日本人に福音をどう伝えるか ― パウロが語った唯一の異邦人向けメッセージに学ぶ(8)まとめ(使徒17:16~34)

レオ・フォン・クレンツェによる、アレオパゴス(前景)とアクロポリスの理想化された復元図、1846年。

今回は、これまで連載してきた記事の締めくくりとして、パウロのメッセージ全体の要点をまとめて、日本人伝道への適用を少し考えてみたいと思います。

聖書に記された唯一の異邦人向け伝道メッセージ

このシリーズの最初に、パウロがアテネで語ったメッセージ(使徒17:22~31)は、聖書に記されている唯一の異邦人向け伝道メッセージであることを示しました。また、このメッセージは異邦人向けの伝道メッセージの「サンプル」または「型」として記録されている可能性も指摘しました。

パウロの置かれていた状況(使徒17:16~21)

パウロのアテネ人へのメッセージを分析する前に、パウロがどのような状況でメッセージを語ったのかを確認しておく必要があります。

偶像に満ちた町(使徒17:16)

16  さて、パウロはアテネで二人を待っていたが、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた。 

アテネに来たパウロの目にまず止まったものは、無数にある偶像でした。町全体に偶像が満ちていることに憤りを感じたパウロは、シラスとテモテがアテネに到着するのを待つことなく、宣教を始めます。

外国の神を宣べ伝えているという批判(使徒17:18)

18  エピクロス派とストア派の哲学者たちも何人か、パウロと議論していたが、ある者たちは「このおしゃべりは、何が言いたいのか」と言い、ほかの者たちは「彼は他国の神々の宣伝者のようだ」と言った。パウロが、イエスと復活を宣べ伝えていたからである。 

パウロはアテネの哲学者との討論で「他国の神々の宣伝者」と呼ばれています。つまり、パウロが宣べ伝えているのは外国の神であるという評価です。「このおしゃべりは、何が言いたいのか」という言葉に続いているため、批判的な意味で「他国の神々の宣伝者」と呼ばれていると考えられます。

無神論者と多神教信者

パウロが議論したエピクロス派とストア派には、次のような特徴があります。

  • エピクロス派:神の存在を否定しないが、神は人間に関心を持たないとする。そのため、現世での幸福を追求することを教える。神学的な無神論者ではないが、実践的には無神論者。
  • ストア派:ゼウスを頂点とする神々を信じる多神論者。

そのほかの一般民衆も、様々な偶像を礼拝する多神論者です。このように見ていくと、パウロは無神論者と多神論者を相手に語っていたことがわかります。

日本の状況との比較

以上の点を見ると、アテネの状況は日本の状況と似ていることがわかります。偶像が無数にあり、無神論者と多神論者が多く、イエス・キリストは外国の神と考えられています。そのため、パウロが語ったメッセージは、日本の状況にもよく当てはまるはずです。

パウロのメッセージのアウトライン

パウロがアテネ人に語ったメッセージは、次のようなアウトラインで理解することができます。

1. 宗教心に訴える(使徒17:22)

22  パウロは、アレオパゴスの中央に立って言った。「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております。 

パウロはアテネに到着した後、「町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた」(使徒17:16)とあります。しかし、パウロはこの憤りをぶつけることなく、「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております」と語り始めています。パウロは偶像礼拝に憤りを感じていたはずなのに、お世辞を言っているのではないかと思われるかもしれません。しかし、ここでパウロは「迷信深い」と「宗教心にあつい」とどちらの意味にも取れる言葉を使っており、アテネ人は目に見えないものを信じる傾向があるという事実を語っているに過ぎません。

このようにパウロがアテネ人の宗教心に訴えかけたのは、どのような人にも目に見えないもの、永遠に残るものを求める心があることを知っているためであると思います。伝道者の書3:11で、次のように言われているためです。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。(口語訳)

神が人の心に与えた「永遠を思う思い」(口語訳)は、目には見えないが永遠に生きておられる神を求める原動力となります。

2. 知らずに拝んでいる神を知らせる(使徒17:23)

23  道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう。 

パウロは、アテネ人が「宗教心にあつい」証拠として、「知られていない神に」と刻まれた祭壇があることを示しました。そして、アテネ人がすでに拝んでいたこの「知られていない神」が、自分が宣べ伝えている神であると言っています。これはアテネ人に「彼は他国の神々の宣伝者のようだ」(使徒17:18)と言われたことに対するパウロの反論でもあります。

