> 現代の「使徒」の主張現代の「使徒」の主張
教会は、現代の使徒と預言者によって一致と完成に導かれ、キリストの敵をすべて征服して世界の秩序を回復する。それまで、キリストが再臨することはない。
具体例
聖書は、イエスが再臨するたった1つの条件を啓示している。それは、預言者と使徒が記した預言的な聖書箇所がすべて成就することである。その預言的な聖書箇所の1つが今論じている内容で、五役者1が各自の役割を果たしてキリストの教会が完全に回復し、しみ一つない栄光の教会、すべてに勝利する教会となり、キリストの敵をすべて征服してキリストの足下に置くことである。2(ビル・ハモン)
The Bible reveals only one thing that will motivate Jesus to return and that is the fulfilling of all prophetic scriptures written by the prophets and apostles. One of those prophetic scriptures is the one we’re discussing, which states that all fivefold ministers must function until Christ’s Church is a fully restored Church, a glorious spotless Church, an overcoming-all-things Church, which subdues all Christ’s enemies and places them under His feet.
使徒3:21では、教会が万物を回復するまで、イエスは天から解き放たれて地上に戻ってくることができないと力強く宣言されている。まだイエス・キリストが戻ってきていないとすれば、さらに回復が起こらなくてはならないということになる。最後の回復が起きた瞬間に、キリストは戻ってこられるのである。3(ビル・ハモン)
Acts 3:21 emphatically declares that Jesus cannot be released from Heaven to come back to earth until all things are restored by the Church. If Christ Jesus has not returned then that means there is more restoration that must take place. The moment the last thing is restored then Christ will return.
> 実際実際
聖書に記されている再臨の条件は、教会が一致と完成に導かれて世界の秩序を回復することではなく、イスラエル(ユダヤ民族)がメシア(キリスト)を拒否した罪を告白し、メシアに戻って来てくださいと懇願することです。
> 解説解説
新使徒運動(NAR)では「終末時代には使徒と預言者の指導によって教会が一致し、成長した結果、教会がこの世界を統治し、世界に大リバイバルが起きる」というようなことがよく言われます。しかし、聖書の終末預言を見ると、そういった教えと矛盾する記述が数多く見つかります。
1. リバイバルか背教か
(1)教会の一致と成長がもたらすもの
聖書には、現代の使徒と預言者によって一致と完成に導かれた教会が、キリストの敵をすべて征服して世界の秩序を回復するという教えはどこにも記されていません。ハモンが言う「使徒と預言者を含む五役者によって教会が一致と成長に導かれる」という教えの根拠はエペソ4:11~13にあります。
11 こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。 12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。 13 私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。
そして、その結果として何が起こるかについては、次の14~15節に書かれています。
14 こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、 15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。
ここでは、教会が世界を支配するようになることも、再臨のことも触れられていません。言われているのは、間違った教えに惑わされず、愛をもって真理を語るようになるということです。
現代の使徒運動は、聖書的に根拠のない新しい教えに吹き回されて、真理から離れていく傾向があるという点で、エペソ4:14~15で書かれていることとは逆の現象が起きています。この点を見ても、現代に使徒と預言者がいて、教会の一致の成長にはこの両者の存在が欠かせないという主張が空疎なものであることがわかります。
