前回の記事では、批判的人種理論(Critical Race Theory)の定義を見て、その本質は一種のマルクス主義革命理論であることを見ました。今回は、批判的人種理論と必ずセットで語られる「インターセクショナリティ」という概念について見ていき、批判的人種理論とインターセクショナリティが米国社会にもたらす影響について見ていきたいと思います。
インターセクショナリティの定義
前回、カリフォルニア大学ロサンゼルス校公共政策学大学院(UCLA Luskin School of Public Affairs)による批判的人種理論の定義を見ました。今回もこのUCLAの定義で、インターセクショナリティ(Intersectionality)がどのように定義づけられているかを見ていきましょう。
CRTの一部である「インターセクショナリティ」は、抑圧は多面的に起こることを指摘します。また、人種だけでは人々の力を奪っている現状を説明できないと認識します。「インターセクショナリティとは、人種、性別、階級、国籍、性的指向、そしてそれらの組み合わせがさまざまな状況でどのように作用しているかを検討することです」。これは、有色人種が直面する多くの抑圧を批判し、一面的なアプローチでは私たちの住む複雑な世界を読み解けないと指摘するCRTにとって重要な教えです。1
Intersectionality within CRT points to the multidimensionality of oppressions and recognizes that race alone cannot account for disempowerment. “Intersectionality means the examination of race, sex, class, national origin, and sexual orientation, and how their combination plays out in various settings.” This is an important tenet in pointing out that CRT is critical of the many oppressions facing people of color and does not allow for a one–dimensional approach of the complexities of our world.
この定義では、「抑圧は多面的に起こる」とし、「インターセクショナリティとは、人種、性別、階級、国籍、性的指向、そしてそれらの組み合わせがさまざまな状況でどのように作用しているかを検討すること」と定義しています。
言い換えると、インターセクショナリティとは「批判的人種理論の考え方を人種以外の領域に広げたもの」ということができます。批判的人種理論では、白人と有色人種という人種の間に「抑圧する側」と「抑圧される側」という構造があるとしますが、その構造は男性と女性の間や、異性愛者と同性愛者の間にもあると指摘します。つまり、人種だけでなく、性別、階級、国籍、性的指向などの基準で人々を抑圧する側と抑圧される側に二分します。
インターセクショナリティは、このような「抑圧する側と抑圧される側」という構造は複数の領域で見られ、「差別の多重性」を指摘します。たとえば、黒人女性は、黒人というグループと、女性というグループの両方で抑圧される側にいるため、抑圧を受ける度合いが高いとします。そして、抑圧を受ける度合いが高ければ高いほど、その意見は重みを増すとします。そして、そうした「抑圧される側」の主張に敏感になるのが「Woke」です。
ただ、この定義によると、批判的人種理論は、抑圧される側に立ち、社会的弱者に配慮して生きる「Woke」になることが目標ではありません。この定義の後半では、批判的人種理論(CRT)運動の最終目標は「あらゆる形態の抑圧を終わらせるという幅広い目標を達成するために人種差別を撤廃する」ことで、「人種、人種差別、そして 権力(Power) の間の関係を研究し、変更する」ことに関心がある、としています2。つまり、最終的には「権力」の現状変更が視野に入っています。「権力闘争」を想定していると言ってもよいかもしれません。
インターセクショナリティは、社会のあらゆる弱者を代弁して権利を守るすばらしい思想のように見えます。米国をはじめ、多くの国の若者がその主張を受け入れ、「Woke」たるべく努力しています。ただ、批判的人種理論の最終目的は別にあり、その過程にある権力闘争を見据えないと、事の本質を見誤ることになります。
以上、批判的人種理論とインターセクショナリティの定義をまとめると次のようになります。
- 批判的人種理論は世界観
- 白人と有色人種に人類を二分
- 米国は白人の特権と白人至上主義の上に成り立っている
- 人種以外でも、性別、階級、国籍、性的指向による抑圧が存在する
- 批判対象は個人ではなく、米国の体制
- 自由主義と能力主義を否定
また、5.と6.の主張から、批判的人種理論は一種のマルクス主義革命理論であると言うことができます。
上記はUCLAの定義によるもので、論者によって主張に違いがある可能性があります。ただ、批判的人種理論の主要な教育機関による定義が、実態から大きくかけ離れているとも思えません。
> 批判的人種理論とインターセクショナリティがもたらす影響批判的人種理論とインターセクショナリティがもたらす影響
批判的人種理論の一部であるインターセクショナリティの概念を説明したところで、この理論が米国社会にどのような影響を及ぼしているかを考察してみます。
教会への影響
米国の宗教という文脈でみると、クリスチャン、その中でも特にプロテスタントは多数派です。つまり、抑圧する側ということになります。また、教会の牧師の大部分は白人男性、異性愛者です。つまり、批判的人種理論とインターセクショナリティの世界観では、キリスト教の牧師は最も発言権がない人ということになります。
以下に紹介するのは、ニューヨークにあるリディーマー長老教会のティム・ケラーという牧師がニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した記事に対するツイートです。ツイートしたのは福音派の作家で、2万人以上のフォロワーがいる人物です。
