> あるメシアニックジューの疑問あるメシアニックジューの疑問
イスラエルのメシアニックジュー(イエスを信じるユダヤ人)が発行する『Israel Today』誌に、「イスラエルのメシアニックジューに預言者はいるか?(Is There a Messianic Prophet in Israel?)」というタイトルの記事が掲載されている。記者本人もメシアニックジューで、記事の冒頭で次のように問いかけている。
長年イスラエルに住むメシアニックジューとして、私はまだこの地で、他の信者が一致して認め、預言者と宣言された信者に出会ったことがない。……この地では、預言者がイスラエルや諸国に神のメッセージを伝える管としての役割を果たしていたが、近年は預言者を見かけることはないようだ。……それはイスラエルのメシアニックジュー社会に預言者がいなくなったからだろうか?
― Oriel Moran, “Is There a Messianic Prophet in Israel?,” Israel Today, 27 Jul 2022
As a Messianic Jew who has lived in the Land for many years, I have yet to come across a local believer whom the rest of the body recognized and declared to be a prophet… In a very land where prophets were a conduit for God’s messages to Israel and the nations, there is, seemingly, no presence of one to be found these days… Is that because there are no more prophets within the Messianic body in Israel?
「現代にも預言者はいますか?」という質問は、メシアニックジューに限らず、多くの信者が抱く疑問でもある。
聖書によると、この問いに対する答えは「ノー」でもあり、「イエス」でもある。そう答える理由を以下に説明する。
> 聖書は完成している聖書は完成している
現代に預言者がいるかどうかを考える上で重要になるのが、「聖書は完成している」という事実である。
1)預言者は土台
『Israel Today』誌の記事で、この「現代にも預言者はいますか?」という質問に対する回答として、エルサレムの教会を牧会しているメノ・カリシャー(Meno Kalisher)牧師は次のように語っている。
預言者は今も存在するのでしょうか? エペソ2:20~22に照らして考えると、使徒と預言者が語ったことは神のことばとなったことがわかります。土台と礎石は一つしかありません。したがって、神のことばが書き記され、完成したときに、使徒と預言者は役割を終えたのです。……聖霊は、神のことば(正典)が完成した後で、預言者と使徒を選ぶことはありません。なぜなら、使徒と預言者は土台であり、土台はすでに完成しているからです。だから、もはや使徒と預言者は必要ないのです。
― Oriel Moran, “Is There a Messianic Prophet in Israel?,” Israel Today, 27 Jul 2022
Do prophets exist today? In light of Ephesians 2:20-22, we learn that what the apostles and prophets said was part of God’s word. It means there is only one foundation and one cornerstone – hence, they had finished their role when the Word of God was written and completed… The Holy Spirit will not choose to use prophets and apostles after the Word of God was complete (the canon), because they are the foundation, and the foundation has already been completed. So there is no need for them anymore.
カリシャー牧師が言及しているエペソ2:20~22は、次のように語っている。
20 使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。
21 このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。
22 あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
教会(「建物」「宮」)の礎石(「要の石」)は、イエス・キリストである。土台は、使徒と預言者である。教会の礎石となったイエス・キリストが一人しかいないように、教会の土台となった使徒と預言者も一度きりしか出ない。
土台は建物を建てる前に築く。建物を建ててから土台を築くことはできない。そうしようとすれば、建物を壊してから築かないといけない。使徒や預言者も同じである。教会という建物が二千年間建っているのに、今さら土台を築くことはできないし、そのような必要もない。
2)信仰はすでに伝えられている
ユダ3節では、次のように言われている。
3 愛する者たち。私たちがともにあずかっている救いについて、私はあなたがたに手紙を書こうと心から願っていましたが、聖徒たちにひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。
ここでは、私たちは「ひとたび伝えられた信仰のために戦うよう」に言われている。日本語で「ひとたび」と訳されているギリシャ語の単語「ハパックス」は、多くの英語訳聖書では「once for all」(一度きり)と訳されている。つまり、ユダがこの手紙を書いた時点で、私たちが信じるべき信仰の内容はすべて伝えられているということである。そのため、今になって信じるべき信仰の内容が啓示されることはないと考える必要がある。むしろ、聖書で伝えられている信仰の内容に反する教えには反対して戦えと言われているのである。
