
歴史に「もし」はありませんが、もしキリストの再臨が初臨から近い時代に実現していれば、両者の意味はほとんど同義になります。初臨から二千年が経った今も再臨が実現していないのは、ひとえに神の恵みのゆえです。2ペテロ3:9に次のように記されているとおりです。

9  主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。 

これは旧新約聖書で一貫した神のご性質です。ノアの時代の人々に対して、神は洪水によるさばきを120年待たれました(創世記6:3)。カナンの地に住む人々(アモリ人)に対して、神はイスラエルの民を用いてさばきを下すまで400年待たれました(創世記15:13、16)。大患難時代によるさばきを2000年待つことは、神のご性質を考えると不思議なことではありません。しかし、それが永遠に続くこともありません。いつか、聖書で預言されているとおりに神のさばきの時、大患難時代が来ます。その日が来るまでに、神の怒りを受ける前に神との和解を勧め、福音を伝えるのがクリスチャンの役割です。

3.終末時代を生きる上での3つの注意点

終末時代に生きるクリスチャンは、以下の3つの点に注意する必要があります。

(1)携挙はいつでも起こりうる

終末時代について理解しておく必要がある第一の点は、「携挙はいつでも起こりうる」ということです。

キリストの再臨については前提条件がいくつかあり、その前提条件が成立しないと起こりません。ただ、携挙については、現在そのような前提条件はありません。そのため、携挙は今日にも起こる可能性があります。

MEMO
「携挙はいつでも起こりうる」という点について、詳しくは「患難期前携挙説の根拠(5)いつでも起こる可能性がある(Imminency)」を参照してください。

(2)携挙や再臨の日付を設定してはいけない

第二に、携挙はいつでも起こる可能性がありますが、いつ起こるかはわかりません。それは、イエス・キリストが、マルコ13:32~33で次のように語っておられるからです。

32  ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。父だけが知っておられます。 33  気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。 

ただ、イエスの警告に反して、過去に携挙や再臨の日付や年を設定して失敗した例が数多くあります。この点については末尾の付録で論じます。

(3)再臨が起こる「季節」はわかる

携挙や再臨が起こる正確な日付はわかりません。ただ、再臨が起こる「季節」はわかります。ここでいう季節とは、おおまかな時期、時代のことです。先ほども引用したマタイ24:32~33で、次のように言われているためです。

32  いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。 33  同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。 

マタイ24:4~31の再臨が近いことを示すしるしが現れているのなら、再臨が近い「季節」に入っていることがわかります。また、再臨が近付いているのであれば、携挙も近いことがわかります。携挙は再臨の前に起こるので、再臨が近付けば近付くほど、携挙が起こる可能性のある時間の枠が狭まってくるためです。

MEMO
携挙が再臨の前に起こると主張する「患難期前携挙説」の聖書的根拠については、「患難期前携挙説の根拠(1)~(7)(https://biblical.jp/category/bible-study/rapture/)」を参照してください。

まとめ

今は終末時代です。この時代感覚は、さまざまな事象を見分けるために必要となります。

冒頭で、米国の成人の約4割が、人類は今、終末時代を生きているという感覚を持っているという調査報告を紹介しました。この時代感覚は聖書的に正しいものです。しかし、クリスチャンの側が時代を見分けていないと、聖書の預言を通して福音を語るせっかくのチャンスを逃してしまう可能性があります。

時々、クリスチャンよりも未信者の方が、聖書的な時代感覚を持っていると感じることがあります。先日、内科医に持病の喘息を診察してもらっている時に、世界経済フォーラム(WEF)を話題に出したことがありました。そうすると、その医師は、世界が世界統一政府に向かって動いていること、今後世界の政治がイスラエルを中心に回り出すこと、さらにはエルサレムに第三神殿が建つということまで話し出して、驚いたことがあります。この医師はクリスチャンではありません。この時、希望はキリストにしかないことをお伝えしましたが、もし私が終末預言に関連付けて世界情勢を理解していなかったら、もし終末預言を知らずに医師の言うことを「陰謀論」として片づけてしまっていたら、キリストにある希望についての話にもつながらなかったでしょう。いつもこういう話をしているわけではありませんが、関心がある方に話せば、少なくともこちらの話に耳を傾けてもらうことができます。この点については、別の記事で詳しく取り上げたいと思います。

