前回の記事では、マルクス主義が世界のさまざまな分野に浸透しており、教会もその例外ではないことを見てきました。そこで問うべき質問は「マルクス主義とキリスト教は両立するのか」ということです。もし両立しないのであれば、教会にマルクス主義を受け入れることは背教につながる行為になります。そこで、このシリーズでは、マルクス主義と聖書的キリスト教の違いを見て、両者が共存可能なのかを見ていきます。今回は、マルクス主義の宗教観(神観)について見ていきます。
> マルクス主義の宗教観マルクス主義の宗教観
マルクスの「宗教は、大衆のアヘンである」という言葉はよく知られています。そのため、マルクスは宗教に批判的であると思われていますが、それに対し、マルクスは宗教を否定していないという次のような意見もあります。
マルクスは、25歳の時の論文「ヘーゲル法哲学批判・序説」のなかで、「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」と書いたことがあります。
この文脈からも明らかなように、アヘンを単純に毒薬という意味で使っているのではありません。アヘンは乱用すれば有害ですが、アヘンの成分から作られるモルヒネは、鎮痛剤として使われています。1
マルクスはアヘンの効能も含めて語っているのであり、宗教を全否定しているのではないという主張です。ただ、この主張はマルクスのそれ以外の主張も併せて考える必要があります。
宗教について、マルクスは次のようにも語っています。
人が幸せの幻想として抱く宗教を廃絶することは、人が本当の幸せを手に入れるための必要条件である。2
The abolition of religion as the illusory happiness of man is a requisite for their real happiness.
ここでマルクスは本当の幸せを手に入れるためには、宗教を廃絶する必要があると語っています。また、マルクスは次のようにも語っています。
私たちは、宗教、国家、国、愛国心に関するあらゆる一般的な考え方に戦いを挑む。神という概念は、倒錯した文明の基調をなす考えであり、破壊されなければならない。3
We make war against all prevailing ideas of religion, of the state, of country, of patriotism. The idea of God is the keynote of a perverted civilization. It must be destroyed.
以上の発言から、マルクスは宗教、特に神という概念を葬り去る必要があると考えていたことがわかります。
また、マルクスは信教の自由について次のように語っています。
良心の自由や宗教の自由といった理念は、意識の領域における自由競争の支配を言いあらわしたものに他ならない。……共産主義革命は、これまで受け継がれてきた所有諸関係との最も根本的な断絶である。したがって、その発展過程の中でこれまで受け継がれてきた諸思想との最も根本的な断絶が生じるのも当然である。4
少しわかりにくい文章ですが、「良心の自由や宗教の自由」はマルクスの否定する「自由競争の支配」の一つであるとし、「共産主義革命」は、これまでの諸思想を断絶すると言っていることから、良心の自由や宗教の自由は共産主義社会では認められないと考えていることがわかります。この主張は、ソ連や中国、北朝鮮などの共産主義国では、宗教団体が共産党の厳しい監視下に置かれ、教理の内容や聖職者の任命といった宗教の根幹部分にも共産党の意向が反映される実情とも合致しています。
以上見たように、マルクス主義の提唱者であるマルクスは、宗教全般を否定し、特に「神」という概念を滅ぼす必要があると強く主張しています。それではマルクスはなぜそのような主張をしたのでしょうか。次はマルクスの宗教観の背景になっている考え方を見ていきたいと思います。
> マルクスの信仰マルクスの信仰
マルクスの宗教観を知るために考える必要があるのが、マルクス自身の信仰です。マルクス自身の信仰遍歴を見ることで、マルクスの宗教に対する見方がどのような思考に裏付けられているかがわかります。この点がわかると、マルクス主義の宗教観もよく理解できるようになります。この点を次に見ていきましょう。
若き日のマルクスの信仰
マルクスは無神論者であると一般に考えられているので、意外に思われる方が多いと思いますが、若い頃は熱心なキリスト教徒でした。マルクスは次のような言葉を残しています。
キリストの愛を通して、私たちは心の中でつながっている兄弟たちに同時に心を向けます。その兄弟たちのために、キリストはご自身を犠牲にしてくださったのです。5
Through love of Christ we turn our hearts at the same time toward our brethren who are inwardly bound to us and for whom He gave Himself in sacrifice.
次もマルクスが書いた詩です。
キリストと結び付くことで、心の内は高揚し、悲しみの中でも慰めを受け、静かな確信を得、そして、野心や虚栄のためではなく、ただキリストのために、人の愛、すべての高貴なもの、偉大なものを受け入れやすい心を得ることができるのです。6
Union with Christ could give an inner elevation, comfort in sorrow, calm trust, and a heart susceptible to human love, to everything noble and great, not for the sake of ambition and glory, but only for the sake of Christ.
