ビル・ジョンソンとベテル教会(2)別のイエス

ビル・ジョンソン

ビル・ジョンソンは、新使徒運動(NAR)の中心的な指導者として知られています。日本に二度来日し、YouTubeで日本語に訳されたメッセージが多数アップされていることからわかるように、日本の教会にも一定の影響力を保っています。しかし、ビル・ジョンソンのキリストに関する教えは、三位一体というキリスト教の基本教理を事実上否定しており、警戒が必要です。今回は、ビル・ジョンソンのキリスト論に焦点を当てて解説したいと思います。

ビル・ジョンソンのキリスト論

ビル・ジョンソンのキリスト論は、神であるイエスを人間と同列にまで引き下ろす教えです。以下にジョンソンの主張を具体的に見ていきましょう。

イエスは神性を捨てた

ビル・ジョンソンのキリスト論で問題点としてまず指摘されるのは、イエスは地上生涯では神であることを捨て、完全に人として生きたという教えです。ジョンソンは著書で次のように語っています。

イエスは、人としての制限を持って地上生涯を生きた。イエスは、御父から与えられた使命を全うしようとする中で、神であることを捨てたのである(ピリピ2:5~7参照)。それは、罪のない人として生き、人類の罪の身代わりとして死ぬためである。それは人類を贖うご計画の中で欠かせない要素であった。罪を贖うことができるいけにえとなるには、子羊(無力)でなければならず、しみも汚れもない(罪のない)者でなければならなかった。1

Jesus lived His earthly life with human limitations. He laid His divinity aside (see Phil. 2:5-7) as He sought to fulfill the assignment given to Him by the Father: to live life as a man without sin, and then die in the place of mankind for sin. This would be essential in His plan to redeem mankind. The sacrifice that could atone for sin had to be a lamb (powerless), and had to be spotless (without sin).

上記のジョンソンの言葉は、ピリピ2:7の「ケノーシス(無にする)」という言葉を曲解した教えです。ピリピ2:7では「ご自分を空しく(ケノーシス)して、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました」と言われています。しかし、神であることを捨てたとはどこにも書かれていません。ジョンソンの教えは、地上生涯の期間に限定してはいますが、イエスの神性を否定し、三位一体を否定する教えです。

この教えが間違っていることは、いくつかの聖書箇所からわかります。ヘブル1:3では、次のように言われています。

御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。

ここでは、御子(イエス)は「神の本質の完全な現れ」であり(コロサイ2:9も参照)、万物は御子のみことばによって保たれていると言われています。このみことばによると、もしイエスが一時的にでも神でなくなれば、その時に万物は崩壊していたはずです。

また、キリストの誕生を預言したイザヤ9:6では次のように言われています。

ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。 

ここでは、赤子として生まれるキリスト(イエス)が「力ある神」と呼ばれています。また、「永遠の父」とも呼ばれており、御父と同じく永遠を支配する三位一体の神であることが示唆されています。

ジョンソンが言うように、イエスは罪を贖うために、しみも汚れもない(罪のない)子羊でなければならなかったというのはその通りですが、無力な子羊であるとは聖書に書かれていません。その逆に、バプテスマのヨハネはイエスのことを「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)と呼んでいます。世の罪を取り除く方が無力であるはずがありません(参照:マタイ9:6)。

また、イエスご自身も次のように語っておられます(ヨハネ10:18)。

だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。

ここでは、イエスが十字架の死を遂げることは御父の命令であっても、それに従って十字架上でいのちを捨てたのは、地上生涯でイエスがみずからの権威で行ったことであることが明らかにされています。

クリスチャンはイエスと同じ奇跡を起こせる

ジョンソンが、イエスが神であることを捨て、完全に人であったという教えにこだわるのは、クリスチャンもイエスと同じレベルの奇跡やいやしを行うことができると主張しているためです。ジョンソンは次のように語っています。

イエスは、主の御名によって不可能な領域を侵略するというチャレンジを受け取ったすべての人々が従うべきモデルとなった。イエスは、神としてではなく、神と正しい関係にある人として、奇跡と不思議、しるしを行ったのである。イエスが神であるということで奇跡を行ったのであれば、それは私たちにはとうてい不可能なことになってしまう。2

Jesus became the model for all who would embrace the invitation to invade the impossible in His name. He performed miracles, wonders, and signs as a man in right relationship to God…not as God. If He performed miracles because He was God, then they would be unattainable for us.