3)啓示はすでに完成している
黙示録22:18~19で、使徒ヨハネは次のように警告している。
18 私は、この書の預言のことばを聞くすべての者に証しする。もし、だれかがこれにつけ加えるなら、神がその者に、この書に書かれている災害を加えられる。 19 また、もし、だれかがこの預言の書のことばから何かを取り除くなら、神は、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、その者の受ける分を取り除かれる。
この警告は、第一義的には黙示録の預言に手を加えてはならないというものである。しかし、黙示録が聖書全体の預言のまとめになっていることを考えると、聖書そのものに手を加えることを禁止したものとも考えられる。
異端宗教の特徴は、聖書だけでなく、現代の預言者の新しい啓示を信じるように求めることである。今も使徒と預言者がいると主張する新使徒運動(NAR)にも、異端宗教のように聖書の一部を否定したり、聖書に自分たちの言葉を付け加えたりする指導者がいる。たとえば、モーニングスターミニストリーズのリック・ジョイナーは、パウロの言葉の権威を否定し、自分の語る幻の方が権威が上であると教えている。
> 預言者を見分ける基準預言者を見分ける基準
聖書には、本物の預言者かどうかを見分ける基準が記されている。代表的なものは、以下の申命記18:20~22と申命記13:1~3である。
1)預言がその通りに実現する
申命記18:20~22には、偽預言者を見分ける次のような基準が示されている。
20 ただし、預言者であっても、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする者がいるなら、その預言者は死ななければならない。」
21 あなたが心の中で、「私たちは【主】が語られたのではないことばを、どのようにして知ることができるだろうか」と言うような場合、
22 預言者が【主】の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは【主】が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼におびえることはない。
このみことばによると、真の預言者であるかどうかは、預言がその通りに実現するどうかでわかる。申命記18:20によると、偽預言者に対する刑罰は死刑なので、セカンドチャンスはない。つまり、預言者の預言は100%成就する必要がある。
2)主への信仰に導く
もう一つの聖書箇所の申命記13:1~3では、次のような基準が示されている。
1 あなたがたのうちに預言者または夢見る者が現れ、あなたに何かのしるしや不思議を示し、 2 あなたに告げたそのしるしと不思議が実現して、「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう」と言っても、 3 その預言者、夢見る者のことばに聞き従ってはならない。あなたがたの神、【主】は、あなたがたが心を尽くし、いのちを尽くして、本当にあなたがたの神、【主】を愛しているかどうかを知ろうとして、あなたがたを試みておられるからである。
聖書の神以外に導く者は、いくら大きな奇跡を行って見せたとしても偽預言者である。大患難時代に大きなしるしを行って反キリストを礼拝するように人々を導く偽預言者が、その好例である(黙示録13:11~13)。
> 教会時代に預言者はいるか教会時代に預言者はいるか
以上のように見てくると、教会時代には預言者は存在しないと結論付けることができる。新約聖書には、イエスやみことばに従うようにという命令はあるが、預言者に従うように言われている箇所はない。むしろ、偽預言者に警戒するように呼びかける言葉で満ちている。
新約聖書の警告
マタイ7:15で、イエスは次のように語っている。
15 偽預言者たちに用心しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼です。
また、使徒ヨハネは、1ヨハネ4:1で偽預言者を試すように教えている。つまり、預言者を名乗る者の言うことを鵜呑みにしてはいけないということだ。
1 愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。
また、イエスは、マタイ24:11、24で、終わりの時代には偽預言者が大勢現れると告げている。
11 また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。
24 偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います。
こうした聖書箇所を見ると、預言者を名乗る者に対して最大限の注意を払うように教えられていることがわかる。
偽預言者の例
新約聖書の言葉どおりに、この世には多くの偽預言者が存在する。その一例として、カンザスシティフェローシップ(現在のIHOPKC)の故ボブ・ジョーンズがいる。以下の会話は、カンザスシティフェローシップの代表、マイク・ビックルと、同じカンザスシティでメガチャーチを牧会していたアーニー・グルーエン牧師との会話である。
私(アーニー・グルーエン)が「ボブ・ジョーンズのことをどう思いますか?」と、マイク・ビックルに尋ねると、ビックルはこう答えました。「彼の預言は60%しか当たらないのです。彼は私にとっては問題児です。じっとさせておくべきでした。私は彼に預言をさせないようにしています」。1
しかし、雑誌『Charisma(カリスマ)』を手に取ると、ジョーンズはカンザスシティ全体で認められている立派な預言者だと書かれています。私的な会話では問題児と言われ、預言もほとんど当たらない彼が、公の場では誇張された記事によって特別な存在として描かれて全国に喧伝されているのはなぜでしょうか? まあ、私がその真意を言い当てることはしませんが、これが事実なのです。
“What do you think of Bob Jones?” I asked Mike Bickle.
