> King James Only運動とはKing James Only運動とは
King James Only運動とは、欽定訳聖書(King James Version:KJV)を最高の英訳聖書とする運動で、米国を中心に一定数の支持者がいます。この運動は、Wikipediaでは次のように定義されています。1
King James Only運動は、聖書のKing James Version(KJV)が他のすべての翻訳よりも優れていると主張しています。King James Only運動の支持者は、主に福音派、保守的なホーリネス運動、伝統的な英国国教会、バプテスト教会の一部から成り、KJVはこれまでに作られた中で最も優れた英訳であり、これ以上の改良は必要ないと信じています。また、KJV以降の英訳はすべて腐敗していると信じています。
The King James Only movement asserts that the King James Version (KJV) of the Bible is superior to all other translations of the Bible. Adherents of the King James Only movement, largely members of evangelical, conservative holiness movement, traditional High Church Anglican, and Baptist churches, believe that the KJV is the greatest English translation ever produced, needing no further improvements, and they also believe that all other English translations which were produced after the KJV are corrupt.
この運動については以前から知ってはいましたが、英語訳聖書の問題なので、日本には関係ないだろうと思っていました。しかし、最近相談を受けて、この運動が原因で日本の教会でも問題が起こっていること、また聖書の信頼性を貶(おとし)めるようなことを主張していることを知り、取り上げることにしました。この記事では、KJV運動の主張と一般的な問題点を見ていき、次回の記事では日本における影響と問題点を取り上げたいと思います。
> King James Only運動の問題King James Only運動の問題
King James Version(以後KJV)は、初版が1611年という古い訳ですが、今も愛用している人がいる優れた英語訳聖書です。KJVを個人的に愛用する分には問題ありません。しかし、King James Only運動(以後KJV Only運動)の困ったところは、KJV以降の聖書(以後、現代版聖書)は「腐敗している」と断じ、現代版聖書を用いている教会をカルト扱いすることです。KJV Only運動の提唱者の一人であるピーター・ラックマン(Peter Ruckman)は、現代版聖書を使用している「世間一般に評価されている教会史家やキリスト教学者は、すべてカルトのメンバーである」2とまで言い切っています。
> 日本におけるKing James Only運動日本におけるKing James Only運動
KJV Only運動は、日本ではKJVの底本3となっているギリシャ語本文「テクストゥス・レセプトゥス(Textus Receptus:TR)」を採用していない日本語訳聖書を批判対象にします。最近の日本語訳聖書はすべてテクストゥス・レセプトゥス以後に編纂されたギリシャ語本文を底本としていますので、主要な日本語訳聖書はすべて批判対象となります。具体的には、以下の聖書はすべて改ざんされていると言われています4。
- 『大正改訳聖書』(1917年~)
- 『口語訳聖書』(1954年~)
- 『新改訳聖書』(1970年~)
- 『共同訳聖書』(1978年~)
- 『新共同訳聖書』(1987年~)
- 『新改訳2017』(2017 年~)
- 『聖書協会共同訳』(2018年~)
KJVは英語訳なので、日本におけるKJV Only運動では、KJVとテクストゥス・レセプトゥスを底本にした「TR新約聖書」と呼ばれる聖書を発行して推奨しています(旧約聖書は未発行)。
> King James Only運動の主張の根拠King James Only運動の主張の根拠
KJV Only運動が、現代版聖書は改ざんされていると主張する根拠には、以下のようなものがあります。
現代版聖書の底本を編纂した学者は降霊術師
KJV以降の現代版聖書は、KJVとは異なる底本を使用しています。KJVが底本としている「テクストゥス・レセプトゥス(TR)」は、オランダのエラスムスが編纂し、1516年に発行された古いギリシャ語本文です。そのため、新たに発見された写本やそれ以降の学術的な成果が反映されておらず、新しい底本の編纂が求められていました。
そこで、1881年に当時入手可能な写本と最新の研究成果をもとに作成されたのが、英国ケンブリッジ大学教授のB・F・ウェストコット(Westcott)とF・A・ホート(Hort)が編纂したギリシャ語本文です。このギリシャ語本文は、2人の名前から「ウェストコット・ホート」と呼ばれています。
KJV Only運動は、このウェスコットとホートが「降霊術師」であったとし、誤った神学に基づいてギリシャ語本文を編纂したと主張します。具体的には、ウェスコットとホートは偽造された写本や過去に改ざんされた写本を採用し、異端やまちがった教えが入り込む素地を作ったと語ります。
テクストゥス・レセプトゥスは神の導きによるもの
KJV Only運動は、エラスムスが編纂したギリシャ語本文のテクストゥス・レセプトゥス(TR)を高く評価し、神の導きによって完成したと主張します。そのため、KJV Only運動にとって、テクストゥス・レセプトゥスから逸脱することは、聖書の原文から逸脱することを意味します。
現代版聖書の底本はリベラル派やカトリックの管理下にある