つまり、神と正しい関係を持っていれば、クリスチャンもイエスと同じような「奇跡と不思議、しるし」と行うことができるという教えです。ジョンソンはこの教えについて次のようにも語っています。

神は私たちの父であり、私たちは神の遺伝子コードを受け継いでいます。すべての信者は、超自然的なものを求める願いを霊的DNAに書き込まれているのです。3

God is our Father, and we inherit His genetic code. Every believer has written into his or her spiritual DNA the desire for the supernatural.

この教えは、後の雨運動の「Manifest Sons of God(顕現した神の子どもたち)」という教えや、ワード・オブ・フェイス運動の「小さな神の教理(little god doctrine)」の影響を受けた非聖書的な教えです(参照:「後の雨運動(2)『Manifest Sons of God』」)。もちろんクリスチャンが祈ることによって、病がいやされたり、奇跡としか思えないことが起こったりすることはありますが、イエスのように命じれば必ず起こるというものではありません。クリスチャンの祈りは、あくまでも神の主権の下で、神のみこころに従って答えられるものです。

キリスト教の異端と呼ばれる宗教は、どれも例外なくキリスト論が聖書から逸脱しています。エホバの証人は、イエスが神の御子であることは認めますが、神ご自身であることは否定します。つまり、イエスは全知全能の神であり、神の位格の一つであるという三位一体を否定します。しかし、この教理がキリスト教信仰にとって必要不可欠であることは、ヨハネ8:23~24のイエスの言葉からわかります。

23  イエスは彼らに言われた。「あなたがたは下から来た者ですが、わたしは上から来た者です。あなたがたはこの世の者ですが、わたしはこの世の者ではありません。  24  それで、あなたがたは自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。わたしが『わたしはある』であることを信じなければ、あなたがたは、自分の罪の中で死ぬことになるからです。」 

ここでイエスが言う「わたしはある」とは、聖書の神の御名です(出エジプト3:14参照)。これはイエスの神性宣言になっています4。さらに、ここではイエスが神であることを信じない者は「自分の罪の中で死ぬ」と言われています。つまり、イエスは神ではないと信じる者に、罪の赦しはありません。三位一体の神を信じることの重要性はこの点にも表れています。

イエスの神性について、マタイ14:33では次のように言われています。

舟の中にいた弟子たちは「まことに、あなたは神の子です」と言って、イエスを礼拝した。 

ここでイエスは、弟子たちから礼拝を受けています。もしイエスが地上生涯では神であることを捨てていたのであれば、イエスを礼拝することは偶像礼拝となります。しかし、イエスは弟子たちの礼拝を受け入れました。マリアの子として、イエスは人間として生まれましたが、神であることを捨ててはおられませんでした。イエスは100%人間であり、100%神です。

油注ぎによってイエスはキリストになった

ビル・ジョンソンは、キリストという言葉についても、聖書とはずれた奇妙な教えを展開しています。

キリストはイエスの姓ではありません。 キリストという言葉は、「油を注がれた者」「メシア」という意味です。 それは、体験(訳注:ヨルダン川でのバプテスマの後、聖霊がイエスの上にとどまられたこと)を指し示す称号です。 イエスがキリストという称号を携えて天から地に遣わされただけでは不十分でした。 御父が望まれたことを成し遂げるためには、体験(訳注:御霊がイエスの上にとどまること)の中で、油注ぎを受けなければなりませんでした。
油注ぎという言葉には、「塗りつける」という意味があります。 聖霊は、イエスが水のバプテスマを受けた時にイエスの全身に塗りつけられた神の油です。 イエス・キリストという名前は、イエスが聖霊を塗りつけられた方であることを意味しています。5

Christ is not Jesus’ last name. The word Christ means “Anointed One” or “Messiah.” It is a title that points to an experience. It was not sufficient that Jesus be sent from heaven to earth with a title. He had to receive the anointing in an experience to accomplish what the Father desired.
The word anointing means “to smear.” The Holy Spirit is the oil of God that was smeared all over Jesus at His water baptism. The name Jesus Christ implies that Jesus is the One smeared with the Holy Spirit.

