米国を揺るがす「批判的人種理論」とは(2)定義

批判的人種理論

前回の記事では、批判的人種理論の概要を説明し、批判的人種理論は、教会を含め、さまざまな分野で米国社会を二分する論争の種となっていることを見ました。今回の記事では、批判的人種理論の本質を理解するため、批判的人種理論の定義を見ていきます。小難しい文章で読みにくいかもしれませんが、この記事の内容が筆者の意見ではなく、定評のある定義に基づいていることをご理解いただくために必要だと思いますので、よろしくお付き合いください。

批判的人種理論の定義

米国の混乱と対立の原因となっている批判的人種理論(Critical Race Theory)とは、一体どのような教えなのでしょうか。それを知るためには、批判的人種理論を主張している人々が同理論をどのように定義づけているかをまず知る必要があります。

ここでは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校公共政策学大学院(UCLA Luskin School of Public Affairs)による定義を紹介します1。同校は批判的人種理論を教え、積極的に推進している教育機関ですので2、当事者による批判的人種理論の定義と言うことができます。学問的で少し長い文章ですが、以下に引用します。

UCLAによる定義

批判的人種理論(CRT)は、人種差別がアメリカ社会の構造と体制に組み込まれているという認識を持っています。支配的な文化に制度的な人種差別が浸透していることを指摘するのに、個人としての人種差別主義者が存在する必要はありません。これが、CRTが現在ある権力構造を吟味する際に用いる分析レンズです。CRTは、こうした権力構造が白人の特権と白人至上主義に基づいており、有色人種を疎外する状況を永続化させる原因になっていると指摘します。

CRT recognizes that racism is engrained in the fabric and system of the American society. The individual racist need not exist to note that institutional racism is pervasive in the dominant culture. This is the analytical lens that CRT uses in examining existing power structures. CRT identifies that these power structures are based on white privilege and white supremacy, which perpetuates the marginalization of people of color.

CRTはまた、自由主義と能力主義の伝統を拒否します。法律論では、法律は中立で、肌の色を選ばないと言われます。しかし、CRTは、自由主義と能力主義の伝統を自己利益、権力、特権を追求するための手段として検証することで、この法的な「真理」に異議を申し立てます。CRTはまた、自由主義や能力主義は、富や権力、特権を持つ人々にとって都合のよいストーリー(筋書き)であると認識しています。こうした筋書きは、一生懸命働けば誰でも富や権力、特権を手に入れることができるという、誤ったイメージで能力主義を描き出しますが、制度的な人種差別がもたらす構造的な不平等があることをまったく考慮していません。

CRT also rejects the traditions of liberalism and meritocracy. Legal discourse says that the law is neutral and colorblind, however, CRT challenges this legal “truth” by examining liberalism and meritocracy as a vehicle for self-interest, power, and privilege. CRT also recognizes that liberalism and meritocracy are often stories heard from those with wealth, power, and privilege. These stories paint a false picture of meritocracy; everyone who works hard can attain wealth, power, and privilege while ignoring the systemic inequalities that institutional racism provides.

分析

上記の批判的人種理論の定義から、以下のようなことがわかります。

批判的人種理論は世界観

前回の記事で紹介した南部バプテスト連盟(SBC)の最終決議案では、批判的人種理論は「分析ツール」であると言われていました。一方、この定義では「分析レンズ」と言われています。また「批判的人種理論(CRT)は……という認識を持っています」「 CRTは……拒否します」という文言から、批判的人種理論は一種の「世界観」であることがわかります。

そのため、クリスチャンが批判的人種理論を評価するには、批判的人種理論の世界観が聖書の世界観と一致するかを吟味する必要があります。この点についても、本シリーズで後ほど取り上げます。

白人と有色人種に人類を二分

批判的人種理論では、「白人と有色人種」のように、人類を2つのグループに分け、個人ではなく、グループを単位にして考えます。白人でも人種差別的な人と、そうでない人の両方がいますが、そのような区別は関係なく、ひとまとめにします。