現代の聖書が採用している底本は、KJV Only運動が批判するウェストコット・ホートではなく、「ネストレ・アーラント」と呼ばれるギリシャ語本文です。しかし、KJV Only運動はこのネストレ・アーラントに対しても、以下のような理由で批判します。
- ネストレ・アーラントはウェストコット・ホートを元に作成されているので、同じ問題がある。
- ネストレ・アーラントの編纂者や管理者には、カトリックの祭司や、モルモン教、聖書を誤りなき神の書であると信じていないリベラル派も参加している。そのため、カトリックやモルモン教、リベラル派の教えに反するギリシャ語本文を採用できない。
KJV Only運動が挙げる現代版聖書の改ざん例
KJV Only運動は、具体的に聖書箇所を挙げて、現代版聖書の改ざん例として紹介しています。その代表的な例が、1ヨハネ5:7~8です。
1ヨハネ5:7~8の「コンマ・ヨハンネウム」
1ヨハネ5:7~8には、専門家が「コンマ・ヨハンネウム(Comma Johanneum)」と呼ぶ箇所があります。コンマ・ヨハンネウムは、三位一体の教理を明言している唯一のみことばと言われており、以下に太字で示しています。
KJVの訳
7 For there are three that bear record in heaven, the Father, the Word, and the Holy Ghost: and these three are one. 8 And there are three that bear witness in earth, the Spirit, and the water, and the blood: and these three agree in one.
TR新約聖書(KJVを元にした日本語訳)
7 というのも、天において証言者は、御父、みことば、そして聖霊の三者であり、これら三者は一つであり、 8 また、地において証言者は、御霊と水と血の三者であり、…
しかし、この部分は現代版聖書には存在しません。
現代版聖書の例(新改訳2017)
7 三つのものが証しをします。 8 御霊と水と血です。この三つは一致しています。
ご覧の通り、KJVとTR新約聖書には「御父、みことば、そして聖霊の三者であり、これら三者は一つである」という三位一体を明言する言葉が入っていますが、新改訳2017では抜け落ちています。これは、異端的な神学を持つウェストコットとホートが、三位一体を否定するために、この箇所が抜け落ちている改ざんされた写本を採用した結果である、というのがKJV Only運動の主張です。
> KJV Only運動の問題点KJV Only運動の問題点
以上がKJV Only運動の主張ですが、そこには問題点がいくつもあります。底本であるテクストゥス・レセプトゥスの問題点は次回の記事で取り上げることにしますが、ここではKJVの自体の問題点をまとめておきます。
KJVにも間違いは含まれている
KJVは優れた英語訳聖書ですが、以下のような誤訳や問題のある訳文が含まれていることも知られています。
使徒12:4
And when he had apprehended him, he put him in prison, and delivered him to four quaternions of soldiers to keep him; intending after Easter to bring him forth to the people. (KJV)
ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいたのである。(新改訳2017)
KJVで「after Easter(復活祭の後に)」と訳されている箇所は、ギリシャ語本文では「パスカ」であり、ユダヤ教の「過越の祭り」を指しています。ヘロデが意識しているという時点で、ユダヤ教の祭りへの言及であることが明らかです(マルコ14:2参照)。また、復活祭(イースター)に言及している文献は2世紀以降のものしか見つかっておらず5、使徒の時代にはなかったはずです。なお、KJVはほかの箇所では「パスカ」を「過越の祭り」と正しく訳しています。
黙示録22:14
Blessed are they that do his commandments, that they may have right to the tree of life, and may enter in through the gates into the city. (KJV)
自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。(新改訳2017)
KJVの訳では、「do his commandments(神の命令を行う者)」は永遠のいのちを手にするという意味になり、行いによる救いを教えていることになります。しかし、別の写本を採用した底本を使っている新改訳2017では、「自分の衣を洗う者」という訳になっています。これは、イエスの血によって白い衣を着せられるという黙示録7:14などの教えとも一致します。
使徒19:2
Have ye received the Holy Ghost since ye believed? (KJV)
Did you receive the Holy Spirit when you believed? (NASB)
彼らに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると(新改訳2017)
KJVの訳では、「信じた後、聖霊を受けましたか」という意味になり、聖霊に関する誤った神学を生み出す温床となってきました。しかし、エペソ1:13など、その他の聖書箇所では、聖霊は信じた後ではなく、信じた時に与えられると教えられています。NASBや新改訳2017では、「信じた時に聖霊を受けましたか」と正しく訳されています。
雅歌2:12
the voice of the turtle is heard in our land (KJV)
山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる(新改訳2017)