「キリスト」とは、イエスの姓ではなく、「油を注がれた者」という意味であるというのはその通りですが、それが「体験」を指すというところからあやしくなってきます。イエスは、バプテスマを受けて聖霊が下るという体験をする前からキリストであることは、ルカ2:25~32を見れば明らかです。

25  そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。 26  そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。 27  シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。 28  シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。  29  「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。 

シメオンは、幼子のイエスを見て「主のキリスト」であると認識しました。イエスは聖霊の油注ぎを受けたからキリストになったわけではありません。

イエスは聖霊の油注ぎを受けたためにキリストになったというジョンソンの教えは、イエスは洗礼に際して聖霊から特別な力を付与されたと教える「動的モナルキア主義(Dynamic Monarchianism)」または「養子論(Adoptionism)」と呼ばれる異端と共通する教えです。

イエスはクリスチャン

イエスは地上生涯では神ではなく人であったという教えから、さらに奇妙な教えが出てきます。ジョンソンはメッセージの中で次のようにも語っています。

イエスは、聖書に登場する中で最も標準的なクリスチャンです。…イエスは、イエスの血により、神の御霊の力を受けて、どんな人間でも罪から解放されて生きることが可能であることを示しました。6

Jesus is the most normal Christian in the Bible… He displayed what was possible for any human being to live free of sin because of the blood of Jesus and empowered by the Spirit of God.

クリスチャンの礼拝対象であるキリストがクリスチャンであれば、クリスチャンがクリスチャンを礼拝することになり、聖人礼拝と同様に偶像礼拝となります。ここでは、「イエスは、イエスの血により、神の御霊の力を受けて、どんな人間でも罪から解放されて生きることが可能であることを示しました」と言われています。しかし、イエスが十字架にかかって血を流されたのは地上生涯の最後です。それなのに、どうしてイエスはまだ十字架にかかって血を流す前に罪を犯すことなく生きることができたのでしょうか。それはイエスが神だったからです。しかし、ジョンソンはイエスが地上生涯では神であることを捨てたと教えているので、この単純な真理を否定してしまっています。そのため、このようにおかしな教えが出てくるのです。ここに、間違った教えが別の間違った教えを雪だるま式に再生産していく様子を見て取ることができます。

イエスは新生した

聖書では、クリスチャンはキリストを信じた時に新しく生まれる(新生する)と教えていますが(ヨハネ3:3、2コリント5:17など)、ジョンソンはイエスも同様に新生したと教えています。

イエスが新生したことを知っていましたか?第一礼拝で聞いてみたら、それはないという答えが返ってきましたが、それが実際に聖書に書かれていることをお見せしましょう。イエスは新生しました。新生しなければならなかったのです。イエスは罪となったからです。ヘブル書1章にはこう書かれています。「神はいったい、どの御使いに向かって言われたでしょうか。『あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ』と」。使徒13章ではこう説明されています。「神はイエスをよみがえらせ、彼らの子孫である私たちにその約束を成就してくださいました。詩篇の第二篇に、『あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ』と書かれているとおりです。そして、神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちて滅びることがない方とされた」と。イエスは最初にマリアから生まれ、二度目に復活によって生まれました。新生したのです。6

Did you know that Jesus was born again? I asked it at the first service, they said no, but I will show you it’s in the Bible. Jesus was born again. He had to be. He became sin. Hebrew 1 says this, “for to which of the angels did every say you are my son, today I have begotten you.” In acts 13 explains that God has fulfilled this for us the children and that he said that he has raised up Jesus as it is also written in the second Psalm you are my son today I have begotten you and that he raised him from the dead no more to return to corruption. He was born to Mary the first time and through the resurrection the second time. He was born again.

イエスが新生(born again)したという教理は、エホバの証人も唱えている教理で、非聖書的な教えです。イエスは死から復活しましたが、新生したとは言われていません。クリスチャンは信じた時に新生していますが、まだ復活は経験していないのと同様に、新生と復活は別のものです。新生は霊的に死んでいる人間が必要とするもので、神であるイエスには必要ありません。これも、イエスは地上では神であることを捨て、完全に人として生きたというジョンソンのキリスト論から出る誤った教えです。

この教えで注意が必要な点は、この説によると、イエスが十字架上で死に、復活するまでの3日間、イエスは霊的に死んだままになっているということです。しかし、イエスは十字架上で隣の犯罪人に向かって「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と言われ、最後に「完了した」と叫ばれました(ヨハネ19:30)。十字架上でイエスの贖いのわざは完了しています。

クリスチャンと同じようにイエスは新生を体験する必要があったというジョンソンの教えは、「繁栄の神学の父」と呼ばれるケネス・ヘーゲンやケネス・コープランドから受け継いだものです。コープランドは一歩進めて、次のように語っています。

