モーセの律法とキリストの律法では何が違うのですか(1)土台となる契約の約束

ヘブル語聖書

前々回の記事「モーセの律法は今も有効か」では、クリスチャンが従う必要があるのはモーセの律法ではなくキリストの律法であることを明らかにしました。そして、前回の記事「キリストの律法とは」では、「新しい戒め」(ヨハネ13:34~35)を中心にキリストの律法とは何かを明らかにしました。

それでは、モーセの律法とキリストの律法は実際に何が違うのでしょうか。

キリストの律法には、モーセの律法と同様の命令が含まれています。十戒の命令のうち9つは、キリストの律法でも同様の命令が見つかります(安息日規定はない)。そのため、キリストの律法はモーセの律法の道徳法の部分に当たり、モーセの律法の一部だという主張もあります。

しかし、モーセの律法がすでに廃棄されたことは、前々回の記事で解説したとおりです。モーセの律法とキリストの律法は別のものです。たとえば、日本と英国の交通法では、どちらも左側通行で、右折車は直進車を優先し、横断歩道では歩行者を優先するといったルールを定めています。しかし、共通する命令があるからといって、日本の交通法も英国の交通法も同じだということにはなりません。両者は別の法体系に属する別の法律です。

また、実質的にも、モーセの律法とキリストの律法には大きな違いがあります。十戒の9つの命令のように重なる命令もありますが、両者はまったく異なる性質を持つものです。その違いの源は、土台となる契約の違いに求めることができます。

土台となる契約の違い

モーセの律法は、シナイ山で与えられた「モーセ契約」で導入された律法です(出エジプト24:7~11)。一方、キリストの律法は、旧約聖書で預言され(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~27など)、最後の晩餐で締結された後、キリストの死によって有効となった「新しい契約」で導入された律法です(ルカ22:20、1コリント11:25、ヘブル13:20)。そのため、モーセの律法はモーセ契約が土台、キリストの律法は新しい契約が土台となっています。

モーセ契約は条件付き契約であり、新しい契約は無条件契約です。つまり、モーセの律法は「あなたが従うなら、~する」という条件付きであるのに対し、新しい契約は「わたしは~をする」という無条件の宣言になっています。また、モーセ契約はイスラエル民族に与えられた律法であるのに対し、新しい契約は異邦人にも契約の祝福にあずかる道が開かれています(記事「キリストの律法とは」の「契約の当事者」参照)。

預言者エレミヤは、モーセ契約が破られたので、新しい契約が結ばれたと語っています。エレミヤ11:10では次のように言われています。

10  彼らはわたしのことばを聞くことを拒んだ自分たちのかつての先祖の咎に戻り、彼ら自身もほかの神々に従って、これに仕えた。イスラエルの家とユダの家は、わたしが彼らの父祖たちと結んだわたしの契約を破った。 

そして、エレミヤ31:31~32では次のように宣言されています。

31  見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。 32  その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──【主】のことば──。 

新しい契約は、イスラエルの民がモーセ契約を破ったために導入された契約です。その契約は「エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約(=モーセ契約)のようではない」とも言われています。そのため、新しい契約はモーセ契約を継承したものではなく、別の契約です。

モーセ契約と新しい契約の対比

使徒パウロは、2コリント3章でモーセ契約と新しい契約を対極的なものとして対比しています。2コリント3:3、6~11、14では、次のように言われています。

3  あなたがたが、私たちの奉仕の結果としてのキリストの手紙であることは、明らかです。それは、墨によってではなく生ける神の御霊によって、石の板にではなく人の心の板に書き記されたものです。 
6  神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し御霊は生かすからです。 
石の上に刻まれた文字による、死に仕える務めさえ栄光を帯びたものであり、イスラエルの子らはモーセの顔にあった消え去る栄光のために、モーセの顔を見つめることができないほどでした。そうであれば、 8 御霊に仕える務めは、もっと栄光を帯びたものとならないでしょうか。 
罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めは、なおいっそう栄光に満ちあふれます。 10  実にこの点において、かつては栄光を受けたものが、それよりさらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているのです。 11 消え去るべきものが栄光の中にあったのなら、永続するものは、なおのこと栄光に包まれているはずです。
14  しかし、イスラエルの子らの理解は鈍くなりました。今日に至るまで、古い契約が朗読されるときには、同じ覆いが掛けられたままで、取りのけられていません。それはキリストによって取り除かれるものだからです。 

14節で「古い契約」と言われているのがモーセ契約です。このモーセ契約が、新しい契約(6節)と対比されています。この聖句で対比されているモーセ契約と新しい契約の違いを表にまとめると、以下のようになります。