ティム・ケラーには、正義について教える権威は一切ない。まったくない。……ケラーは信じられないほどの特権に恵まれている。裕福な人々をターゲットにしたミニストリーを行い、裕福な白人男性であるケラーが、不正が抑圧のレベルに達しているかどうかを判断する裁判官になるとは! 違う! 抑圧を定義する神聖な権威を持つのは、抑圧された人々自身だ。聖書の言葉を書いたのはすべて、抑圧され、植民地支配を受けた人々だ。ユダヤ人は植民地支配を受けた人々だった。イエス自身も、褐色の肌を持つ先住民族であり、植民地支配を受けた人だった。聖書を書いた人々や聖書が書かれた当時の読者の中で、ティム・ケラーの持つような社会的地位に着いていた人は一人もいない。…違う! ケラーには、正義について話したり教えたりする権威はない。3
Tim Keller has NO AUTHORITY to teach on justice—NONE… How INCREDULOUSLY PRIVILEGED for Keller—a RICH WHITE MAN WHOSE MINISTRY TARGETS RICH PEOPLE—to fashion himself as the judge of whether or not injustice rises to the level of OPPRESSION!!! No!!!! The only ones with divine authority to define the bounds of oppression are the oppressed themselves! Oppressed and colonized people wrote every single word of The Bible. The Jewish people were colonized people. Jesus, himself, was a brown, indigenous, colonized man. Not one person who the scripture was written by or originally written for sat in the social location of Tim Keller… No!!!! Keller has NO authority to speak or teach on justice.
このツイートを書いた人は、クリスチャンと言いながら、聖書が何と言っているかを判断基準とはせず、その人がどのようなグループに属しているかによって判断しています。この発言は明らかに批判的人種理論に基づく主張で、そのような考え方が福音派クリスチャンの間にも浸透していることを示しています。
このような考え方が支配的になると、白人男性の牧師が教会を牧するのは非常に困難になることが予想されます。
社会の分断
批判的人種理論がもたらす大きな影響の一つは、社会の分断です。批判的人種理論は、人々を一つの国民としてまとめるのではなく、人種、性別、性的指向、宗教など、さまざまな領域で人々を分断します。そして、「抑圧する側」と「抑圧される側」に二分された人々の間では、権力闘争があることが想定されています。
このような状況について、中国の文化大革命を逃れて米国に移住したシー・バン・フリート(Xi Van Fleet)は、自身の体験を踏まえて次のように語っています。
これからお話しするのは、私が体験してきたことです。今、アメリカで起こっているのは、Woke革命です。そして、Woke革命には双子の兄弟がいます。それは中国の文化大革命です。Woke革命の原動力はCRT(Critical Race Theory:批判的人種理論)です。中国の文化大革命の原動力はCCTでした。毛沢東の階級闘争理論(Class Conflict Theory)です。CRTとCCTの祖父は同じカール・マルクスという人で、どちらのイデオロギーも文化マルクス主義です。私は中国の文化大革命を身をもって体験しました。今、私がアメリカで体験しているのは、文化大革命のアメリカ版です。どちらも共産主義です。……共産主義のアメリカへの浸透は隅々にまで及んでいます。メディア、学界、学校、ハリウッド、職場、企業、教会、政府、政党、さらには軍隊にも浸透しています。……CRTのように、毛沢東はCCTを使って人々を抑圧する側と抑圧される側に二分しました。唯一の違いは、毛沢東が人種ではなく階級を使ったことです。4
What I’m going to share with you is my experience. What is going on in America today is a woke revolution. And the woke revolution has a twin brother, and it’s Chinese Cultural Revolution. The woke revolution is driven by CRT. The Chinese Cultural Revolution was driven by CCT. That’s Mao’s Class Conflict Theory. The grandfather of CRT and CCT is the same guy, Karl Marx, and their ideology is Cultural Marxism. I experienced the Chinese Cultural Revolution first hand. What I’m experiencing today in America is the American version of the Chinese Cultural Revolution. Those are communism… Its infiltration in America is complete. We see it in our media, academia, schools, Hollywood, workplaces, corporations, churches, government, political parties, and military… Just like CRT, Mao used CCT to divide people into groups of the oppressors and the oppressed. The only difference is he used class rather than race.