神の霊は、私に語りかけて「子よ、このことを理解しなさい」と言われました。さあ、今から私が言うことにしっかりとついてきてください。これまでの伝統に足をすくわれないようにしてください。神はこう言われたのです。「このように考えなさい。二度生まれた人が、自分の領域でサタンに鞭を打ったのです」。私は聖書を投げ捨てて、「何だって!」と言いました。神はこう言われました。「新生した人がサタンに勝利したのです。多くの兄弟の長子がサタンに勝利しました。あなたはその人のかたちを持っており、その人の生き写しです」。私は「なんていうことだ。信じられない」と言うと、次第にそこ(地獄)で何が起こったのがわかってきました。私が「まさか、あなたは私にも同じことができたという意味でおっしゃっているのではないでしょうね」と言うと、神はこうおっしゃったのです。「その通りだ。もしあなたが知っていたら……彼と同じみことばの知識を持っていたら、あなたも新生した人間なのだから、同じことができたはずです」7

The Spirit of God spoke to me. And He said, “Son, realize this” – now follow me in this; don’t let your
tradition trip you up – He said, “Think this way: a twice-born man whipped Satan in his own domain.”
And I threw my Bible down … I said, “What?!” He said, “A born-again man defeated Satan. The firstborn of many brethren defeated him.” He said, “You are the very image and the very copy of that one.” I said “Goodness gracious sakes alive.” I began to see what had gone on in there [hell], and I said, “Well, now, You don’t mean, You couldn’t dare mean that I could have done the same thing?” He said, “Oh, yeah. If you’d known … had the knowledge of the Word of God that He did, you could have done the same thing because you’re a reborn man too!”

ここでコープランドは、イエスも新生して地獄でサタンに勝利したのであるから、同じく新生したクリスチャンもイエスのようにサタンに勝利できると語っています8。これは神であるキリストと人間を同列に置く異端的な教えです。ジョンソンはコープランドと同じことを言っているわけではありませんが、イエスが新生したと主張することで、イエスを人間と同じレベルに引き下げているという意味では基本的に同じです。

異端的な教えは、神を人間の領域まで引き下げ、人を神の領域まで引き上げることで、人を神と同列に置こうとします。ジョンソンのキリスト論は、キリストを人間の領域にまで引き下げるもので、異端的教えです。

結論

ビル・ジョンソンが語るイエスは、聖書が語るイエスではありません。それは、パウロが2コリント11:4で言っているような、聖書が教えるのとは「別のイエス」です。そのようなイエスを教えている者は、2コリント11:13~14でパウロが語っているように、「偽使徒、人を欺く働き人」です。

4  実際、だれかが来て、私たちが宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいは、あなたがたが受けたことのない異なる霊や、受け入れたことのない異なる福音を受けたりしても、あなたがたはよく我慢しています。… 13  こういう者たちは偽使徒、人を欺く働き人であり、キリストの使徒に変装しているのです。  14  しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の御使いに変装します。

参考資料


  1. Bill Johnson, When Heaven Invades Earth Expanded Edition: A Practical Guide to a Life of Miracles (Destiny Image), Kindle 版.

  2. 同書

  3. 同書

  4. その証拠に、ヨハネ8:58でイエスが同様にご自分のことを「わたしはある」と語った時、ユダヤ人たちはイエスを石打ちにしようとしました(ヨハネ8:59)。ユダヤ人にとって、自分を神と等しい存在とする者は神を冒涜する者であり、死に値するためです(マタイ26:64~66参照)

  5. Bill Johnson, When Heaven Invades Earth Expanded Edition: A Practical Guide to a Life of Miracles (Destiny Image), Kindle 版.

  6. “Bringing Heaven to Earth” (https://www.youtube.com/watch?v=_85bCON5YhU&t=698s) 2

  7. Kenneth Copeland, “Substitution and Identification” (Fort Worth, TX: Kenneth Copeland Ministries, 1989), audiotape #00-0202, side 2.

  8. クリスチャンがサタンに勝利することができるのは、キリストが十字架上で死ぬことですでにサタンに勝利しているからです。ヘブル2:14~15ではこう言われています。「そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした」

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ベテル教会の洗礼式に見る新使徒運動の「実」 | Biblical.jp

[…] ベテル教会が語っているのは「別の福音」であり、「別のイエス」です。ベテル教会系の働き人から「イエスを信じると告白したり、洗礼を受けたりする人が毎月起こされている」と報告されても喜べないのはそのためです。新使徒運動(NAR)で最も影響力があると言われるベテル教会の実態がこれですから、NAR系の他の教会の内情も推して知るべしでしょう。NARの父と呼ばれるC・ピーワー・ワグナーは、2004年出版の著作で、世界で3億6900万人もの人がNAR関連の教会に集っていると語っています。それ以降も、NARの教勢は増していますので、これ以上の数になっていると思われます。 […]

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