付録:携挙や再臨の年や日を設定した失敗例

イエスは、再臨が近いことを示すしるしについて語った後、携挙や再臨の日付を特定することを戒めて次のように語られました(マルコ13:32~33)。

32  ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。父だけが知っておられます。 33  気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。 

しかし、このイエスの警告を無視し、携挙や再臨の年や日を設定して失敗した例が数多くあります。そのような例を以下にいくつか紹介し、教訓としたいと思います。

異端の失敗例

過去に携挙や再臨の時期を予測した異端として有名なのが、エホバの証人です。ものみの塔協会の二代目会長のJ・F・ラザフォードは、1920年に出版された著作で次のように語っています。

…その他の聖句は、アブラハム、イサク、ヤコブなど、古き時代の忠実な人々の復活があり、これらの人々が第一の恩恵を受けるという事実を確実に定めている。1925年に、こうしたイスラエルの忠実な人々が死から復活し、完全な人間として生き返り、地上の新しい秩序の正当な代表者として姿を現すのを私たちが目撃することになると期待してもよい。
― J.F. Rutherford, Millions Now Living Will Never Die (International Bible Students Association, 1920), p.88

… since other Scriptures definitely fix the fact that there will be a resurrection of Abraham, Isaac, Jacob and other faithful ones of old, and that these will have the first favor, we may expect 1925 to witness the return of these faithful men of Israel from the condition of death, being resurrected and fully restored to perfect humanity and made the visible, legal representatives of the new order of things on earth.

ラザフォードは、旧約時代の聖徒が復活し、地上に神の国が樹立されることを預言しましたが、もちろん成就しませんでした。さらに驚くことは、この預言は、エホバの証人の創始者ラッセルが「1914年にキリストが再臨し、世界が終わる」と預言して失敗していた後に行われたという点です。

福音派の失敗例

ただ、こうした失敗は異端だけのものではなく、福音派の中でも起こっています。

福音派の牧師ハル・リンゼイは、1970年代に『The Late Great Planet Earth』(Zondervan、1970年)という著書で、再臨の時期を特定できるような聖書解釈を教えました。この書籍は、日本語でも『地球最後の日』(いのちのことば社、昭和48年)というタイトルで出版されています。WikiPediaは、リンゼイの主張について次のように記しています。

リンゼイは、将来の出来事の日付を確実に知っているとは主張しなかったが、マタイの福音書24:32~34が、イエスの再臨はイスラエル国家の再生とユダヤ神殿の再建から「一世代」以内である可能性を示唆しているとし、「聖書では」一世代は40年であると主張した。一部の読者はこれを、大患難時代や携挙が遅くとも1988年までには起こることを示すものとして受け止めた。
― Wikipedia, “The Late Great Planet Earth

Although Lindsey did not claim to know the dates of future events with any certainty, he suggested that Matthew 24:32-34 indicated that Jesus’ return might be within “one generation” of the rebirth of the state of Israel, and the rebuilding of the Jewish Temple, and Lindsey asserted that “in the Bible” one generation is forty years. Some readers accepted this as an indication that the Tribulation or the Rapture would occur no later than 1988.

リンゼイは異端ではなく、影響力のある福音派の牧師でしたが、聖書の一部の解釈を誤り、誤った予測を立てました。これは私たちも教訓にすべき事例であると思います。

MEMO
かくいう筆者も、リンゼイの解釈に影響された宣教師の教会に通っていました。ある日の礼拝で宣教師がリンゼイの解釈に基づくメッセージを語り、携挙が2007年までに起こると教えたことがありました。2000年代の前半のことだったと思います。このメッセージはリンゼイとは異なり、エルサレム全市がイスラエルに帰属した1967年を起点としていました。そのため、「1967 + 40」で2007年までに携挙があると教えられました。
当時、教会に仏教の僧侶が通っていたのですが、そのメッセージを聞いて以降、教会に来なくなりました。その日、筆者がその僧侶と話すと、過去に携挙や再臨の年を予告して失敗した偽教師のことに触れ、問題を指摘して立ち去られました。

