聖書預言の役割(1)預言は何のために与えられているのか

聖書預言

聖書の27%は預言

J・B・ペイン著『The Encyclopedia of Biblical Prophecy(聖書預言の百科事典)』1によると、聖書全体のすべての節(31,124節)の中で、預言を記した節は8,352節あるとされています。計算すると、聖書全体の約27%が預言ということになります。この中にはすでに成就した預言が含まれますが、すべて書かれた時点ではまだ起こっていない将来の預言です。

聖書にこれほど多くの預言が記されているのはなぜでしょうか。この記事では、聖書の中で預言が持つ役割について考えてみたいと思います。

預言とは

使徒ペテロは、預言を次のように定義しています(2ペテロ1:21)。

21  預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。 

一般に言う「予言」と聖書の「預言」は、大きく違います。「予言」は人間が行った将来の予測です。「預言」は「言葉を預かる」という文字どおりに、人が神から受け取ったことばを語ったものです。

米国のシェーファー神学校校長のアンディ・ウッズ博士は、預言とは何かについて次のように語っています。

簡単に言うと、預言とは現実になる前の歴史です。それが、この書物、聖書に書かれていることです。預言的真理とは、前もって告げられていたことに歴史が追いつく前の歴史的事実です。これが聖書を唯一無二の存在にしている理由の一つです。
― Andy Woods, “PPOV Episode no. 158. The Practicality of Predictive Bible Prophecy. Drs. Andy Woods & Jim McGowan

Simply put, prophecy is history before it happens. That’s what you have in this book, the Bible. You have prophetic truth or historical facts happening before history catches up with the predictions. It’s really one of the things that makes the bible unique.

ウッズ博士が言うように、預言とは「現実になる前の歴史」です。神が語られたことは必ず実現するためです。神は時間に制約される方ではないため、神は未来のことであっても、すでに起きた事実であるかのように語られます。未来は人間にとっては不確かなものですが、神にとっては過去の歴史と同様に確かなものです。

使徒ペテロは、預言の確かさについて次のように語っています(2ペテロ1:16~19a)。

16  私たちはあなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、それは、巧みな作り話によったのではありません。私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです。 17  この方が父なる神から誉れと栄光を受けられたとき、厳かな栄光の中から、このような御声がありました。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」 
18  私たちは聖なる山で主とともにいたので、天からかかったこの御声を自分で聞きました。 19a  また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。

ペテロは、16~17節で語っているように、変貌山で神の声を直接聞きました(マタイ17:5参照)。そのペテロが、変貌山で聞いた神の声よりも、預言のみことばの方が「さらに確かな」ものであると語っているのです。神のことばに優劣があるわけではないでしょうが、預言が確実に成就することが強調されています。私がクリスチャンになりたての頃は「どうしたら神の声が聞けるのか」と思ったものです。しかし、ペテロは神の声を聞くよりも預言に耳を傾けた方が確実だと語っているのです。

預言の役割

聖書を読むと、預言には以下の3つの大きな役割があることがわかります。

1.唯一真の神を証明する

預言の第一の役割は、主(ヤハウェ)が唯一真の神であり、ほかには神はいないことを証明することです。これは主ご自身がイザヤ書で語っておられることです。イザヤ46:9~10で、主は次のように語っておられます。

9  遠い大昔のことを思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。  10  わたしは後のことを初めから告げ、まだなされていないことを昔から告げ、『わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。 

このみことばによると、将来に起こることの預言は、主が唯一の神であることを証明する手段です。預言されていたことが文字どおりに成就することで、預言を与えた主は全能の神であり、そのような神はほかにはいないことが証明されるからです。

実際に、さまざまな宗教を見渡しても、預言が書かれている経典は聖書のほかにありません。ましてや、書かれている預言が成就している書物など聖書以外にありません。

宗教 経典 預言の数
イスラム教 コーラン 0
仏教 三蔵 0
ヒンズー教 ベーダ 0
神道 古事記 0
儒教 四書五経 0
道教 道蔵 0

参考資料:Andy Woods, “PPOV Episode no. 158. The Practicality of Predictive Bible Prophecy. Drs. Andy Woods & Jim McGowan