バン・フリートはさらに、毛沢東は人々を二分化するという方法で権力を手にし、維持したと語ります。まず、人々を地主と小作農に二分し、小作農の支持を取り付けて共産党革命を成功させました。文化大革命時代には、人々を革命に従う人民と反革命分子に分け、反革命分子を徹底的に粛正しました。そのような状況が、米国にも出現しつつあるというのが、バン・フリートの主張です。
実際に、最近の米国では、批判的人種理論をめぐる対立に関するニュースが日々報じられています。批判的人種理論に反対の声を上げた軍人が解雇されたり、南部の複数の州が批判的人種理論を学校で教えることを禁止したり、批判的人種理論に反対の声を上げて解雇されたエンジニアが会社を提訴したり、枚挙にいとまがありません。このままでは、米国の社会は分裂に向かっていくことが危惧されます。この状況は、米国に敵対する国を喜ばせるだけの結果となります。
> まとめまとめ
以上3回の連載で、批判的人種理論とインターセクショナリティをめぐって、教会を含め、米国社会が分裂に向かっている状況について見てきました。ここまでは政治的な話が多かったのですが、次回は聖書的な観点から、批判的人種理論を受け入れると教会はどうなるのかという点について見ていきたいと思います。
まず、米国には構造的な人種差別があるという主張は弱いと思います。構造的な人種差別があるのであれば、オバマ大統領は黒人であるのになぜ大統領になれたのでしょうか。最高裁判事のトーマス・クラレンスや、有名なテレビ司会者オプラ・ウィンフリー、俳優のモーガン・フリーマンなども黒人ですが、多くの支持者がいて成功を収めています。提唱者のデリック・ベルも、ハーバード大学という全米屈指の大学で教授職を得ました。かつてはひどい人種差別がありましたが、今はよい方向に向かっているので、ことさらに人種の違いを強調することは人種対立を煽る結果にしかならないと思います。
筆者としては、人種差別というよりも、貧しい家庭に生まれた人は貧しい状態から抜け出せないという、日本にもある収入格差の固定化が問題であると思います。その点で言うと、白人家庭と黒人家庭の平均収入には大きな開きがあります5ので、白人と黒人の間に人種差別の壁があるように見えます。実際に、オバマ大統領が黒人であるのに大統領になれたのは、母親が裕福な家庭に生まれた白人で、ハーバード大学に入学して卒業するだけの経済的な余裕があったからという理由もあります。
しかし同時に、アメリカは競争社会ですから、白人であっても没落することがあります。筆者は仕事でカリフォルニアのシリコンバレーに2週間ほど滞在したことがあります。職場まで毎日Uberタクシーを使って通うのですが(日本ではUber Eatsで食事の配達が主ですが、米国ではタクシーが主な事業です)、ある時白人女性のUberに乗ったことがありました。その方はたぶん60歳前後だと思うのですが、こちらが話しかけるなり、「ハイテク企業がのさばるようになってから地域が一変してしまった。ハイテク企業で勤める高給取りの中国人やインド人が住むようになって6、地価が上がり、町の文化も変わってしまった」と怒り口調で話し始めました。その女性は会社の社長をしていると言っていましたが、Uberの運転手をしているという時点で、その会社の経営がどうなったかは察しが付きます。また、ほかの運転手から聞いた話によると、シリコンバレーの地価、物価が上がったために、それまでの住民でハイテク企業に勤めていない人は、地価や生活費の安いシリコンバレーより南の地域に移住するようになっているということでした。つまり、ここでは有色人種によって一部の白人が地域から出ざるをえなくなったという構図があるわけです。
筆者としては、米国は白人と有色人種という二分法では割り切れないところがあり、人種を強調することでかえって人種差別的な対立が深まるのではないかと危惧します。
> 参考資料参考資料
- 「米国は分断の危機 ブラック・ライヴズ・マターは米版『文化大革命』序幕=専門家」(https://www.epochtimes.jp/p/2021/08/77035.html)
-
“What is Critical Race Theory?” (https://spacrs.wordpress.com/what-is-critical-race-theory/) ↩
-
‘Another component to CRT is the commitment to Social justice and active role scholars take in working toward “eliminating racial oppression as a broad goal of ending all forms of oppression”. This is the eventual goal of CRT and the work that most CRT scholars pursue as academics and activists… The Critical Race Theory movement can be seen as a group of interdisciplinary scholars and activists interested in studying and changing the relationship between race, racism and power.‘ ↩
-
Neil Shenvi, “Critical Theory Within Evangelicalism” (https://shenviapologetics.com/critical-theory-within-evangelicalism/) ↩
-
“What is Critical Race Theory” (https://www.youtube.com/watch?v=grDvnN83gRo&t=56s) ↩
-
Kriston McIntosh, Emily Moss, Ryan Nunn, and Jay Shambaugh, “Examining the Black-white wealth gap” (https://www.brookings.edu/blog/up-front/2020/02/27/examining-the-black-white-wealth-gap/) ↩
-
近年、理系学部を優秀な成績で卒業するのは中国人とインド人であることが多く、シリコンバレーの住民に占める中国人とインド人の比率が高くなっています。参照:「Asians Outnumber Whites In Silicon Valley」(http://www.siliconvalleyoneworld.com/2015/04/20/demographers-asians-now-outnumber-whites-in-silicon-valley/) ↩