  モーセ契約 新しい契約 聖書箇所
期間 消え去るべきもの 永続するもの 11節
優劣 かつては栄光を受けた……栄光のないもの さらにすぐれた栄光 10節
媒体 石の上に刻まれた文字 人の心の板に書き記された 7、3節
役割 罪に定める務め、死に仕える務め 義とする務め、御霊に仕える務め 7~9節
結果 文字は殺す 御霊は生かす 6節

この表を見ると、この2つの契約は対極的な性質を持つものであることがわかります。

まず有効期間を見ると、モーセ契約は「消え去るべきもの」と言われているのに対し、新しい契約は「永続するもの」と言われています(2コリント3:11)。そのため、モーセ契約を土台とするモーセの律法も「消え去るべきもの」です。

また、モーセ契約は「かつては栄光を受けた」が今では「栄光のないもの」になっており、新しい契約は「さらにすぐれた栄光」を受けるものとなっていると言われています(2コリント3:10)。ここでも、今ではモーセの律法が無効とされ、キリストの律法が有効となっていることがわかります。

さらに、モーセの律法は「石の上に刻まれた文字」(2コリント3:7)と呼ばれ、キリストの律法は「人の心の板に書き記された」(2コリント3:3)と言われています。「石の上に刻まれた文字」とは、モーセがシナイ山で受け取った十戒の石の板を指しています。それでは、新しい契約が「人の心の板に書き記された」とはどういう意味でしょうか。この意味を理解するには、新しい契約で与えられている約束を見ていく必要があります。

そこで、次はモーセ契約と新しい契約で与えられている約束の違いを見ていくことにしましょう。

約束の違い

モーセ契約と新しい契約では、与えられている約束が大きく異なります。この約束の違いが、モーセの律法とキリストの律法の性質上の違いを生み出しています。

モーセ契約の約束

モーセ契約では、律法を守り行う者に対するさまざまな祝福が約束されています。たとえば、レビ26:3~5には次のような約束が記されています。

3  もし、あなたがたがわたしの掟に従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、 4  わたしは時にかなってあなたがたに雨を与える。それにより地は産物を出し、畑の木々はその実を結ぶ。 5  あなたがたの麦打ちはぶどうの取り入れ時まで続き、ぶどうの取り入れは種蒔きの時まで続く。あなたがたは満ち足りるまでパンを食べ、安らかに自分たちの地に住む。 

ここでは律法を守り行う者への物理的な祝福が約束されています。

モーセ契約の約束の中でも特に重要なものは、レビ18:5で与えられている次の約束です。

5  あなたがたは、わたしの掟とわたしの定めを守りなさい。人がそれらを行うなら、それらによって生きる。わたしは【主】である。

また、エゼキエル20:10~11でも、同様の約束が語られています。

10  こうしてわたしは、エジプトの地から彼らを導き出し、荒野に導き入れ、 11  わたしの掟を彼らに与え、わたしの定めを告げ知らせた。人は、それらを行うなら、それらによって生きるからである。

この約束は、モーセの律法を守り行うことで、約束の地で幸せに生きるという物理的な祝福の約束でもありますが、霊的な約束も含まれています。この霊的な約束は、イエスが福音書で語った言葉から知ることができます。

約束の内容

ルカ10:25~28では、律法学者がイエスに次のような質問をする場面が記されています。

25  さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」 
26  イエスは彼に言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」 
27  すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」 
28  イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」 

「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という命令は、イエスが「この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっている」と言われた命令です(マタイ22:37~40)。つまり、この2つの命令はモーセの律法全体を指しています。

ここで律法学者は「何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか」(25節)と質問しています。これに対し、イエスは「それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます」(28節)と答えています。この答えの「それ」とは、文脈からモーセの律法を指しています。これは、先ほど見た「それらを行うなら、それらによって生きる」というレビ18:5の約束と同じ内容です。つまり、イエスはここで、永遠のいのちを受けるにはどうすればよいかという質問に対し、モーセの律法を守れば受けることができる、と教えています。これはレビ18:5の約束の霊的側面を明らかにした言葉です。

問題点

ただ、問題は、誰もモーセの律法を守り切ることができないということです。その点は、先ほど見たルカの箇所と同様のやり取りがされているマルコ10:17~22を読むとよくわかります。

17  イエスが道に出て行かれると、一人の人が駆け寄り、御前にひざまずいて尋ねた。「良い先生。永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。」 
18  イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。 
19  戒めはあなたも知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。だまし取ってはならない。あなたの父と母を敬え。』」 
20  その人はイエスに言った。「先生。私は少年のころから、それらすべてを守ってきました。」 
21  イエスは彼を見つめ、いつくしんで言われた。「あなたに欠けていることが一つあります。帰って、あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」 
22  すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。 