MEMO
ちなみに、この考え方は、米国公民権運動の精神に反する考え方です。公民権運動は、黒人と白人を分離する人種隔離政策に反対しました。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の有名な「私には夢がある(I Have a Dream)」という演説は、「黒人も白人も平等」という理念に立ち、「いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢」を語っています3。実際に、人格ではなく、肌の色で人を一方的に判断する批判的人種理論は、白人への逆差別であると指摘されています。

批判対象は米国の体制そのもの

批判的人種理論は、個々の人種差別主義者ではなく、米国の社会構造と体制そのものを人種差別的として批判します(「人種差別がアメリカ社会の構造と体制に組み込まれている」)。

BLM(Black Lives Matter)の活動家や民主党の一部支持者が、「警察を改革せよ(Reform the Poice)」とは言わずに「警察予算を打ち切れ(Defund the Police)」と言うのは、このような考え方が背景にあります。彼らは、個々の警察官を問題にしているのではなく、警察という制度自体を問題にし、その解体を求めていることがわかります。

米国は白人の特権と白人至上主義の上に成り立っている

批判的人種理論は、米国の現在の権力構造が「白人の特権と白人至上主義」の上に成り立っていると主張します。この主張を「批判対象は米国の体制そのもの」という前項と合わせると、合衆国憲法の否定につながります。現在の米国が採用している政治体制は、米国を建国した白人たちが合衆国憲法で定めたものだからです。この点は、批判的人種理論と共にトランプ大統領が非難した「1619プロジェクト」をめぐる動きを見ると具体性を帯びてきます。

「1619プロジェクト」は、ニューヨーク・タイムズ紙による歴史教科書の編纂プロジェクトで、最初の奴隷がアメリカ大陸に到着した1619年から米国の歴史を再構成しています。これはいわば米国の「自虐史観」と呼べるもので、米国の独立戦争は奴隷制度を守るための戦争であったなど、米国は建国時から人種差別の罪にまみれ、奴隷の犠牲の上に設立された国という視点で書かれています。

BLM(Black Lives Matter)運動が全米に広がったのも、批判的人種理論と「1619プロジェクト」の歴史観が精神的支柱となったためと言われています。2020年のBLM運動で引き倒しの対象になった銅像が、リー将軍ら南北戦争時の南部側の軍人や政治家だけでなく、奴隷解放の立役者リンカーンや建国の父祖ワシントン、ジェファーソンにまで広がったのは、そのような背景があります。4

米国建国の父が奴隷制度を推進する人種差別主義者で、奴隷という犠牲の上に米国が建国されたという歴史認識は、米国の礎である合衆国憲法を否定する考えにつながります。実際に、BLMの共同創設者であるアリシア・ガ―ザ(Alicia Garza)は、「憲法を守ると誓う人は、白人至上主義とジェノサイドを守ると誓っているのと同じ」5と語っています。

MEMO
なお、「1619プロジェクト」は、保守派の言論人だけでなく、進歩派の言論人からも多くの歴史事実の歪曲が指摘されており、歴史的な信頼性に欠けるとされています。

自由主義と能力主義を否定

この批判的人種理論の定義では、「自由主義と能力主義の伝統を拒否します」と述べ、「一生懸命働けば誰でも富や権力、特権を手に入れることができる」という米国のアメリカンドリーム的な考え方を全否定しています。

誰もがアメリカンドリームをつかめるわけではなく、貧しい家庭では大学に進学することも困難であるなど、生まれてきた時点で機会が平等ではないことは確かです。ただ、「拒否(reject)」というかなり強い言葉を使って、自由主義と能力主義を全否定している点は、少し立ち止まって考える必要があります。

自由主義は、個人が抑圧されない、自由な活動を重んじる思想です。この自由主義が否定されると、資本主義も、民主主義も成り立ちません。

資本主義は、個人の自由を尊重する自由主義を前提にした経済体制です。経済活動の自由が認められていない社会では、資本主義は成り立ちません。資本主義が成り立たないのであれば、市民革命以前の封建制に戻るか、社会主義、共産主義を採用するしか道はありません。

