教会教父の証言(ジョン・マッカーサー)

米国の福音派神学者ジョン・マッカーサー(グレース・コミュニティー教会)は、初代教会直後の教会教父はみずからのことを決して使徒と呼ばなかったとし、次のように語っています。

教会史にもう一度目をやり、新約時代の直後に生きた教会指導者の証言を見てみると、初期の教会教父は、自分たちのことを使徒とは考えず、「使徒たちの弟子」であると考えていた。教会教父は、使徒のことを唯一無二の存在と認識しており、使徒の時代が終わった後、教会は長老(牧師と司教を含む)と執事によって治められていた。紀元90年代に、ローマのクレメンスは、使徒たちはみずからの働きの「初穂を、その後に信じる者たちのために、司教や執事に任命した」と書き記している。同じくイグナティウス(紀元35~115年)は、アンテオケ人への書簡の中で自分は使徒ではないと語り、こう記している。「私は、自分が使徒であるかのように、こうした点について命じることはしません。ただ、同じ主にあるしもべとして、こうしたことを思い出させようとしているのです」
― John F. MacArthur, Strange Fire (Thomas Nelson, 2013), p.98 (Kindle 版)

When we look again at church history—considering the testimony of those church leaders who lived shortly after the New Testament age ended—we find that the earliest church fathers did not view themselves as apostles, but rather as the “disciples of the apostles.” They understood the apostles were unique, and that after the apostolic age ended, the church was governed by elders (including pastors or bishops) and deacons. Clement of Rome, writing in the 90s, stated that the apostles “appointed the first-fruits” of their labors “to be bishops and deacons of those who would afterwards believe.” Ignatius (c. AD 35–115) similarly clarified in his Epistle to the Antiochians that he was not an apostle. He wrote, “I do not issue commands on these points as if I were an apostle; but, as your fellow-servant, I put you in mind of them.”

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