パウロは「知られていない神」に言及することで、アテネの町に伝わる故事からアテネ人に語りかけています。この故事は、エピメニデスというクレテ人がアテネの町を疫病から救ったというものです。ここでパウロは、自分が宣べ伝えている神は「他国の神々」ではなく、アテネの歴史にも登場する方であることを示唆しています。つまり、パウロは自分の宣べ伝えている神を外国の神ではなく、アテネ人も知っているはずの神として紹介したのです。

3. 天地創造の神を宣べ伝える(使徒17:24~25)

24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。25 また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。 

パウロは、アテネ人が知らずに拝んでいる「知られていない神」とは、天地創造の神であることを明らかにしています。そのため、自分が宣べ伝えている神は、アテネのパルテノン神殿で祀ることなどできない方であることを語っています。

アテネ人の「神」とは、すべてパルテノン神殿に収めることができる「人造った神」です。しかしパウロは、自分が宣べ伝えているのはすべての人にいのちを与えた「人造った神」であることを明かしています。

パウロは唯一の創造主を指し示すことで、アテネ人がアッティカの土から生まれて人となったという神話を否定しています。アッティカとは古代ギリシャ文明の発祥の地で、その中心がアテネです。生物が自然発生するという進化論的な発想は、古代にもあったのです。進化論は近代に入ってから登場した科学的な説ではなく、同様の考え方は昔からあったわけです。ここでいわばパウロはアテネ人のかけていた「進化論メガネ」を外そうとしています。

4. 神は一人の人からすべての人、民族、国を造られた(使徒17:26~27)

26 神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。 27 それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。 

続いてパウロは、神は一人の人からすべての人、民族、国を造られたと宣言しています。そのため、どの民族であっても、どの国にいても、すべての人にとって神はお一人であることを明らかにしています。これは創世記の1~11章で語られていることの要約です。

パウロは、このように神を紹介することで、自分が宣べ伝えている神は「外国の神」ではなく、「人類すべての神」であることを語っています。

パウロは、すべての人、民族、国が同じ神によって造られたことを示すことで、アテネ人の「多神教メガネ」を外そうとしています。つまり、自分の宣べ伝える神は、数ある神々の中の一つではなく、唯一の神であることを明らかにしています。

また、神は人類の歴史に介入される方であり、私たち一人ひとりの近くにおられる方であることを語っています。これは「神は人間に関心を持たないとする」というギリシャ哲学に対する反論でもあります。

そして、人や、民族、国が造られたのは、神を求めさせるためであることが明らかにされています。

5. 相手の文化の言葉で語りかける(使徒17:28)

28 『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。あなたがたのうちのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。 

パウロはアテネ人も知っている詩人(思想家)の言葉を引用することで、「神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません」(使徒17:27)および「一人の人からあらゆる民を造り出した」(使徒17:26)という言葉が真実であることを裏付けようとしています。前半の「私たちは神の中に生き、動き、存在している」とはクレテ人エピメニデスの言葉で、「私たちもまた、その子孫である」とはキリキア地方ソロイ出身のアラトスの言葉です。

アテネ人へのメッセージで、パウロは聖句を一つも引用していません(聖書の内容の要約を語っているところはあります)。アテネ人は聖書を知らない上に、聖書の権威を認めてもいないためです。その代わりに、パウロはアテネ人がよく知っている人の言葉を引用して、自分の主張を裏付けています。

エピメニデスとアラトスの言葉は、どちらもゼウスのことを語っています。ゼウスはギリシャ神話の中で天地を支配する最高神です。ただし、パウロはゼウスの名を一切出していません。ただ天地を支配する神の存在を裏付ける言葉としてだけ引用しています。

6. 偶像から神に立ち返る必要性を語る(使徒17:29~30)

29 そのように私たちは神の子孫ですから、神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません。 30 神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます。 

パウロは、天地創造の神がすべての人を造られたと語った後、偶像礼拝の愚かさを指摘します。神は人を造ったお方です。それなのに、人が金や銀、石で作った像を神として拝むことは愚かなことであり、神に対する冒涜です。そのため、神は偶像礼拝を行うすべての人に悔い改めを命じておられます。悔い改めとは「心を入れ替える」という意味で、ここでは偶像から真の神に方向転換することを意味します。