聖書では、教会が一致と完成に導かれて世界の秩序を回復するという教えとは逆に、教会は堕落して背教に向かっていくという預言が数多く見つかります。この預言について詳しく見ていきましょう。
(2)背教の預言
終わりの時代には、人々は健全な教えから耳を背けるようになり、教会は背教の教会となると言われている預言が聖書には多数あります。1テモテ4:1~2では、次のように記されています。
1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。 2 それは、良心が麻痺した、偽りを語る者たちの偽善によるものです。
また、2テサロニケ2:3では次のように書かれています。
3 どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。
この箇所で、「不法の者(滅びの子)」とは反キリスト、「主の日」とは大患難時代のことを意味しています。大患難時代とは、神の裁きが地上に下る終末時代の最後の7年間のことで、その後に世の終わりが来ます。
上記2つの聖書箇所を整理すると、聖書は終末時代に起こる出来事を次の順序で記しています。
- 信者が悪霊の教えに心を奪われ、信仰から離れる。
- 教会の背教が起こる。
- 反キリストが現れる。
- 大患難時代が来る。
- 世の終わりが来る。
ここには、世の終わりに教会が世界で勝利を収め、世界大のリバイバルが起こる余地はありません。聖書によると、むしろ、教会は堕落し、背教の教会となっていくことが預言されています。
(3)背教の行き着く先
黙示録では、大患難時代には、「大バビロン」「大淫婦」と呼ばれる偽の宗教が反キリストと共に世界を支配すると言われています。黙示録17:1~2には次のような記述があります。
1 また、七つの鉢を持つ七人の御使いの一人が来て、私に語りかけた。「ここに来なさい。大水の上に座している大淫婦に対するさばきを見せましょう。 2 地の王たちは、この女と淫らなことを行い、地に住む人々は、この女の淫行のぶどう酒に酔いました。」
この「淫行」という言葉は、イスラエルが他国の神々を慕って偶像礼拝した時によく使われる用語で、真の神を信じているはずの人々が、偽の宗教を信じ、偶像の神々に頼ることを指します(レビ17:7、レビ20:5~6、申命記31:16、士師記8:27、28、2歴代誌21:11~13、エレミヤ3:6~9など)。つまり、世の終わりに世界を支配することになる宗教は偽の宗教なのです。
また、真の教会はこの偽の宗教によって迫害されることも預言されています(黙示録17:6)。
6 私は、この女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。
つまり、教会が世の終わりに世界を支配しているなら、それは偽の教会であり、真の信者はその偽りの教会に迫害されることになるのです。このような預言があるので、教会が世界を征服して秩序を回復するといった教えに対しては警戒感を抱かざるをえません。
(4)教会が進むべき道
そのように教会が背教に向かうと預言されている中で、クリスチャンはどのように歩むべきでしょうか。2テサロニケ2:9~12では、次のように記されています。
9 不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、 10 また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。 11 それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。 12 それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。
まず注意すべきは、「あらゆる力、しるしと不思議」を行うと主張する人々です。このような「しるしと不思議」を追い求め、そのような力ある指導者こそ神の人だと信じるような信仰生活を送っていると、反キリストの「悪の欺き」によって誤った道を歩む可能性があります。
ここで大事なのは、「真理を愛をもって受け入れる」ことです。「真理」とは、聖書では第一義的に神のみことば(聖書)を指します(ヨハネ17:17)。終末時代が深まる中で、私たちに必要なことはみことばの真理を学び、しっかりとその真理を保つことです。
2. 再臨の条件は何か
教会が一致と完成に導かれて世界の秩序を回復することが再臨の条件でないとすれば、再臨はどのような条件で起こるのでしょうか。
冒頭に紹介した引用文で、ビル・ハモンは次のように語っています。
使徒3:21では、教会が万物を回復するまで、イエスは天から解き放たれて地上に戻ってくることができないと力強く宣言されている。まだイエス・キリストが戻ってきていないとすれば、さらに回復が起こらなくてはならないということになる。最後の回復が起きた瞬間に、キリストは戻ってこられるのである。
