シリーズの最後となる今回の記事では、欽定訳聖書(King James Version:KJV)と現代版聖書(新改訳2017やNASB、NIV)を比較して、どのような違いがあるかを見ていきます。
> 聖書の訳文の比較聖書の訳文の比較
それでは、KJV Only運動が他の聖書では「改ざんされている」と指摘する代表的な箇所を見ていき、その主張が正しいかどうかを確かめていきましょう。
ほかの箇所で同じことが言われている聖書箇所
KJVと現代版聖書で違いがある箇所の多くは、前後の箇所または別の箇所で同じことが言われているものです。
マルコ9:43~44
43 And if thy hand offend thee, cut it off: it is better for thee to enter into life maimed, than having two hands to go into hell, into the fire that never shall be quenched: 44 Where their worm dieth not, and the fire is not quenched. (KJV)
43 もし、あなたの手があなたをつまずかせるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろっていて、ゲヘナに、その消えない火の中に落ちるより、片手でいのちに入るほうがよいのです。ゲヘナでは、彼らを食らううじ虫が尽きることがなく、火も消えることがありません。 (KJVを日本語訳した場合)
43 もし、あなたの手があなたをつまずかせるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろっていて、ゲヘナに、その消えない火の中に落ちるより、片手でいのちに入るほうがよいのです。(44節欠如)(新改訳2017)
新改訳2017の訳を見ると、太字部分の44節が抜け落ちていることがわかります。これをもって、KJV Only運動の人々は、聖書の改ざん者が地獄に行くことに対する44節の警告を削除したと主張します。しかし、現代版聖書で前後の文脈を見ると、44節とまったく同じ文が48節にあることがわかります。
48 ゲヘナでは、彼らを食らううじ虫が尽きることがなく、火も消えることがありません。(新改訳2017)
このことから、現代版聖書で重要な言葉が意図的に削除されているわけではないことがわかります。KJVの底本で採用されている比較的新しい写本では、聖書の別の箇所と表現を合わせるために言葉をコピーしてきて補足したと考えることもできます。別の箇所から言葉をコピーしてきたと思われる箇所はほかにもあり、次のような箇所を挙げることができます。以下の太字の箇所は、現代版聖書では節が欠けているか、異本にある文として記載されています。かっこの中の聖書箇所がオリジナルと思われる箇所です。
マタイ17:21(マルコ9:29)、マタイ18:11(ルカ19:10)、マタイ23:14(マルコ12:40、ルカ20:47)、マルコ11:26(マタイ6:15)、マルコ15:28(ルカ22:37、イザヤ53:12)、ルカ17:36(マタイ24:40)、ルカ23:17(マタイ27:15、マルコ15:6)
上記の太字の箇所は、現代版聖書には含まれていませんが、聖書のほかの箇所に同じ内容が書かれていますので、聖書全体のメッセージは変わりません。
マルコ10:21
…thou shalt have treasure in heaven: and come , take up the cross, and follow me (KJV)
…そうすれば、あなたは天において宝を持つようになります。そして、さあ、十字架を取り上げて私について来なさい。(TR 新約聖書)
…そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。(新改訳2017)
現代版聖書では「十字架を取り上げて」の部分がありません。そのため、KJV Only運動は、主の弟子となるために自分に課せられた十字架を背負うという重要な教えがカットされていると主張します。
しかし、イエスの弟子となるために自分の十字架を背負うことを教えている箇所は、次のマルコ8:34のようにほかにもあるので、聖書が語っているメッセージは変わりません。
それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。(新改訳2017)
ルカ4:4
It is written , That man shall not live by bread alone, but by every word of God (KJV)
するとイエス様は彼に向かって答えて言われた。「こう書かれている。『人は、パンだけによって生きるのではなく、神のあらゆることばによってである』」(TR 新約聖書)
イエスは悪魔に答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」 (新改訳2017)
新改訳2017には、「神のあらゆることばによって」という部分がありません。そのため、KJV Only運動は「教理上の重要な争点であるこの箇所を削除することは大問題である。KJVは、旧約聖書を重要ではないとする教えから信者を守っている」と主張します。しかし、次のマタイ4:4のように、別の福音書で同じことが言われており、聖書全体のメッセージとしては変わりません。
イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」(マタイ4:4、新改訳2017)
また、旧約聖書の重要性はマタイ5:18などでも明言されています。
ヨハネ6:47
Verily, verily, I say unto you, He that believeth on me hath everlasting life (KJV)