若い頃にマルクスは詩人を目指していたと言われ、詩や戯曲を残しています。マルクスは詩人のハインリヒ・ハイネと親交が深かったことで知られていますが、詩という共通項があったからかもしれません。しかし、マルクスの書く詩の内容は成長するに従って変化していきます。
神への反抗
熱心なキリスト教徒であったマルクスですが、ある時から神に対する反抗をあらわにした詩を書くようになります。以下はそのような詩の一例です。7
神は私のすべてを奪った。
運命の呪いと苦しみの中で
神の世界はすべて忘却のかなたに消えてしまった。
私に残されているのは復讐のみ。
私は頭上高くに王座を築く。
その頂は冷たく、途方もない。
So a god has snatched from me my all,
In the curse and rack of destiny
All his worlds are gone beyond recall.
Nothing but revenge is left to me.
I shall build my throne high overhead,
Cold, tremendous shall its summit be.
マルクスに何が起こったのかは不明ですが、いつの頃からか、マルクスの詩は神への憎悪に満ちたものになります。理由は、詩人として認められることがなかった、ユダヤ人として受けた差別が理由であるなどと言われていますが、真相はわかりません。最終的に、マルクスは次のように宣言するようになります。8
天を支配する者に復讐したい
I wish to avenge myself against the One who rules above
神への復讐を求めるマルクスは、神のようになるという思いも抱くようになります。次の詩もマルクスの作品です。9
それは最高のものを発見したから。
そして、瞑想を通して、最も深いことを発見したからだ。
私は神のように偉大である。
私は神のように暗闇を身にまとう。
Because I discovered the highest,
And because I found the deepest through meditation,
I am great like a God;
I clothe myself in darkness like Him.
熱心なキリスト教徒として出発したマルクスは、神に反抗し、最後には神のようになることを夢想するに至ります。注目する必要があるのは、マルクスが共産主義思想に染まるのは、こうした神への反抗を表明した後の時代だという点です。実際に、キリスト教信仰から離れた後、マルクスが「ライン新聞」の編集長を務めていた頃、「単に理論的なものであっても、共産主義の存在は許せない。実践などはとんでもない。いずれにせよそんなものは不可能だ」10と語っています。
マルクスが共産主義を受け入れるのは、共産主義を唱えていたモーゼス・ヘスと出会った後のことです。つまり、マルクスは共産主義社会という理想社会を築くために宗教が妨げになると考えて宗教を批判したのではなく、神への反抗の末に共産主義という思想にたどり着いたということです。この点について、共産主義国家のルーマニアでキリストの福音を伝え、合計14年間投獄されていたリチャード・ワームブランド(Richard Wurmbrand)牧師は次のように語っています。11
マルクスが人類を救済するという崇高な社会的理想を抱き、この理想を実現する上で宗教が妨げになると考え、そのために宗教に反対する態度を取ったという見方には裏付けがない。その反対に、マルクスは神や神々という概念を嫌悪していた。マルクスは、神を追い落とす人物になると心に決めていた。それはすべて社会主義を信奉する前のことである。社会主義は、プロレタリア(労働者)や知識人に、この悪魔のような理想を抱かせるための餌でしかなかったのである。……初期のソビエトが「資本家を地上から、神を天上から追い出そう」というスローガンを掲げたのは、カール・マルクスの遺志を受け継いだに過ぎない。
There is no support for the view that Marx entertained lofty social ideals about helping mankind, saw religion as a hindrance in fulfilling this ideal, and for this reason embraced an antireligious attitude. On the contrary, Marx hated any notion of God or gods. He determined to be the man who would kick out God – all this before he had embraced socialism, which was only the bait to entice proletarians and intellectuals to embrace this devilish ideal…When the Soviets in their early years adopted the slogan, “Let us drive out the capitalists from earth and God from heaven,” they were merely fulfilling the legacy of Karl Marx.
ワームブランドは、マルクスが宗教を否定したのは、社会主義思想を信奉する前のことであると明言しています。そのため、宗教を否定する思想はマルクス主義の核心であり、切っても切り離せないものということになります。そのようなマルクス主義を受け入れた国々で宗教に対する弾圧が行われたのはごく自然なことである、というのがワームブランドの主張です。
また、ワームブランドは、マルクスは宗教を否定していたが、人間を超越した存在については認めていたということも語っています。その点を次に見ていきます。
> メイドの不思議な証言メイドの不思議な証言
マルクスには、妾(めかけ)でもあったヘレーネ・デムートというメイドがいました。このメイドが、晩年のマルクスについて次のような不思議な証言をしています。12
彼(マルクス)は神を敬う人でした。大病を患ったときには、部屋で一人、ロウソクの灯りの前で、額に巻尺のようなものを巻いて祈っていました。
He was a God-fearing man. When very sick, he prayed alone in his room before a row of lighted candles, tying a sort of tape measure around his forehead.