イザヤ48:3、5でも、次のように語られています。

3  「かつて起こったことは、前からわたしが告げていた。それらはわたしの口から出て、わたしはそれらを聞かせた。にわかに、わたしは行い、それは成就した。
5  わたしは、かねてからあなたに告げ、まだ起こらないうちに聞かせたのだ。『私の偶像がこれをした』とか『私の彫像や鋳た像がこれを命じた』とかあなたが言わないようにするためだ。 

日本のように「八百万の神」がいると言われる国では、将来の預言は、主だけが真の神であることを証しする力強い証明となります。真の神とは、人間が作った神ではなく、人間を含む被造物すべてを作った神という意味です。

また、イエス・キリストも、ヨハネ13:19、14:29で、同様のことを語っておられます。

19  事が起こる前に、今からあなたがたに言っておきます。起こったときに、わたしが『わたしはある』であることを、あなたがたが信じるためです。 
29  今わたしは、それが起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったとき、あなたがたが信じるためです。 

「わたしはある」とは、聖書の神の御名です(出エジプト3:14)。つまり、これから起こることを前もって告げるので、それが起こった時に、わたしが唯一真の神であることを信じなさいという意味です。

唯一真の神を証明することは、旧新約聖書で一貫している預言の役割です。

2.メシア(救い主)を指し示す

聖書の預言が持つもう一つの大きな役割は、人類の救い主である「メシア」を指し示すことです。メシアはヘブル語で「油注がれた者」という意味で、このギリシャ語訳が「キリスト」です。

イエスが十字架にかかり、復活された後、二人の弟子がエルサレムからエマオという村に向かって歩いていました。イエスは二人の弟子に話しかけると、二人はそれがイエスだと気付かず、十字架にかけられたイエスのことや、イエスが墓からいなくなっていたという女たちの証言について話し始めました。その時、イエスは次のように語っておられます(ルカ24:25~27)。

25  そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。 26  キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」 
27  それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。 

イエスが言われるように、メシアの登場を預言した「メシア預言」が聖書全体に記されています。ここで言う聖書とは旧約聖書のことですが(この時点では新約聖書はまだない)、旧約聖書の3つの区分である「律法」「預言書」「諸書」のすべてにメシア預言が書き記されています。以下は、数あるメシア預言の一部を表にしたものです。

預言 聖書箇所
ユダ部族から出る 創世記49:10
ダビデの子孫である イザヤ11:1〜2、エレミヤ23:5〜6、1歴代誌17:10b〜14
処女から生まれる イザヤ7:14
ダビデの町、ベツレヘムで生まれる ミカ5:2
ロバに乗る ゼカリヤ9:9〜10
30枚の銀貨で売られる ゼカリヤ11:1〜17
苦しみを受ける イザヤ50:4〜9、イザヤ52:13〜53:12、詩篇22篇
処刑される イザヤ52:13〜53:12、ダニエル9:24〜27
その死は身代わりの死だった イザヤ52:13〜53:12
その死の結果、エルサレムと神殿は破壊される ダニエル9:24〜27

参考資料:アーノルド・フルクテンバウム『メシア的キリスト教』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ、2016年)

ヨハネ5:39、46でも、イエスは旧約聖書がご自分について証言していると語っておられます。

39  あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。 
46  もしも、あなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことなのですから。 

メシア預言は、イエスがメシアであることを証明しました。メシア(救い主)を指し示すことが、聖書預言の持つ2つ目の役割です。

3.福音が救いの方法であることを証明する

聖書預言の3つ目の役割は、福音が救いの方法であることを証明することです。

預言(メシア預言)は、イエスがメシアであることを証明しました。それだけでなく、預言は福音が救いの方法であることも証明しています。そのため、福音を信じれば救われることが、預言によって保証されています。

1コリント15:1~5で、パウロは救われるために信じる必要のある福音を次のように語っています。

1  兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。 2  私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。 
3  私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、 4  また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、 5  また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。 

ここでパウロは、救われるために信じる必要のある「福音の三要素」を語っています。パウロはキリストが「私たちの罪のために死なれたこと」「葬られたこと」「三日目によみがえられたこと」という福音の三要素を語る中で、「聖書に書いてあるとおりに」という言葉を2度も繰り返しています。