あなたがたに言います。私を信じている人は、永遠の命を持っています。(TR 新約聖書)
まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。(新改訳2017)
KJV Only運動は「現代版聖書では、だれを信じるのか、だれにより頼むべきかがすっぽり抜け落ちている。イエスは『私を信じている人は』と言われたのであり、現代版聖書では誰でも信じればいいということになる。これは重大なことである」と主張します。
しかし、次のヨハネ3:16など、聖書の数多くの箇所でイエスを信じる者が永遠のいのちを持っていると明言されていますので、聖書全体のメッセージには影響ありません。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新改訳2017)
以上の箇所は、削除されていたとしてもほかの箇所で同じことが言われているので、改ざんされたと考えるのは難しいでしょう。もし上記の言葉を削除して改ざんしたなら、どうしてほかの箇所ではそうしなかったのでしょうか。改ざんなら、同様の箇所はすべて削除するのではないでしょうか。KJV Only運動が改ざんを主張する箇所の大部分は、この部類に入ります。
補足説明が本文に組み込まれたと思われる聖書箇所
ヨハネ5:4
4 For an angel went down at a certain season into the pool, and troubled the water: whosoever then first after the troubling of the water stepped in was made whole of whatsoever disease he had. (KJV)
(欠節)
注釈:異本に 3 節後半、 4 節として、次の一部または全部を加えるものもある。〔彼らは水が動くのを待っていた。 4 それは、主の使いが時々この池に降りて来て水を動かすのだが、水が動かされてから最初に入った者が、どのような病気にかかっている者でも癒やされたからである。〕(新改訳2017)
聖書の写本では、本文の補足説明が余白に書かれていることがあります。このヨハネ5:4は、そのような補足説明を後世の写本写筆者が本文に追加する文と誤解して、本文に入れた可能性があります。そのため、古い写本にはないが、比較的新しい写本には入っているということになります。いずれにせよ、この節があってもなくても聖書の教理には影響がない箇所ですので、正統的な神学を否定するために削除したとは考えにくい箇所です。
写本写筆者の判断で修正したと思われる聖書箇所
マルコ1:2
2 As it is written in the prophets, Behold, I send my messenger before thy face, which shall prepare thy way before thee. 3 The voice of one crying in the wilderness, Prepare ye the way of the Lord, make his paths straight. (KJV)
2 預言者たちの書に、『見よ、私はあなたの顔の前に私の使いを遣わす。彼はあなたの前であなたの道を整える。3 荒野で叫ぶ者の声。主の道を備えよ。彼の路を真っ直ぐにせよ』…(TR新約聖書)
2 預言者イザヤの書にこのように書かれている。「見よ。わたしは、わたしの使いをあなたの前に遣わす。彼はあなたの道を備える。3 荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。』」… (新改訳2017)
KJVでは「the prophets(預言者たち)」となっているところが、新改訳2017では「預言者イザヤの書」となっています。しかし、実際に引用されているのはイザヤ40:3とマラキ3:1です。そのため、KJV Only運動は「『預言者たち』と言っているKJVが正しく、『預言者イザヤの書』と言っている現代版聖書は間違っている。現代版聖書は、聖書が間違ったことを言っていると読者に思わせてしまう」と主張します。
しかし、複数の預言者の言葉を引用するときに、有名な方の預言者の名前を挙げるというのはほかの聖書箇所でも見られることです。たとえば、マタイ27:9ではこう言われています。
Then was fulfilled that which was spoken by Jeremy the prophet, saying, And they took the thirty pieces of silver, the price of him that was valued, whom they of the children of Israel did value; (KJV)
そのとき、預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの子らに値積もりされた人の価である。
ここではKJVも新改訳2017も「預言者エレミヤ」の名前を挙げていますが、引用している言葉は主にゼカリヤ書11:12~13からの引用であって、エレミヤ書は18:1~4の内容をほのめかしている程度です。
マルコ1:2は、後の時代の写本写筆者が、KJV Only運動の人々と同様にマルコの矛盾に気が付いて、「預言者イザヤ」を「預言者たち」に修正したと想像されます。
1ヨハネ5:7~8の「コンマ・ヨハンネウム」
最後に、KJV Only運動が最も問題視する「コンマ・ヨハンネウム」についても言及しておく必要があります。1ヨハネ5:7~8にある「コンマ・ヨハンネウム」と呼ばれる箇所(太字部分)は、三位一体を明言している箇所で、現代版聖書訳にはこれが含まれていません。