KJVを日本語に訳すと、「亀(turtle)の声が、私たちの国中に聞こえる」となります。しかし、KJV以降の訳では正しく「山鳩(turtledove)」と訳されています。
KJVの英語は現代では通じないものも多い
現代の英語は、KJVが訳された時代の英語とは意味が違っている場合があり、間違った読み方をしてしまったり、意味が通じなかったりすることがあります。
ヤコブ5:11
The Lord is very pitiful. (KJV)
この箇所を普通に訳すと「主はとても哀れです」のような訳になりますが、古い英語では「pitiful」の意味が現在と異なります。この箇所は、現代英語や日本語では以下のように訳されています。
The Lord is full of compassion and mercy. (NIV)
主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。(新改訳2017)
ピリピ3:20
Our conversation is in heaven. (KJV)
この箇所を普通に訳すと「私たちの会話は天にあります」のような訳になり、意味が通じません。この「conversation」も古い英語と現代の英語では意味が違い、現代訳では次のように訳されています。
Our citizenship is in heaven. (NASB)
私たちの国籍は天にあります。(新改訳2017)
2テサロニケ2:7
Only he who now letteth will let, until he be taken out of the way. (KJV)
KJVの訳にある「letteth」「let」も、古い英語と現代の英語では意味が違います。現代英語では「~することを許す」というような意味ですが、古い英語では「制限する(restrainと同じ)」という意味で、今と昔では正反対の意味になっています。現代訳では、以下のように訳されています。
Only he who now restrains [will do so] until he is taken out of the way. (NASB)
秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。 (新改訳2017)
その他、「charity」6「meat」7など、古英語と現代英語では異なる意味になる言葉や、「Holy Ghost」8など、今の感覚では違和感がある表現があります。
KJV Only運動の主張は、KJVの翻訳者自身の主張に反する
KJV Only運動が主張していることは、実はKJVの翻訳者自身の主張と真っ向から反してます。以下に、KJVの序文に記載されているKJVの翻訳者の言葉を引用します。
七十人訳は問題のある訳だったが、イエスも使徒も七十人訳を採用した
KJV Only運動は、KJV以外の聖書は改ざんされているとして、そのような聖書を用いることを非難します。しかし、KJVの翻訳者は、旧約聖書のギリシャ語訳である「七十人訳」には多くの問題があったことを認めながらも、イエスや使徒は七十人訳を否定することなく、そのまま用いたことを肯定的にとらえています(新約聖書でイエスや使徒は七十人訳を引用しています)。
これは「七十人訳」と呼ばれる訳で、バプテスマのヨハネがユダヤ人の間で声を上げて宣教したように、文字による宣教によって異邦人の間で救い主を宣べ伝える道を開いたのである。…… その訳がそれほどしっかりしたものでも完璧なものでもなかったことは確かであり、多くの箇所で修正を必要としていた。この作業を行うのに、使徒ほどふさわしい人材がいただろうか。しかし、聖霊と使徒にとって、新たな翻訳を行うよりも、あるものをそのまま使うことが良いと思われたのである(大部分は真理であり、十分なものであった)。
This is the translation of the Seventy Interpreters, commonly so called, which prepared the way for our Saviour among the Gentiles by written preaching, as Saint John Baptist did among the Jews by vocal… It is certain that that Translation was not so sound and so perfect. but it needed in many places correction; and who had been so sufficient for this work as the Apostles or Apostolic men? Yet it seemed good to the holy Ghost and to them to take that which they found, (the same being for the greatest part true and sufficient) rather than making a new…
翻訳者は預言者ではないので、間違うこともある
KJVの翻訳者は、聖書の翻訳には問題もあることを認めています。
七十人は解釈者であって、預言者ではなかった。彼らは学識ある者として多くのことを見事にこなしたが、人間としてつまずき、倒れることもあった。
the Seventy were Interpreters, they were not Prophets; they did many things well, as learned men; but yet as men they stumbled and fell,
訳文に問題があれば修正するのが翻訳者の役目
KJVの翻訳者は、訳文に問題があれば修正して改善していくのが翻訳者の役割であると語っています。
私たちの翻訳の間に違いが見られれば、それを修正することが私たちに課せられている役目である。
The difference that appears between our translation and our often correcting of them is the thing that we are especially charged with.