”Only 60 percent of his prophecies come true,” Bickle said, “And he’s a problem to me. I had to sit him down. I don’t let him prophesy.”
Yet you pick up Charisma magazine and it says he’s a noble prophet recognized all over Kansas City. Why is it privately he’s called a problem and most of his prophecies don’t come true, and yet publicly for hype’s sake he’s portrayed to the nation as exceptional? Well, it’s not for me to judge the motives; but those are the facts.
聖書の基準によると、預言が60%しか実現しない預言者は偽預言者である。そのため、ビックルはボブ・ジョーンズが偽預言者であると認めていることになる。ただ、グルーエン牧師が「預言もほとんど当たらない彼が」と言っているように、第三者の証言ではジョーンズの預言はほぼ実現していない。
偽預言者の問題は、語っていることが実現しないというだけではない。偽預言によって被害を被る人々が出るという具体的な問題がある。この問題については、記事「カンザスシティ・フェローシップ(現IHOPKC)に見る預言者運動の危険性(1)砂の上に建てた家」にまとめているので参照されたい。
また、実現しなかった預言によって、神が偽りを言ったかのような印象を与えるという問題がある。実態は偽預言者が嘘を語ったに過ぎないが、人々を神から遠ざける原因となっている。
偽預言をどう見分けるか
教会時代に預言者はいないということは見てきた。だが、預言者はいないにしても、ある一定の状況で、クリスチャンが生涯に一度だけ、特定の人に対する預言を神から与えられるということはないのだろうか。この場合は、あらゆる人に対する神のメッセージではなく、ある特定の人に対するメッセージとなる。この点については、参考になる事例がある。
福音派を代表する神学者に、ジョン・パイパー牧師がいる。宣教団体「デザイアリング・ゴッド(Desiring God)」の創設者で、ベツレヘム大学・神学校学長も務める。2018年には「今日の英語圏で最も影響力のある説教者12人」にも選出された人物だ。このジョン・パイパーが、次のような体験談を話している。
ある女性が私のところに来たことがありました。妻が4人目の子供を妊娠している時です。彼女は 「あなたにとって、とても辛い預言があります」と言い、 私は「わかりました」と答えました。すると、彼女はこう言いました。いや実際にはメモを私に渡して、こう書いてありました。「奥さんは出産で亡くなりますが、女の子が生まれます」。私は書斎に戻り、いや、その前に彼女には感謝して「ありがとう」と言いました。 なんて言ったか忘れてしまいましたが、そのようなことは聞きたくありませんでした。私は書斎に戻り、伏せって、ただ泣いていました。……そして4人目の男の子(女の子ではなく)が生まれた時、歓喜の声をあげました。私はいつもそうするのですが、この時の歓喜の声は少し特別でした。なぜなら、男の子が生まれた瞬間に、あれは本当の預言ではなかったとわかったからです。2
A woman came to me, while my wife is pregnant with my fourth child. And she says, “I have a very hard prophecy for you.” I said, “OK.” She says—in fact she wrote it down and gave it to me—“Your wife is going to die in childbirth and you’re going to have a daughter.” I went back to my study—I thanked her, I said, “I appreciate that.” I forget what I said but it wasn’t—, I didn’t want to hear that. I went back to my study, I got down and I just wept. . . . And when we delivered our fourth boy, not girl, I gave a “whoop,” which I always do, but this whoop was a little extra; because I knew as soon as the boy was born this was not a true prophecy.