「永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか」と質問されたイエスは、モーセの律法の一部である十戒を引用し、律法を守るようにと答えています。これは「何をしたら」永遠のいのちを受けることができるかという質問に対する答えです。そこで、自分ではモーセの律法を守っていると思っていた彼は「少年のころから、それらすべてを守ってきました」と返します。しかし、イエスが語る律法の基準は、この人が考えるよりもはるかに高いものでした。イエスから律法に示された神の義の基準を示され、自分には律法の基準に達することができないことを悟って立ち去ります。これはこの人だけの問題ではなく、私たちすべての問題です。

MEMO
異端やカルト的教会では、マルコ10:17~22のような聖書箇所を使って、持っている財産をささげるように教えられることがありますが、完全な誤用です。この箇所は、モーセの律法が有効であった時代にされた「何をしたら永遠のいのちを受けることができますか」という質問に対するモーセの律法に基づいた回答です。そのため、イエスが教会時代の信者に語っている命令ではないことに注意する必要があります。

上記のルカやマルコの福音書で登場した人物の質問は、「人がそれら(律法)を行うなら、それらによって生きる」というモーセの律法の約束に沿ったものです。そして、イエスの回答も、モーセの律法の約束に沿ったものとなっています。しかし、そうしたやり取りから浮かび上がってくるのは、モーセの律法では誰も救われない(永遠のいのちを受けることができない)という事実です。そのため、パウロは律法による義について、ガラテヤ2:16で次のように語っています(ガラテヤ3:11も参照)。

16  しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。というのは、肉なる者はだれも、律法を行うことによっては義と認められないからです。 

モーセの律法では、律法を守れば永遠のいのちを受けるという約束が与えられています。しかし、原罪を持って生まれてくる人には、神の基準に従って律法を守ることはできないのです。パウロがローマ7:9~10で次のように語っているとおりです。

9  私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たとき、罪は生き、 10  私は死にました。それで、いのちに導くはずの戒めが、死に導くものであると分かりました。 

パウロはモーセの律法のことを「いのちに導くはずの戒め」と呼んでいますが、実際には「死に導く」と語っています。約束があっても、原罪を持って生まれてくる人間には、律法を守って約束を手にすることができないためです。

契約ののろい

さらに、モーセの律法では、律法に従うことへの祝福は、律法に従わないことへののろいとセットになっています。たとえば、先ほど引用したレビ26章の祝福の約束の後には、律法に従わない者に対するのろいも語られています。また、申命記27~28章では、イスラエルの部族の半分がゲリジム山、もう半分がエバル山に立ち、ゲリジム山に立った部族がモーセ契約の祝福を、エバル山に立った部族が契約ののろいを宣言するという場面が記されています。モーセの律法の性質を絵画的に理解することができる優れた視聴覚教育です。この中で、エバル山に立った部族が申命記27:26で次のように宣言しています。

26  「このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。 

また、問題は、モーセの律法では律法の一部ではなく、すべての命令を守り行うように命じられていることです。申命記28:15には次のように記されています。

15  しかし、もしあなたの神、【主】の御声に聞き従わず、私が今日あなたに命じる、主のすべての命令と掟を守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたをとらえる。 

モーセの律法は、613の命令がすべて入って一つのパッケージになっているので、1つの命令に背いだだけでも、律法全体に背いたと見なされます。ヤコブ2:10で次のように言われているとおりです。

10 律法全体を守っても、一つの点で過ちを犯すなら、その人はすべてについて責任を問われるからです。

モーセの律法について語るときはこの点をよく理解しておく必要があります。

このセクションのまとめ

モーセの律法は、律法に従うことによる永遠のいのちを約束しています。しかし、それは絵に描いた餅です。モーセの律法は「石の上に刻まれた文字」(2コリント3:7)にとどまっており、信者に律法を実行する力が約束されていないためです。そのため、律法は聖なるものですが(ローマ7:12)、人は律法を実行することができないため、祝福ではなく、のろいの下に置かれることになります。

新しい契約の約束

一方、キリストの律法の土台である新しい契約では、モーセ契約にはない約束が与えられています。新しい契約が記されたエレミヤ31:31~34には、次のような約束が記されています。

31  見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。 32  その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──【主】のことば──。 
33  これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──【主】のことば──。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 
34  彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に、『【主】を知れ』と言って教えることはない。彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになるからだ──【主】のことば──。わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」 

また、エゼキエル36:25~27でも、新しい契約の約束が次のように記されています。

25  わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよくなる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、 26  あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。 27  わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする。