ハモンは、教会が万物を回復するまで再臨はないと断定しています。果たして本当でしょうか。次は、ハモンが自身の主張の根拠として引用している使徒3:21を吟味します。
(1)使徒3:21の解釈
使徒3:21では、次のように語られています。
21 このイエスは、神が昔からその聖なる預言者たちの口を通して語られた、万物が改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。
まずは、使徒3:21の文脈を確認しましょう。
1)使徒3:21の文脈
使徒3:21は、エルサレム神殿の美しの門のところにすわっていた生まれつき足の不自由な物乞いがいやされた後、ペテロが語ったメッセージの一部です(使徒3:1~26)。その場に居合わせたイスラエル人はこの出来事に驚いて、ペテロの話に耳を傾けました。この文脈を見ると、使徒3:21の言葉は、まだイエスを信じていないイスラエル人に向けて語られたものであることがわかります。ペテロは使徒3:12~13で次のように語り始めています。
12 これを見たペテロは、人々に向かって言った。「イスラエルの皆さん、どうしてこのことに驚いているのですか。どうして、私たちが自分の力や敬虔さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。 13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたはこの方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
使徒3:21はイスラエル人に語られたという文脈をまずおさえておかないと、間違った解釈を導き出してしまうことになります。
2) 「万物が改まる時」
使徒3:21の文脈が理解できたところで、この中の「万物が改まる時」(「万物の回復」)とは何かを指しているかを確認したいと思います。
日本語訳では「改まる」と動詞に訳されている単語は、ギリシャ語の原語では「アポカタスタシス」という名詞です。この単語は英語訳ではよく「restoration」(回復)と訳されています。たとえば、英語訳のASV(American Standard Version)では「the times of restoration of all things」と訳されています。
実は、この「アポカタスタシス」と同様の意味を持つ単語が、使徒の働きの先行箇所である使徒1:6で使われています。ここでは、アポカタスタシスの動詞形である「アポカティスステイミ」という単語が以下の文脈で使われています。
6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
ここで「再興して」と訳されている部分の原語が「アポカティスステイミ」です。ASVでは、太字部分は「restore the kingdom to Israel」と訳されています。英語訳では、「restoration」(回復)と「restore」(回復する)と、原語と同じく共通の語根を持つ名詞と動詞として訳されているのがわかります。
この使徒1:6でペテロが語っている「イスラエルのための国」とは、旧約聖書の預言者が預言していた「メシア的王国」(御国)のことです。メシア的王国とは、メシア(ギリシャ語で言うとキリスト)が来てイスラエルを再興し、地上をメシアが統治する王国のことです。この王国は、キリスト教会では一般的に「千年王国」と呼ばれています。この時代に、万物(自然界)が回復することも預言されています(イザヤ11:6~9、65:17~25)。
また、「万物が改まる時」が、教会が世界の秩序を回復する時ではなく、メシア的王国の到来を指していることは、 使徒3:21で「神が昔からその聖なる預言者たちの口を通して語られた」と言われていることからもわかります。旧約時代の預言者には、教会のことは啓示されていませんでした。教会は、新約時代になって初めて啓示されたものであって(マタイ16:18)、パウロなどの使徒に啓示によって与えられた教えです(ローマ16:25~26,エペソ3:1~9、コロサイ1:25~26)。コロサイ1:25~26で、パウロは次のように語っています。
25 私は神から委ねられた務めにしたがって、教会に仕える者となりました。あなたがたに神のことばを、 26 すなわち、世々の昔から多くの世代にわたって隠されてきて、今は神の聖徒たちに明らかにされた奥義を、余すところなく伝えるためです。
以上を整理すると以下のようになります。
- 使徒3:21は、教会(クリスチャン)ではなく、イスラエル人に対して語られている。
- ペテロは、教会が地上の秩序を回復すると語っているのではなく、預言者を通してイスラエルに約束されていたメシア的王国が樹立されることを語っている。
- 万物の回復とは、キリストが再臨してメシア的王国を樹立することで自然界が回復することを指している。
それでは、このキリストの再臨とメシア的王国の樹立はいつ実現するのでしょうか?