神は、偶像を礼拝する異邦人の「無知の時代」を見過ごしておられましたが、今は違います。イエス・キリストの福音がどこでも宣べ伝えられているためです。キリストを通して神を知り、神に立ち返る道がすべての人に示されているからです。

7. さばきと救いを語る(使徒17:31)

31 なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」 

パウロは、悔い改めが必要な理由として、すべての人がさばきを受けることを宣告しています。これは死後に受ける大いなる白い御座のさばき(黙示録20:11)を指しています。このさばきを行う「一人の方」とは、イエス・キリストです。裁きが来ることの確証は、キリストの復活です。キリストが神の義の基準に達したことが、復活によって証明されたためです。このキリストの義が、さばきの基準となります。さばきのメッセージは、福音メッセージには欠かせない要素です。

パウロの宣教の結果(使徒17:32~34)

32 死者の復活のことを聞くと、ある人たちはあざ笑ったが、ほかの人たちは「そのことについては、もう一度聞くことにしよう」と言った。 33 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。 34 ある人々は彼につき従い、信仰に入った。その中には、アレオパゴスの裁判官ディオヌシオ、ダマリスという名の女の人、そのほかの人たちもいた。 

死者の復活のこと聞いた一部の人々があざ笑ったので、パウロの宣教はここで中断されます。この時点ではまだ、キリストが私たちの罪のために死なれ、葬られ、よみがえられたことを信じることで罪が赦されるという福音の核心部分が語られていません。そのため、完全な伝道メッセージにはなっていません。パウロがアテネで語ったメッセージは、福音の三要素を語るために心を準備する「プレ伝道メッセージ」とでも位置付けるべきものです。救いを受けるには、この後でみことばによる伝道が行われる必要があります。

判断を先送りにした人もいました。また、少数ですが、パウロのメッセージを信じた人もいました。パウロに付き従った人々は、福音のことばを聞いて信仰に入りました。その中には、アテネ教会の初代司教となるディオヌシオがいます。

パウロの宣教原則

パウロがアテネで語ったメッセージを見ると、パウロが別の機会に語っている宣教の原則が反映されていることがわかります。

共通の土台に立って語る

このメッセージで注目すべき点は、パウロは聖書を引用していないことです。ユダヤ人や改宗者とは違い、一般の異邦人は聖書を知らない上、聖書の権威を認めてもいないためです。パウロは、聖書の内容を相手に理解できる言葉を使って語りかけています。これはパウロ自身が1コリント9:20~22で語っている原則に従ったものです。

20  ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人たちには──私自身は律法の下にはいませんが──律法の下にある者のようになりました。律法の下にある人たちを獲得するためです。 21  律法を持たない人たちには──私自身は神の律法を持たない者ではなく、キリストの律法を守る者ですが──律法を持たない者のようになりました。律法を持たない人たちを獲得するためです。 22  弱い人たちには、弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。 

そして、自分の語っていることの裏付けとして、ギリシャ文化で知られている詩人や思想家の言葉を引用しています。

一般啓示から特別啓示へ

パウロは、すべての人に与えられている「一般啓示」にまず訴えて神を宣べ伝えています。

一般啓示と特別啓示
神を啓示するものが2種類あります。第一は「一般啓示」と呼ばれるもので、自然や良心を通してすべての人に神の存在が啓示されています。

一般啓示は、神の存在を示し、神をより深く知りたいという願いを人に与えます。しかし、一般啓示では救いの道は示されません。そのため、第二の「特別啓示」によって救いの道が示されます。特別啓示は、神が人に語ったことばであり、通常は聖書を意味します。

代表的な一般啓示は、自然を通した啓示です。人はみな被造物を通して、天地を創造した神がおられることを心の奥底では知っているというのが、聖書の語っていることです。実際に、パウロは使徒17:24~25でまず自分が宣べ伝えているのは天地創造の神であることを最初に語っています。

ローマ1:20で、パウロは自然を通した一般啓示について次のように語っています。

20  神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。 

聖書を知らない異邦人に対して、被造物を通した一般啓示から語り始めることは聖書的です。そして、一般啓示に応答する人は特別啓示である神のみことばを求めるようになります。