福音は、人が救われるための方法を示した最重要メッセージです。そのメッセージが正しいことを裏付けるために、パウロはこの福音が旧約聖書で前もって預言されていたことを強調しています。

パウロは「聖書に書いてあるとおりに」と言っていますが、どの箇所のことを言っているのでしょうか。アーノルド・フルクテンバウム博士は、1コリント15:1~5に記されている福音を預言した旧約聖書の箇所について、次のように語っています。

ヘブル語聖書の中で、イザヤ52:13~53:12ほど、人の身代わりとして、人の罪を贖うためにヤハウェのしもべが死ぬことを明確に示している箇所はない。…イザヤ52:13~53:12には、しもべの十字架刑、埋葬、復活についての預言が含まれており、この3つの要素がすべて明確に啓示されている。
― Arnold G. Fruchtenbaum, Commentary Series: The Book of Isaiah (Ariel Ministries, 2021) Kindle 版

There is no other passage in the Hebrew Scriptures that more clearly presents the substitutionary, atoning death of the Servant of YHWH than Isaiah 52:13–53:12… Isaiah 52:13–53:12 contains a prophecy of the crucifixion, burial, and resurrection of the Servant, and all three elements are clearly revealed.

イザヤ52:13~53:12は、「受難のしもべ」を預言した箇所です。新約聖書を読むとわかるのは、イザヤが預言した受難のしもべは、イエス・キリストで成就したということです。ここでは、イザヤ52:13~53:12の中で53章の部分を引用します。少し長くなりますが、大事な箇所ですので省略せずに引用します。

1  私たちが聞いたことを、だれが信じたか。【主】の御腕はだれに現れたか。 
2  彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。 
3  彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。 
4  まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。 
5  しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。 
6  私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、【主】は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。 
7  彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。 
8  虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。 
9  彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。 
10  しかし、彼を砕いて病を負わせることは【主】のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、【主】のみこころは彼によって成し遂げられる。 
11  「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。  12  それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」 

イザヤ53章は、福音書で描かれているイエスの生涯そのものです。それは、イザヤ53章で預言されていたことがイエスの生涯で成就したからです。

イザヤ53章では、しもべ(イエス)の死(8節)、埋葬(9節)、復活(10節)が預言されています。

10節では、しもべが死と埋葬を体験した後に「末長く子孫を見る」と言われています。どのようにしてそのようなことが可能になるのでしょうか。そうなるためには、しもべは死から復活する必要があります。ここでは、しもべの復活が暗示されています。

そして、「わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う」(11節)と言われています。つまり、しもべが救いをもたらす(「多くの人を義とし」「彼らの咎を負う」)ことが預言されています。また、救われる方法も同時に預言されています。

ここでいう「知識」とは何を意味するのでしょうか。フルクテンバウム博士は次のように解説しています。

この言葉は「ダアト」で、体験的知識を指す。しもべの体験的知識によって、人々は義とされる。私たちがイェシュア(訳注:イエスのヘブル語読み)をメシアとして受け入れるとき、私たちの罪のためにイェシュアが身代わりに死んでくださったことを受け入れるとき、私たちはイェシュアが私たちに代わって苦しみと死を体験してくださったことを受け入れる。その瞬間、私たちはイェシュアを体験的に知ることになる。このイェシュアについての体験的知識によって、私たちは義とされる。なぜなら、救い主は義人であり、その義が私たちの上に置かれ、私たちのものとなるからである。
― Arnold G. Fruchtenbaum, Commentary Series: The Book of Isaiah (Ariel Ministries, 2021) Kindle 版

The word in this verse is daat and refers to experiential knowledge. By the experiential knowledge of the Servant, people would be justified. When we accept Yeshua as our Messiah, when we accept His substitutionary death for our sin, we accept what He did in His suffering and death on our behalf. At that moment, we come to know Him experientially. By this experiential knowledge of Him, we are justified. We are declared righteous because our Savior is righteous, and His righteousness is placed upon us or on our account.