(2)聖書が語る再臨のタイミング
聖書には、キリストの再臨が起こるタイミングが明確に記されています。マタイ23:37~39で、イエスは次のように語っています。
37 エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。38 見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。39 わたしはおまえたちに言う。今から後、『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」
イスラエル(ユダヤ人)は、二千年前にイエスが地上に来られた時、イエスをメシアとして受け入れることを拒否しました。しかし、この聖句でイエスは逆説的に、「祝福あれ、主の御名によって来られる方に」とイスラエルが言う時に、ご自分は戻ってこられると語っています。つまり、イスラエル民族がイエスをメシア(救い主)として受け入れる時に、イエスは再臨するのです。
これは旧約聖書でも預言されています(ゼカリヤ12:10)。
10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。
この聖句は、預言者ゼカリヤがイスラエルの民に語った主(ヤハウェ)のことばです。イスラエルの民が「自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て」というところで、イエスのことを指していることがわかります。イエスは十字架上で死に、脇腹を槍で突かれました。また、突き刺された者のことをヤハウェが「わたし」と読んでいますので、これは三位一体の神であるイエス以外にあり得ないことがわかります。
このゼカリヤ12:10は、ひとまとまりの預言的啓示になっているゼカリヤ12~14章の文脈の中で語られており、ゼカリヤ12~14章は次のような構成になっています。
- 12章「イスラエルの救い」
- 13章「イスラエルの民族的清め」
- 14章「メシアの再臨とメシア的王国の確立」
このように、イスラエルがイエスをメシアとして受け入れて救われ、民族的に新生した後で、メシアが再臨し、メシア的王国が樹立されるのです。つまり、キリストの再臨の条件は、イスラエル民族がイエスを拒否したことを悔い改め、民族的な救いを受けることです。
まとめ
以上の考察から、以下の3つのことが言えると思います。
(1)置換進学の影響
ビル・ハモンなどの新使徒運動の教えを見ていると、イスラエルに対するみことばを教会に対する言葉として読み換える「置換神学」の影響を色濃く受けていることがわかります。教会中心の読み方とも言えます。しかし、そうした読み方をしていると、文脈を無視して聖書がまったく言っていないことを教えてしまう誤りに陥りやすくなります。
この置換神学的な読み方により、ハモンは聖書が語る終末論とはまったく違う終末論を構築してしまっています。黙示録を読むと、世の終わりに来る大患難時代は、教会ではなく、イスラエルを中心に展開されることがわかります。大患難時代について記している黙示録6章~18章では、イスラエルの子孫である14万4千人(7:4~8、14:1~5)、エルサレムの二人の証人(11:3~13)、シオンの山(14:1)など、ユダヤ人やイスラエルの土地に言及する箇所が多数出てきますが、教会という言葉は一度も出てきません。
(2)ユダヤ人伝道の重要性
このQ&Aの学びでわかるもう1つのことは、ユダヤ人伝道の重要性です。ユダヤ民族が救われるのは、福音を伝える人がいるからです。今は、ユダヤ人伝道が活発に行われている時代です。特に、One for Israelなど、インターネットなどのメディアを使った宣教が効果的に行われています。ハーベストタイムでもユダヤ人伝道献金を受け付けており、One for IsraelやAriel Ministriesなど、ユダヤ人伝道団体を支援しています。キリストの再臨を求めるクリスチャンの方には、ユダヤ人の救いのために祈り、行動を起こされることをおすすめします。
(3)人間を神と同列に置く神学の危険性
新使徒運動の多くの指導者は、後の雨運動の「Manifest Sons of God」と呼ばれる教理の影響を受けており、ビル・ハモンもその内の1人です。「Manifest Sons of God」は、終わりの時代には「勝利者(overcomer)」と呼ばれるクリスチャンのエリート集団が出現し、死ぬことがない栄光の体を受け、初代教会の使徒よりも大きなしるしと不思議を行って世界を支配し、史上最大のリバイバルを起こすという教えです。また、この信者のエリート集団は神の性質を持つようになり「神になる」と教える人々もいます(記事「後の雨運動(2)Manifest Sons of God」を参照)。そのような思想的なベースがあるので、「教会が万物を回復する」という、人間にはとうていできないようなことをできると教える発想が出てくるのです。万物の回復はキリストが実現することで、人間ができるようなことではありません。このような教えは人間を神と同列に置く神学で、異端的な教えです。
私たちの希望は、現代の使徒や預言者ではなく、再び地上に来られる救い主イエス・キリストにあります。
20 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。 21 キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。
> 参考文献参考文献
- Thomas Ice, “The Latter Rain Revival Movement”, Pre-Trib Research Center (https://pre-trib.org/latter-rain-revival-movement/message/the-latter-rain-revival-movement/read)
- 中川健一『クレイ聖書解説コレクション ヨハネの黙示録』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ、2015年)
記事を書いた人:佐野剛史