上記の新しい契約の中で、すべての信者に与えられている約束が3つあります。この3つの約束について、アリエル・ミニストリーズのジョン・メッツガーは次のように語っています。

新しい契約は3つのことを教えている。(1)人の心が聖霊によって新生すること(パウロはローマ7~8章でこの点を詳しく論じている)。(2)メシアが流された血によって罪が取り除かれること(新しい契約の血は罪を覆うだけでなく、罪を取り除く)。(3)イエスを信じる一人ひとりに聖霊が内住することである。この3つの条項は、使徒が書き記した書簡のすべてのページの前提となっている。

The New Covenant teaches three things: [1] the human heart will be regenerated by the Holy Spirit (as Paul discussed in depth in Romans 7– 8); [2] the removal of sin by the blood of Messiah (that is, the blood of the New Covenant will remove sin rather than just covering it); [3] and the indwelling of the Holy Spirit in each and every believer in Yeshua. These three provisions are inherent in every page of the epistles written by the apostles.1

メッツガーは、新しい契約では(1)新生、(2)罪の赦し、(3)聖霊の内住の3つが約束されていると語っています。少し順序は違いますが、以下に(1)罪の赦し、(2)新生、(3)聖霊の内住の順で詳しく見ていきます。

罪の赦しの約束

エレミヤ31:34では、「わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ」と約束されています。また、エゼキエル36:25では「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよくなる」と言われています。モーセ契約の下では、いけにえをささげることで罪が「覆われる」ことが約束されていましたが、新しい契約の下では、罪が「赦され」、罪が「取り除かれる」ことが約束されています。この約束は、キリストが十字架上で死なれることで成就しました。コロサイ2:13~14では次のように言われています。

13  背きのうちにあり、また肉の割礼がなく、死んだ者であったあなたがたを、神はキリストとともに生かしてくださいました。私たちのすべての背きを赦し、 14  私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。 

これは新しい契約の「義とする務め」(2コリント3:9)と言われていたものに該当します。ピリピ3:9では次のようにも言われています

9  …私は律法による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。 

キリストの福音を信じたクリスチャンは、この信仰による義をすでに得ています。それに加えて、クリスチャンには次のような約束が与えられています。

新生の約束

エレミヤ31:33では、「わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す」という約束が与えられています。「律法を…ただ中に置く」という表現がわかりにくいですが、訳としては「わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす」という口語訳の方がわかりやすいです。新しい契約によって心に神の律法が記されるという約束です。2コリント3:3で「人の心の板に書き記された」と言われていたのはこのことです。

また、新しい契約に関するエゼキエル書の預言では、次のように言われています(エゼキエル36:25~26)。

25  わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよくなる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、 26  あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。 

26節は、新約聖書で言う新生体験の約束です。キリストを信じることで、心に律法が記され、かたくなな石の心ではなく、従いやすい肉の心を持った人、新しい心を持った人として新しく生まれるのです。この新生が、創世記8:21で「人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ」と言われていた人間の心の問題に対する神の解決方法でした。

聖霊の内住の約束

また、エゼキエル36:27では、「わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする」と言われています。これはヨハネ14:16~17で約束されていた聖霊の内住を意味します。三位一体の神である聖霊が信者の内に住まい、律法に従った歩みができるように導いてくださるという約束です(ローマ8:9、エペソ2:22、1コリント3:16、6:19)。ここで言われている「わたしの掟」「わたしの定め」が、キリストの律法です。

モーセの律法では、律法を守る力は信者に約束されていませんでした。しかし、新しい契約では、信者が律法を守ることができるように聖霊の内住が約束されています。そのため、新しい契約の下では、キリストの律法に従って歩むことができるように、新生と聖霊の内住という2つの約束が与えられていることになります。この点が、キリストの律法の下にある信仰生活を考える上で特に重要になります。

このセクションのまとめ

キリストの律法の土台となる新しい契約では、(1)罪の赦し、(2)新生、(3)聖霊の内住の約束が与えられています。この3つは、モーセの律法の下では与えられていなかったもので、キリストの律法にある信仰生活を考える上で重要になります。

まとめ

モーセの律法とキリストの律法では、律法の性質が大きく異なります。土台となる契約と、各契約で与えられている約束が大きく異なるためです。

2コリント3章では、モーセの律法の土台となるモーセ契約と、キリストの律法の土台となる新しい契約が対比され、違いが浮き彫りにされています。

律法は、土台となる契約の約束によって違う役割を果たすことになります。この違いが信仰生活にどのような影響があるかについては、別の記事で解説したいと思います。

参考資料

写真:Image by Darelle from Pixabay

  1. John Metzger, The Law, Then And Now: What About Grace? (Grace Acres Press, 2019) Kindle版

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