民主主義も、自由主義を前提にした政治体制です。結社の自由、言論の自由、投票の自由など、自由主義社会で保証されている自由がないと、民主主義は実行不可能です。

また、能力主義を否定するということは、能力のあるなしに関係なくすべての人に同じ待遇を保証する「結果の平等」を主張していることを意味します。つまり、批判的人種主義論は、資本主義を捨て、共産主義国家の実現を目指していることがわかります。明示的に「共産主義国家を目指す」とは言っていませんが、主張を論理的に結びつけていくと、そういう結論になります。

その主張に「白人至上主義に基づいている米国の体制そのものを批判する」という主張と組み合わせると、批判的人種理論は米国の国家体制を変更し、共産主義国家の樹立を目指す一種のマルクス主義革命理論であることがわかります。

まとめ

日本人の立場から言うと、批判的人種理論に惹かれる人の気持ちがわからないでもありません。OECD(先進諸国)の中で、米国は所得格差が最も高く6、唯一国民皆保険制度がなく医療費が最も高い国です7。米国は、もう少し社会主義的な政策に寛容であってもよいのではないかと思うこともあります。また、人種差別が社会に根強く残っていることも事実であろうと思います。

しかし、批判的人種理論の主張は、多くの人が思うような、単に人種差別の撤廃を求めているだけの思想ではありません。もし批判的人種理論の主張通りにするなら、米国は社会主義、共産主義国家になるほかありません。これは米国の従来の価値観とは真っ向から衝突する思想です。批判的人種理論が求めているのは改革ではなく、革命です。トランプ大統領が批判的人種理論を「マルクス主義の教義」と呼ぶのには、十分な根拠があります。

今の時代に共産主義革命を目指すというのは、1991年にソ連崩壊のニュースを直接聞き、共産主義国家の失敗を目の当たりにしてきた世代にとっては、信じられないことかもしれません。1991年に大学生だった筆者は、ベルリンの壁崩壊直後の東ヨーロッパをめぐり、西側諸国と東側諸国の経済格差を直接目にしてきました。共産主義は、ユートピア(理想郷)を約束しながら、実際には全体主義体制で、反体制派に対する粛清の嵐が吹き荒れるディストピア(暗黒郷)であったことも明らかになっています8。ただ、今の若者にはそのような歴史的事実よりも、貧困という現実の方が勝るのかもしれません。

そのようなことを思い、批判的人種理論の教えを読むとき、コロサイ2:8のみことばを思わずにはおれません。

あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。

この記事を書いた人:佐野剛史

参考資料

  1. “What is Critical Race Theory?” (https://spacrs.wordpress.com/what-is-critical-race-theory/)

  2. カリフォルニア大学ロサンゼルス校法科大学院(UCLA School of Law)は、批判的人種理論に特化した全米初のプログラム「Critical Race Studies」を開講している (https://law.ucla.edu/academics/centers/critical-race-studies)。

  3. マーティン・ルーサー・キング・ジュニア「私には夢がある」(1963年)( https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2368/)

  4. “Jefferson Statue Toppled in Portland BLM Action” (https://www.corvallisadvocate.com/2020/jefferson-statue-toppled-in-portland-blm-action/); “A GEORGE Washington statue has been toppled, and an American flag set ablaze by Black Lives Matter protesters” (https://www.thesun.co.uk/news/11904179/george-washington-statue-pulled-down-american-flag-burned-blm-protesters/); “Lincoln Statue With Kneeling Black Man Becomes Target of Protests” (https://www.wsj.com/articles/protesters-take-aim-at-statue-of-lincoln-with-kneeling-ex-slave-11593090836)

  5. “The people vowing to protect the Constitution are vowing to protect white supremacy and genocide.” quoted in Victoria Stroup, “BLM visits Mizzou, says supporting Constitution is white supremacy” (https://www.campusreform.org/?ID=7312)

  6. 厚生労働省「OECD主要国のジニ係数の推移」(https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/17/backdata/01-01-03-01.html)

  7. 厚生労働省「社会保障制度等の国際比較について」(https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12400000-Hokenkyoku/0000076442.pdf)

  8. 大紀元「衝撃の現代史 20世紀で犠牲者最多の殺人とは?」(https://www.epochtimes.jp/p/2017/04/27057.html) など参照

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