もし私たちが、先人の土台の上に立ち、その労苦に支えられているならば、先人が残した良いものをより良くしようと努力するだろう。
if we building upon their foundation that went before us, and being holpen by their labours, do endeavor to make that better which they left so good;
神の霊感を受けているのは原文である
KJVの翻訳者は、霊感を受けているのは翻訳ではなく、原文のみであると語っています。
原文は、地からではなく天から来たもので、著者は人間ではなく神であり、編集者は使徒や預言者の知恵ではなく、聖霊である。
The original thereof being from heaven, not from earth; the author being God, not man; inditer, the holy spirit, not the wit of the Apostles or Prophets;
聖書の訳は時代に合わせて改訂していく必要がある
KJVの翻訳者は、読む人が理解できない文には意味がないと語っています。KJVで使われている英語は現代では意味が異なっていることがあり、KJVの翻訳者であれば新たな翻訳が必要だと言うはずです。
しかし、人は理解できないものにどうやって思いを馳せることができるだろうか。知らないことばに閉じ込められている意味をどうやって理解できるだろうか。「もし私がそのことばの意味を知らなければ、私はそれを話す人にとって外国人であり、それを話す人も私には外国人となるでしょう」(1コリント14)と書かれている通りである。
But how shall men meditate in that, which they cannot understand? How shall they understand that which is kept close in an unknown tongue? as it is written, “Except I know the power of the voice, I shall be to him that speaketh, a Barbarian, and he that speaketh, shall be a Barbarian to me.” [1 Cor 14]
> 結論結論
KJV Only運動は、聖書を当時の人に理解できる言葉に訳そうとしたKJVの翻訳者の精神を忘れています。KJVの翻訳者は、訳文が今後も改良されていくことを期待していました。KJV以外の聖書にも問題のある訳はありますが、以上で見てきたように、KJVにも問題のある訳が多数含まれています。
聖書研究では、複数の訳文を比較検討することが重要です。複数の聖書訳があることで、みことばをより深く、正確に理解できるようになります。KJV Only運動のように、1種類の聖書訳だけが正しいと主張すると、教理的な誤りに陥る可能性が高まります。
次回の記事では、KJV以外の聖書の底本は腐敗しており、KJVが底本とするテクストゥス・レセプトゥス(TR)のみが正しいとする主張の問題点を見ていきます。
この記事を書いた人:佐野剛史
> 参考文献参考文献
- “King James Only movement” (https://en.wikipedia.org/wiki/King_James_Only_movement)
- Robert A. Joyner, King James Only? A Guide to Bible Translations (Christian Faith Publishing, 2019) Kindle版
- “What is the KJV Only movement?” (https://www.gotquestions.org/KJV-only.html)
- エターナル・ライフ・ミニストリーズ「聖書のホームページ」(http://www.bible-jp.com/index.html)
- FLOYD NOLEN JONES, ”WHICH VERSION IS THE BIBLE? (Twentieth Edition)” (KingsWord Press, 2010)
-
“King James Only movement” (https://en.wikipedia.org/wiki/King_James_Only_movement) ↩
-
“Every recognized church historian and Christian scholar is a member of the cult.” quoted in Robert A. Joyner, King James Only? A Guide to Bible Translations (Christian Faith Publishing, 2019) ↩
-
底本とは、翻訳の対象となる原文のことを指します。底本によって原文が異なる部分があるので、どの底本を採用するかによって翻訳結果も変わってきます。 ↩
-
「聖書のホームページ」(http://www.bible-jp.com/index.html) ↩
-
“Easter” (https://en.wikipedia.org/wiki/Easter) ↩
-
古い英語では「愛」、現代の英語では「慈善」 ↩
-
古い英語では「食事全般」、現代の英語では「肉」 ↩
-
古い英語では「聖霊」、現代の英語では「聖なる幽霊」 ↩
-
The King James Translators, “The Translators to the Readers, Preface to the King James Version 1611” (https://www.jesus-is-lord.com/pref1611.htm) ↩