このメイドの証言から、マルクスは自分を超越した存在への信仰は失っていなかったことがわかります。ただ、その祈りの対象は何であったのかはわかりません。「額に巻尺のようなものを巻いて」と言われているのは、正統派ユダヤ人が祈りの時に額に着用する「フィラクテリー(聖句の入った箱)」であるかもしれません。そうすると、ユダヤ人であるマルクスは晩年に先祖の宗教であるユダヤ教に回帰したという見方もできます。ただ、ワームブランド牧師は、親交の深かったハインリヒ・ハイネやバクーニン、ブルードンなどが悪魔崇拝者であったことや、息子が手紙でマルクスに「悪魔様」と呼びかけていることなどを挙げ、マルクスは悪魔崇拝者であった可能性を指摘しています。それを裏付けるような「演者」という次のような詩をマルクスは書いています。13
地獄のような蒸気が立ち上り、脳に充満する。
気が狂い、心がすっかり変わってしまうまで。
この剣が見えるか?
暗闇の君(きみ)が私に売ったものだ。
私のために、暗闇の君は時刻を打ち、しるしを与える。
私はさらに大胆に死の舞踏を演じるのだ
The hellish vapors rise and fill the brain,
Till I go mad and my heart is utterly changed.
See this sword?
The prince of darkness sold it to me.
For me he beats the time and gives the signs.
Ever more boldly I play the dance of death.
マルクスが悪魔崇拝者であったかどうかはここで追求しませんが、マルクスの信仰について次のことが言えるのは確かです。
- 若い頃はキリスト教徒だった
- 経緯は不明だが、キリスト教信仰を捨てた
- 神に反抗し、みずからが神のようになるというサタンと同じ罪を犯した
- 共産主義者だから神を拒否したのではなく、共産主義を受け入れる前から神を拒否していた
- 神を拒否していたが、超越的な存在を信じていた
マルクスの信仰について、ワームブランド牧師は次のようにまとめています。14
ここで強調しておきたいのは、マルクスとその同志たちは神に反抗してはいたが、現在のマルクス主義者が主張するような無神論者ではなかったということである。つまり、彼らは公然と神を糾弾し、非難しながらも、自分たちが信じる神を憎んでいたのである。彼らが否定しようとしたのは、神の存在ではなく、神の主権であった。
It is essential at this point to state emphatically that Marx and his comrades, while anti-God, were not atheists, as present-day Marxists claim to be. That is, while they openly denounced and reviled God, they hated a God in whom they believed. They challenged not His existence, but His supremacy.
ここまで見てきて言えることは、マルクスの思想の中心には神の否定と憎悪があることです。それが、共産主義思想の宗教批判につながっています。その逆ではありません。また、ワームブランドはマルクスが悪魔崇拝者であったと指摘していますが、残っている文献から、その可能性は否定できないと思います。
> まとめまとめ
今回はマルクスの信仰を中心に、マルクス主義がキリスト教と両立するかを見ました。マルクスの共産主義思想と信仰について見れば、マルクス主義がキリスト教とは相容れない思想であることは明らかです。クリスチャンは、マルクス主義に基づく共産主義や共産党を、聖書というレンズで見る必要があります。次の記事では、マルクス主義思想と聖書のみことばを比較して、両者の世界観の違いを見ていきたいと思います。
この記事を書いた人:佐野剛史
> 参考資料参考資料
- Richard Wurmbrand, Marx and Satan (CROSSWAY BOOKS, 1986)
- ”Is Marxism compatible with the Christian faith?” (https://www.gotquestions.org/Marxism-Christian.html)
-
日本共産党「マルクスが言った『宗教はアヘン』とは?」(https://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-07-16/20100715faq09_01_0.html) ↩
-
Richard Wurmbrand, Marx and Satan (CROSSWAY BOOKS, 1986), p. 10 ↩
-
Richard Wurmbrand, Marx and Satan (CROSSWAY BOOKS, 1986), p. 59 ↩
-
カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『共産党宣言』(光文社)Kindle版 ↩
-
Richard Wurmbrand, Marx and Satan (CROSSWAY BOOKS, 1986), p. 11 ↩
-
Richard Wurmbrand, Marx and Satan (CROSSWAY BOOKS, 1986), p. 11 ↩
-
Karl Marx, “Des Verzweiflenden Gebet” (“Invocation of One in Despair”), Karl Marx, Archiv fur die Geschichte des Sozialismus und der Arbeiterbewegung (Archives for the History of Socialism and the Workers’ Movement), MEGA, I, i (2), p. 30 ↩
-
同上 ↩
-
Quoted in Deutsche Tagespost, West Germany, December 31, 1982. ↩
-
Karl Marx, Die Rheinische Zeitung (Rhine Newspaper), “Der Kommunisrnus und die Augsburger Allgemeine Zeitung (Communism and the Augsburger Allgemeine Newspaper)” ↩
-
Richard Wurmbrand, Marx and Satan (CROSSWAY BOOKS, 1986), p. 25 ↩
-
Sergius Martin Riis, Karl Marx, Master of Fraud (New York: Robert Speller, 1962), p. 11 ↩
-
Karl Marx, “Spielmann” (“The Player”), Ope cit., Deutsche Tagespost, pp. 57, 58. ↩
-
Richard Wurmbrand, Marx and Satan (CROSSWAY BOOKS, 1986), p. 29 ↩