イザヤ52:13~53:12では、メシアによる救いの方法が預言されていました。そして、イエスがその預言を成就しました。そのため、イエスが自分の罪のために死なれ、埋葬され、復活されたという福音の三要素を信じる者は、救われることが保証されています。つまり、罪赦され、義とされます。

パウロが1コリント15:2で「この福音によって救われます」と断言できたのは、パウロが使徒として権威を持っていただけではなく、パウロの語る福音がイザヤ52:13~53:12の預言の成就であると理解していたからです。つまり、これが神の救いの方法であることを預言によって確信していたためです。それが、パウロが「聖書に書いてあるとおりに」という言葉を2度も繰り返した理由です。

結論:預言は神が用意された伝道ツール

預言には以下の3つの大きな役割があることを説明しました。

  1. 唯一真の神の存在を証明する
  2. メシア(救い主)を指し示す
  3. 福音の正しさを立証する

この3つの役割を見ると、預言は神が用意された伝道ツールであることがわかります。

実際に、初代教会の弟子たちは預言を使って伝道しました。たとえば、使徒8:29~35でピリポはエチオピアの宦官にイザヤ書53章の預言を通して福音を伝えています。

29  御霊がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われた。 
30  そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが分かりますか」と言った。 
31  するとその人は、「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。 
32  彼が読んでいた聖書の箇所には、こうあった。「屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている子羊のように、彼は口を開かない。 33  彼は卑しめられ、さばきは行われなかった。彼の時代のことを、だれが語れるだろう。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」 
34  宦官はピリポに向かって言った。「お尋ねしますが、預言者はだれについてこう言っているのですか。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」 
35  ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。 

また、使徒17:1~3では次のように言われています。

1  パウロとシラスは、アンピポリスとアポロニアを通って、テサロニケに行った。そこにはユダヤ人の会堂があった。 2  パウロは、いつものように人々のところに入って行き、三回の安息日にわたって、聖書に基づいて彼らと論じ合った。 
3  そして、「キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならなかったのです。私があなたがたに宣べ伝えている、このイエスこそキリストです」と説明し、また論証した。 

「聖書に基づいて」の聖書とは、旧約聖書のことです。この時点では新約聖書は存在していなかったからです。パウロは、旧約聖書の預言に基づいて、イエスの福音を立証しました。

使徒ペテロも、使徒3:17~19で次のように福音を語っています。

17  さて兄弟たち。あなたがたが、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたことを、私は知っています。 18  しかし神は、すべての預言者たちの口を通してあらかじめ告げておられたこと、すなわち、キリストの受難をこのように実現されました。 19  ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。 

ペテロは、預言者が語っていたことがキリストによって成就したという論法で、福音を伝えています。預言による伝道です。

聖書に従うなら、現代に生きる私たちも、初代教会と同じようにする必要があります。以上で述べてきたように、預言は神が聖書で与えてくださった神公認の伝道ツールです。ただ、福音メッセージが預言を使って語られることが少ない気がします。しかし、福音を伝える際に預言を使わないなら、球速160キロメートル以上のストレートを投げるピッチャーが、速球を投げないで変化球だけで勝負しようとしているようなものです。

また、終末時代に生きている私たちは、キリストの初臨時に使徒たちがメシア預言を用いたように、キリストの再臨に関する終末預言を伝道に用いることができます。この点については、別の記事で詳しく解説したいと思います。

付章:預言によって真の神を信じた人

本文で、預言の第一の役割は、唯一真の神の存在を証明することであると述べました。そして実際に、預言を読み、預言が実際に成就したと知ったことで真の神を信じるに至った人物が旧約聖書に登場します。ササン朝ペルシアの初代の王、キュロス2世(在位:紀元前559~530年)です。バビロン捕囚前の紀元前740~680年に書かれたイザヤ書には、次のような預言が記されています(イザヤ44:28~45:4)。

28  キュロスについては『彼はわたしの牧者。わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。エルサレムについては『再建される。神殿はその基が据えられる』と言う。」
1  【主】は、油注がれた者キュロスについてこう言われる。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前に扉を開いて、その門を閉じさせないようにする。
2  わたしはあなたの前を進み、険しい地を平らにし、青銅の扉を打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。 
3  わたしは秘められている財宝と、ひそかなところに隠された宝をあなたに与える。それは、わたしが【主】であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。 
4  わたしのしもべヤコブのため、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたを、あなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書きを与える。 