一般啓示から特別啓示に進むパウロの宣教は、神がパウロに語った使徒26:17~18のみことばから読み取ることもできます。

17 わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。 18 それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。

ここではパウロの宣教の要約が語られていて、以下の2つで構成されていることがわかります。

  1. 目を開く
  2. 闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせる

1つ目の「目を開く」とは、天地創造の神に対して人々の目を開くことを意味すると解釈できます。この時に一般啓示に訴えることになります。2つ目の「闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせる」は、特別啓示である神のみことばが必要となる働きです。アテネでのパウロのメッセージでは、聖書は引用されていませんが、使徒17:26~27で創世記1~11章の要約が語られ、使徒17:31ではキリストの死と復活と、やがて来る神のさばきという特別啓示が語られています。この箇所では、「目を開いて」→「闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせる」という順序が示されています。

福音の普遍性を語る

パウロは、このメッセージで福音の普遍性を語っています。つまり、福音はすべての人に対するもので、その対象から逃れる人はいないということです。この点はパウロがメッセージの中で何度も強調しているところです。

  • 「神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられる」(使徒17:25)
  • 「神は、一人の人からあらゆる民を造り出して」(使徒17:26)
  • すべての人に悔い改めを命じておられます」(使徒17:30)
  • 「その確証をすべての人にお与えになったのです」(使徒17:31)

福音の普遍性は、ローマ5:18でも次のように言われています。

18  こういうわけで、ちょうど一人の違反によってすべての人が不義に定められたのと同様に、一人の義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられます。 

そのため、キリスト教は日本人には関係がないとか、キリストは外国の神であるといった言い逃れはできません。それは同時に、福音がすべての人に差し出されていることも意味します。ローマ1:16では福音が次のように定義されています。

16  私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。

すべての人が罪を犯したので悔い改めを必要としているのと同時に、救いをもたらす福音もすべての人に差し出されています。この福音の普遍性を強調する点は、パウロの宣教の原則です。

日本人伝道への適用を考える

パウロがメッセージを語ったアテネ人は、理性を重んじる人々です。同じく、日本人も理性を重んじる人々であると評されています。戦国時代に来日したイエズス会の宣教師、コスメ・デ・トルレスは日本人を次のように評しています。

日本人はその性質が温厚であり、理性によって左右される。我らが十分な根拠を挙げて、我らの霊魂を救済できるのは、その創造主以外の何ものでもないことや、我らの霊魂には初めはあるが終りがないことを明かすと、たとえ激昂して我らに逆らって来た場合でも、幼少時から礼拝している偶像や父母をも忘れてキリシタンになることを希望する。1

アテネ人に語ったパウロのメッセージは、根拠を挙げて、天地創造の神の存在と悔い改めの必要性を理性的に語っています。そのため、このメッセージは日本人にも有効であると思います。以下に、パウロのメッセージから日本人伝道に適用できる代表的なものを考えてみます。

知らずに拝んでいる神を知らせる

パウロは、自分が宣べ伝える神は、アテネ人が知らずに拝んでいる神であると告げました。すべての人に天地創造の神の存在が一般啓示によって知らされているためです。

すべての日本人にも、自然などの一般啓示を通して天地創造の神の存在が知らされています。そのような神を昔から日本人は「天」や「お天道様」と呼んできました。天を天地万物の神をとらえる見方は、実は数多くの民族に見られるもので、「天空神(Sky-God)」と呼ばれています。そうした民族では、天空神は天地創造の神として認識されています。これはすべての人に自然を通した一般啓示が与えられているというローマ1:20のことばを裏付ける現象です。

天地創造の神を宣べ伝える

聖書が宣べ伝えている神は、どこか遠い国の神ではなく、日本人も昔から存在を認識してきた天地創造の神であることを知らせる必要があります。

天地創造の神を宣べ伝えるにあたって障害となっているのが、進化論です。これが日本人伝道における大きな壁となっています。そのため、進化論を信じている日本人には創造論の立場を教えるなどして、進化論メガネを外してもらう必要があります。

パウロのメッセージには日本人伝道に役立つヒントがほかにもありますが、詳しくはこれまでの各記事を参照してください。

参考資料

脚注

  1. ルイス・フロイス著(松田毅一、川崎桃太訳)『完訳フロイス日本史6 ザビエルの来日と初期の布教活動』(中央公論、2000年)p.63

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です