福音派を代表する牧師であるジョン・パイパーでさえも、偽預言に振り回された。そのため、パイパー以外のすべての人も同じ目に遭う可能性があると思った方がよい。
旧約時代と新約時代の違いも理解しておく必要がある。聖霊は、旧約時代には一部の人にしか内住しなかったが、新約時代にはすべての信者に内住するようになった。そのため、信者であれば、他人から預言を告げられなくても、まず内住の御霊が語ってくださるはずだ。
以上を総合して考えると、他人から告げられる預言は総じて警戒すべきだ。また、相手が過去に預言を語ったが、成就しなかったことが一度でもあれば偽預言者なので、相手にする必要はない。
> 聖書が預言する預言者聖書が預言する預言者
冒頭に、「現代にも預言者はいますか?」という問いに対する答えは「ノー」でもあり、「イエス」でもあると述べた。ここまでは「ノー」という答えについて説明してきた。ここからは、「イエス」の部分について説明したい。
なぜ「イエス」と言うかというと、聖書自体に、以下の預言者が登場することが預言されているためだ。
1)預言者エリヤ
旧約聖書のマラキ4:5では、次のような預言が語られている。
見よ。わたしは、【主】の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
ここでいう「【主】の大いなる恐るべき日」というのは、大患難時代のことである。大患難時代が来る前に、預言者エリヤが再び遣わされることが預言されているのである。
2)二人の証人
黙示録11:3、10では、大患難時代にエリヤとは別の預言者も登場することが預言されている。
3 「わたしがそれを許すので、わたしの二人の証人は、粗布をまとって千二百六十日間、預言する。」
10 地に住む者たちは、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を交わす。この二人の預言者たちが、地に住む者たちを苦しめたからである。
エルサレムに登場する「二人の証人」は、10節では「二人の預言者」と呼ばれている。この二人も、神が遣わす本物の預言者である。
将来にこれらの預言者が登場することが預言されているので、「現代にも預言者はいますか?」という問いに完全に「ノー」と言うことはできず、「イエス」と答える必要もあるのだ。
ここで明確にしておく必要がある点がある。預言者エリヤも二人の預言者も、教会時代ではなく、大患難時代のための預言者だということだ。つまり、大患難時代が来る前に教会がすでに携挙で上げられているので、新しい時代のための新しい預言者が必要となるのである。これは、大患難時代の前に携挙があるということの傍証でもある。
使徒と預言者は教会の土台であると述べたが(エペソ2:20~22)、教会自体が上げられているので、新たな預言者が教会の土台を掘り崩すこともない。新しい預言者は、教会の空白を埋めるために遣わされると考えることができる。
ただ、現在の教会時代に生きるクリスチャンは、新たな預言者は必要ないし、出会うこともないだろう。
> まとめまとめ
以上で、教会時代である現在はもはや預言者はいないこと、しかし携挙が起こって教会が天に上げられると、神のメッセージを伝える預言者(預言者エリヤと二人の証人)が遣わされることを見た。今を生きる私たちは、預言者を名乗る人には近付かない方がよい。
> 最後に最後に
最後に、これほど危うい預言というものに人が惹かれる理由についても少し触れたい。預言を受けたいという動機には、将来が不安で、これからのことを知りたいという思いがあるだろう。私は、もう一つ重要な動機として、吹田聖書福音教会の故高木慶太牧師が語る次のような事情があると思う。
以前私が、シンガポールで開かれた「細胞教会セミナー」に通訳として参加したとき、一人の信徒の家で行われた細胞教会で「預言」と称するものを聞きました。
たまたまその集会に初めて参加した現地の人がおられましたが、その人が入ってくるとすぐ、メンバーの一人がその人にこう言いました。
「父なる神はあなたにこう言われる。『わたしの子よ。あなたは重荷を負って歩んできた。今、その重荷を私にゆだねなさい。私はあなたを愛している。』」
私は、それを聞きながら、「重荷をもってない人が一人でもいるだろうか。このようなことを『神からのメッセージ』と言われると、どんな人でも嬉しくなるだろうな」と思いました。……