ここで主は、100年以上後に生まれるキュロスを名指しした上で、「わたしはあなたを、あなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書きを与える」と語っておられます。この箇所は、聖書全体の中でもトップクラスに入る不思議なみことばです。その人が生まれる前から、その人の名前も、その人が偉大な王となることも預言されていたのです。

時代が下って、紀元前539年にペルシアの王キュロスは首都バビロンを陥落させ、バビロニア帝国を征服します。このバビロンで、キュロスはユダヤ人と、ユダヤ人の経典である聖書と出会います。この時のことについて、ユダヤ人神学者のアーノルド・フルクテンバウム博士は次のように語っています。

ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、紀元75年から94年の間に書いた著書で、ペルシャのキュロス王がバビロンを征服した後、預言者ダニエルがこの箇所を王に示したと述べている。キュロスはこの預言を読み、自分の名前が150年前に預言されていたのを見て心動かされ、ユダヤ人がエルサレムに帰還することを許可する法令を発布し、実行に移したのである。
― Arnold G. Fruchtenbaum, Commentary Series: The Book of Isaiah (Ariel Ministries, 2021) Kindle版

The Jewish historian Josephus, who wrote between the years A.D. 75 and 94, said that Daniel the prophet showed this very passage to Cyrus the Great after the Persian king had conquered Babylon. When Cyrus read this particular prophecy and saw that his name had been predicted 150 years earlier, it moved him to issue and carry out the decree allowing the Jews to return to Jerusalem:

実際に、ヨセフスは『ユダヤ古代誌(Antiquities of the Jews)』で次のように書き記しています。

…「キュロス王は言う。全能の神が、人が住むすべての地の王に私を任命された。私は、この方がイスラエル民族が礼拝する神であると信じる。この方は預言者によって私の名をあらかじめ告げ、私がユダヤの国のエルサレムに、この方の家を建てることをあらかじめ告げたのだ」
このことをキュロスが知ることになったのは、イザヤが残した預言書を読んだためであった。この預言者は、秘められた幻の中で神がこう語られたと言ったからである。…そのようにして、キュロスがこれを読み、神の力を賞賛した時、ここに書かれていることを成就したいという切なる願いと野心にとらえられた。そこで王はバビロンにいた最も高名なユダヤ人たちを呼び寄せ、自分の国に戻ってエルサレムの町と神の神殿を再建する許可を与えると語ったのである…(佐野訳)
― Josephus, Antiquities of the Jews, XI.1.1-2

… “Thus saith Cyrus the king: Since God Almighty hath appointed me to be king of the habitable earth, I believe that he is that God which the nation of the Israelites worship; for indeed he foretold my name by the prophets, and that I should build him a house at Jerusalem, in the country of Judea.”
This was known to Cyrus by his reading the book which Isaiah left behind him of his prophecies; for this prophet said that God had spoken thus to him in a secret vision… Accordingly, when Cyrus read this, and admired the Divine power, an earnest desire and ambition seized upon him to fulfill what was so written; so he called for the most eminent Jews that were in Babylon, and said to them, that he gave them leave to go back to their own country, and to rebuild their city Jerusalem, and the temple of God…

旧約聖書のエズラ記1:1~3にも、同様のキュロス王の言葉が記されています(2歴代誌36:22~23も参照)。

1  ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた【主】のことばが成就するために、【主】はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。
2  「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、【主】は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。
3  あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神がともにいてくださるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、【主】の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である」

ペルシアのキュロス王は、預言を読み、その預言が成就したことを知ることで、真の神を知る者となりました。これはキュロス王だけでなく、神が預言を通してすべての人に対して望んでおられることです。先ほどの聖句の続きであるイザヤ45:5~6では、次のように語られています。

5  わたしが【主】である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。 
6  それは、日の昇る方からも西からも、わたしのほかには、だれもいないことを、人々が知るためだ。わたしが【主】である。ほかにはいない。 

「日の昇る方からも西からも」とは、全世界という意味です。つまり全世界の人々が、聖書が語る主こそが唯一真の神であることを知るようになることが、キュロスに関する預言の目的でした。これは聖書のほかの預言にも言えることです。主は、預言を通して、すべての人が救われて真の神を知るようになることを望んでおられます。

参考資料

  1. Payne, J. B., The Encyclopedia of Biblical Prophecy (Baker Pub. Group, 1980), p. 675

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