7 For there are three that bear record in heaven, the Father, the Word, and the Holy Ghost: and these three are one. 8 And there are three that bear witness in earth, the Spirit, and the water, and the blood: and these three agree in one. (KJV)
7 というのも、天において証言者は、御父、みことば、そして聖霊の三者であり、これら三者は一つであり、 8 また、地において証言者は、御霊と水と血の三者であり、…(TR新約聖書)
7 三つのものが証しをします。 8 御霊と水と血です。この三つは一致しています。 (新改訳2017)
コンマ・ヨハンネウムがあれば三位一体の証明が簡単になるので、聖書に入っていてほしい箇所です。ただ、エラスムスが編纂したギリシャ語本文でも、当初コンマ・ヨハンネウムは採用されていませんでした。エラスムスの手元にあったどのギリシャ語写本にも、この箇所が含まれていなかったためです。エラスムスがコンマ・ヨハンネウムを採用したのは第3版以降です。
これはローマカトリック教会の圧力を受けてのことであったと言われています。エラスムスは、出版したギリシャ語聖書の初版でコンマ・ヨハンネウムを採用しなかったことで、カトリック教会からアリウス主義(三位一体を否定する異端)を後押しするとして非難されました。しかし、エラスムスは写本上の根拠がないとして反論し、次のように書き記しています。1
もし、私の手に、(ラテン語ウルガタ訳で)いつも読んでいる部分(訳注:コンマ・ヨハンネウムのこと)が記されている写本が一つでもあるなら、必ずやその写本を使って、私が所有する他の写本にはない部分を補うだろう。しかし、それが叶わなかったので、私に許されている唯一の方法を採用した。つまり、ギリシャ語の写本では欠けている部分を(注釈として)記したのである。
If a single manuscript had come into my hands, in which stood what we read (sc. in the Latin Vulgate) then I would certainly have used it to fill in what was missing in the other manuscripts I had. Because that did not happen, I have taken the only course which was permissible, that is, I have indicated (sc. in the Annotationes) what was missing from the Greek manuscripts.”
それでも非難は続いたようで、エラスムスは第3版でついにコンマ・ヨハンネウムを採用します。ただし、エラスムスは注釈として次のように記しています。2
私はテキスト(訳注:コンマ・ヨハンネウム)を元に戻した。…誰にも誹謗中傷の機会を与えないために。…しかし、写本の問題に戻ると、これまで言ってきたように、ギリシャ語とラテン語の写本が異なることは明らかだが、私の意見では、どちらの写本を受け入れても危険はない。
I have restored the text … so as not to give anyone an occasion for slander… But to return to the business of the reading: from our remarks it is clear that the Greek and Latin manuscripts vary, and in my opinion there is no danger in accepting either reading.
KJV Only運動が称賛するギリシャ語本文「テクストゥス・レセプトゥス」を編纂したエラスムスは、「どちらの本文を受け入れても危険はない」と語っています。そのため、現代版聖書がコンマ・ヨハンネウムのない写本を採用しても問題はないはずです。この点で、現代版聖書を非難するKJV Only運動はエラスムスの言葉に反しています。
現代版聖書でも基本教理は変わらない
基本的な教理は、一つの聖書箇所だけに基づいて成立するわけではありません。聖書全体で確認できて初めて基本教理として認められるのであり、三位一体のような重要な教理が、1ヨハネ5:7~8の「コンマ・ヨハンネウム」がなければ成立しないようなことはありません。聖書の大英博物館の館長、フレデリック・ケニオン(Frederic Kenyon)は、その点について次のように語っています。
キリスト教信仰の基本的な教理は、議論のある読み方の上に成り立っているわけではない。間違いや写本の違いについていつも言及していると……言い回しだけでなく、聖書の内容にも疑問がないのかという疑念が生じかねない。しかし、実質的に、聖書の本文が確かなものであることは、どれほど強く主張しても足りないくらいである。3
No fundamental doctrine of the Christian faith rests on a disputed reading. Constant references to mistakes and divergencies of reading…might give rise to the doubt whether the substance, as well as the language, of the Bible is not open to question. It cannot be too strongly asserted that in substance the text of the Bible is certain.