そのあと、また別の人もその新来会者に対して、同じような内容の「預言」を語っていたのですが、あとで私がリーダーの方にそれらの「預言」について尋ねてみますと、細胞教会の成長の一大要因はまさしくそのような預言のことばだということでした。つまり、新しく来た一人一人は「神からの励ましと慰めのことば」を聞くので、温かさと親しみを感じて感激し、続けて集会に来るそうです。3
集会に来て、「神からの励ましと慰めのことば」を聞けば、確かに感激するだろう。ただ、それが神のことばではなく、語っている人の言葉であれば、喜びは一時的な慰めにしかならない。また、罪の問題や救いの必要など、その人が向き合うべき問題から目をそらせてしまう可能性がある。
私は、励ましや慰めの預言というと、どうしてもエゼキエル13:3~14のみことばを思い起こす。当時のイスラエルにも偽預言者が数多くいて、偽預言者に対して主が語られた警告だ。
3 【神】である主はこう言われる。わざわいだ。自分で何も見ないのに、自分の霊に従う愚かな預言者ども。
4 イスラエルよ。あなたの預言者どもは、廃墟にいる狐のようになった。
5 あなたがたは、【主】の日の戦いに耐えられるように、破れ口に上ったり、イスラエルの家の石垣を築いたりしなかった。
6 彼らはむなしい幻を見、まやかしの占いをして、「【主】のことば」などと言っている。【主】が彼らを遣わしたのではないのに。しかも、彼らはそのことが成就するのを待ち望んでいる。
7 あなたがたが見ているのはむなしい幻、あなたがたが語るのはまやかしの占いではないか。「【主】のことば」などと言っているが、わたしが語っているのではない。
8 それゆえ、【神】である主はこう言われる。あなたがたは、むなしいことを語り、まやかしの幻を見てきた。それゆえ今、わたしはあなたがたに敵対する──【神】である主のことば──。
9 わたしは、むなしい幻を見、まやかしの占いをしている預言者どもに手を下す。彼らはわたしの民の交わりに加えられず、イスラエルの家の文書にもその名を記されない。イスラエルの地にも入ることができない。そのときあなたがたは、わたしが【神】、主であることを知る。
10 実に彼らは、平安がないのに「平安」と言って、わたしの民を惑わし、壁を築くとすぐ、それに漆喰で上塗りをしてしまう。
11 漆喰で上塗りをする者どもに言え。それははがれ落ちる、と。豪雨が起こり、わたしが雹を降らせ、激しい風を吹きつけると、
12 壁は落ちる。人々はあなたがたに向かって「上塗りをした漆喰はどこにあるのか」と言わないだろうか。
13 それゆえ、【神】である主はこう言われる。わたしは、憤りによって激しい風を吹きつける。怒りによって豪雨が起こり、激しい憤りによって破壊のための雹が降る。
14 あなたがたが漆喰で上塗りした壁を、わたしが壊し、地に倒してしまうので、その土台までもあらわにされる。それが倒れ落ち、あなたがたがその中で滅びるとき、あなたがたは、わたしが【主】であることを知る。
向き合うべき問題から目をそらせて平安と慰めを語ることは、壊れた壁を直さずに表面だけ塗り直しているのと同じである。いつかは壁が崩れ落ちる。
励ましや慰めを受けたいのであれば、聖書を読むべきである。そこには紛れもない神のことばが記されている。神の声を聞きたければ、声を出して聖書を読めばいい。聞いている言葉は間違いなく神のことばだ。それが最も安全で、最も確実に神とコミュニケーションをとることのできる方法である。聖霊はみことばを通して語られるのだから。
> 参考資料参考資料
- 高木慶太、テモテ・シスク共著『今日における 奇跡 いやし 預言』(いのちのことば社、1996年)
- 中川健一「ヨハネの黙示録(40)—結末—」(メッセージステーション) (https://message-station.net/episode/1343/)
- Justin Taylor, “3 Reasons Charismatics Are Wrong about New Testament Prophecy,” The Gospel Coalition (https://www.thegospelcoalition.org/blogs/justin-taylor/3-reasons-charismatics-wrong-new-testament-prophecy/)
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