本文でも一部引用しましたが、問題のマタイ24:32~34は次のような内容になっています。

32  いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。 33  同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。 34  まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。 

ここでは「時代」と訳されていますが、原語のギリシャ語は「世代(generation)」とも訳せる言葉です。この箇所の間違った解釈について、ユダヤ人神学者のアーノルド・フルクテンバウム博士は、WikiPediaの解説よりも少し詳しく次のように語っています。

20世紀に、このたとえ話を解釈して、(携挙や再臨の)日付を特定するために使われた論理は次のようなものだった。いちじくの木は、イスラエルが1948年に建国されたことを示している。さらに、世代という言葉は40年を意味する。イエスは、「これらのことがすべて起こるまでは、この時代(世代)が過ぎ去ることは決してありません」と言われた(マタイ24:34、マルコ13:30、ルカ21:32)。そのため、この説によれば、再臨は1988年ということになる。大患難時代の7年間を差し引くと、携挙は1981年に起こることになる。言うまでもないが、この論理は間違っていた。
― Arnold G. Fruchtenbaum, Yeshua: The Life of Messiah from a Messianic Jewish Perspective Vol. 3 (Ariel Ministries, 2017) Kindle版

During the twentieth century, the logic used in interpreting the parable to identify the date went something like this: The fig tree represents Israel becoming a state in 1948. Furthermore, the term generation must mean forty years. Yeshua said, This generation shall not pass away, until all these things be accomplished (Mt. 24: 34; Mk. 13: 30; Lk. 21: 32), so according to this theory, the second coming would be in 1988. By subtracting seven years for the tribulation, the rapture would occur in 1981. Obviously, such logic failed.

リンゼイのような聖書解釈は、今も一定の影響力を持っています。「世代」の年数を40年とせず、もっと長い年数を設定するなど、同様の解釈をする教師は今も存在します。たとえば、創世記15:13、16など、世代を100年と解釈している箇所もあります。その場合、2048年までに再臨があると教えることができてしまいます。しかし、このような解釈はいくつもの問題を抱えています。

マタイ24:32~34の解釈

それでは、マタイ24:32~34はどう解釈すればよいのでしょうか。

第一に、いちじくの木は1948年のイスラエルの建国を指しているという解釈には無理があります。マタイ24:32~34の並行箇所であるルカ21:29~31では、次のように言われているためです。

29  それからイエスは、人々にたとえを話された。「いちじくの木や、すべての木を見なさい。 30  木の芽が出ると、それを見て、すでに夏が近いことが、おのずから分かります。 31  同じように、これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは神の国が近いことを知りなさい。 

もしいちじくの木がイスラエルの建国を指しているのであれば、「すべての木」とは何を指しているのでしょうか。この点に関する説明を聞いたことがありません。また、イスラエルはぶどうの木でたとえられることが多いですが、いちじくの木は一般的ではありません。普通に解釈すると、マタイ24:4~31で語られている再臨のしるし全体について語っていると考えるのが自然です。

第二に、このいちじくの木のたとえを使って携挙や再臨の日付を特定することは、文脈に反します。このたとえは、携挙や再臨の日時は誰も知らないとイエスが語ったオリーブ山の説教の中で語られているためです(マタイ24:33、マルコ13:29、ルカ21:31参照)。いちじくの木のたとえは、イエスの文脈に沿って解釈する必要があります。

第三に、このたとえで言われている「世代」とは、イスラエルの建国とは関係がありません。この直前の文脈は、次のマタイ24:14から始まっています。

15  それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ── 

ここでは、大患難時代の中間期に反キリストがエルサレムの神殿で神性宣言をすることを預言したダニエル書が引用されています。つまり、この箇所は、反キリストが神殿に立っているのを見た人たちに向けて語っている言葉であり、「世代」とは、この時代の人々のことを指します。「これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません」とは、反キリストが神殿に立っているのを見た世代が生きている間に、キリストが再臨するという意味となります。

参考資料

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