KJVと現代版聖書で違いがあっても重要教理が成立しなくなることはありません。さらに、KJVと現代版聖書の間にある相違点はそれほど多くありません。
聖書翻訳の間にはわずかな違いしかない
『King James Only? A Guide to Bible Translations(King Jamesのみ?聖書翻訳の案内書)』の著者、ロバート・ジョイナー博士は次のように語っています。4
(聖書の)翻訳はすべて正確に翻訳されている限り、神のことばである。聖書にある31,124節のうち、どのような翻訳を使っていても、どのような系統のギリシャ語写本を使っていても、疑問に感じる箇所は200節以下しかない。つまり、30,900以上の節が神のことばなのだ。つまり、どのような翻訳を使っていても、その大部分は神のことばなのである。…
実際に、テクストゥス・レセプトゥスとアレキサンドリア写本のどちらにも、神の霊感を受けたすべての教理が記されている。そこに教理上の重要な違いはない。英語訳聖書が違っていても同じである。(KJV Only運動の提唱者)ピーター・ラックマンも、新約聖書の中で問題がある箇所は152節しかないと語っている(『The Christian’s Handbook of Manuscript Evidence(写本上の証拠に関するクリスチャンのためのハンドブック)』89ページ)。
Every translation is God’s word in so far as it is translated correctly. Out of the 31,124 verses in the Bible, there are only about two hundred or less that are even questioned regardless of what translation you use or what family of Greek manuscripts you use. This means there are over 30,900 verses that are God’s word. So in any translation you use, the vast majority of it is the word of God…
The fact is, both the Textus Receptus and the Alexandrian manuscripts set forth every doctrine that God has inspired. There is no important doctrinal difference. It is the same with the different English translations. Peter Ruckman said he had problems with only 152 verses of the New Testament (The Christian’s Handbook of Manuscript Evidence, p. 89).
ジョイナー博士の数字を元に、問題がある箇所を200箇所として計算すると、聖書の99%以上(99.357409%)は写本間で一致しており、違いがあるのは1%未満(0.642591%)ということになります。しかも、先ほど見たとおり、この1%で教理上の重要な違いが生じることはないのです。
> 結論結論
先ほど引用した大英博物館館長のフレデリック・ケニオンは、次のようにも語っています。5
新約聖書各書の信頼性と一般的な正確性は、どちらも最終的に確立されたと考えてもよい。
Both the authenticity and the general integrity of the books of the New Testament may be regarded finally extablished.
KJVはすばらしい聖書訳ですが、KJV Only運動は聖書の信頼性を不必要に貶め、教会に無用な分裂を生み出す可能性があります。次のイザヤ34:16のみことばは旧約聖書の箇所ですが、新約聖書が完成した後の時代も、この原則は失われていないはずです。聖書の写本を集め、評価し、編纂するのは人が行うことですが、その背後には主の御霊の働きがあります。主の働きに信頼しましょう。
【主】の書物を調べて読め。これらのもののうち、どれも失われていない。それぞれ自分の伴侶を欠くものはない。それは、主の口がこれを命じ、主の御霊がこれらを集めたからである。
この記事を書いた人:佐野剛史
> 参考資料参考資料
- Robert A. Joyner, King James Only? A Guide to Bible Translations (Christian Faith Publishing, 2019) Kindle版
- James R. White, The King James Only Controversy: Can You Trust the Modern Translations? (Bethany House, 2006)
- “What is the KJV Only movement?” (https://www.gotquestions.org/KJV-only.html)
- “What is the Comma Johanneum (1 John 5:7-8)?” (https://www.gotquestions.org/Comma-Johanneum.html)
- エターナル・ライフ・ミニストリーズ「聖書のホームページ」(http://www.bible-jp.com/index.html)
- FLOYD NOLEN JONES, ”WHICH VERSION IS THE BIBLE? (Twentieth Edition)” (KingsWord Press, 2010)
-
James R. White, The King James Only Controversy: Can You Trust the Modern Translations? (Bethany House, 2006), p.100-101 ↩
-
James R. White, The King James Only Controversy: Can You Trust the Modern Translations? (Bethany House, 2006), p.101-102 ↩
-
Frederic Kenyon, Our Bible and the Ancient Manuscripts (Harper, 1958), p.10-11 ↩
-
Robert A. Joyner, King James Only? A Guide to Bible Translations (Christian Faith Publishing, 2019) Kindle版 ↩
-
Frederic Kenyon, The Bible and Archaeology (1940) (https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.107174/page/n21/mode/2up) ↩