日本人に福音をどう伝えるか ― 聖書に記された唯一の異邦人向け伝道メッセージに学ぶ(3)「知られていない神」を紹介する(使徒17:23)

Idealized reconstruction of the Areopagus (front) and the Acropolis, Leo von Klenze, 1846.

前回の記事では、パウロの聴衆であるアテネ人がどのような人々であったのか、そしてパウロはアテネ人にどのように語りかけたのかを見ました。今回は、パウロのメッセージの基調にもなっている「知られていない神」に関する考察を行いたいと思います。

聖書箇所:使徒17:23

 23  道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう。 

「知られていない神に」(使徒17:23)

パウロは、アテネ人に「あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております」と語りかけた後、23節で次のように語っています。

23  道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう。 

「知られていない神に」と刻まれた祭壇
「知られていない神に」と刻まれた祭壇
(写真:Sailko ― CC BY 3.0)

このパウロの言葉は、アレオパゴスの審問に対する回答にもなっています。ここでパウロは、自分が宣べ伝えているのは「新しい神」でも、「外国の神」でもなく、すでにアテネ人が知らずに礼拝している神だと語っています。

ここに出てくる「知られていない神」という言葉は、パウロがアテネで語ったメッセージ全体のキーワードにもなっています。パウロが「知られていない神」の祭壇に言及した理由を探るために、アテネに伝わる伝承について触れておきたいと思います。

アテネで起きた「知られていない神」の故事

紀元前6世紀に、アテネの町が謎の疫病によって壊滅的な被害を受けたことがありました。疫病の正体がわからず、治療法も見当たらなかったため、アテネの人々は、町の神々のいずれかの怒りを買ったのだと考えるようになりました。アテネの指導者たちは、疫病の原因となっている神を見極め、その神を鎮める方法を見つけようとします。アテネには文字通り何百もの神々の偶像があったためです。この時に起こった出来事について、『ギリシア哲学者列伝』の著者である哲学史家のディオゲネス・ラエルティオス(3世紀前半頃)は、次のような伝説を語っています。

 疫病に襲われたアテネ人は、「都市を清めよ」と命じたデルフォイの巫女に従い、ニケラトゥスの子ニキアスを船長とする船をクレタ島へ派遣し、エピメニデスに助けを求めた。そして、エピメニデスは第46回オリンピア祭の年にアテネに来て、次のような方法で町を清め、疫病を止めた。
 エピメニデスは、黒毛と白毛の羊を連れてアレオパゴスの丘に行き、羊を放して好きなところに行かせた。そして羊の後を追う者たちに、羊が横たわった場所に印をつけ、そこで神にいけにえを捧げるように指示した。そのようにすると、疫病が止んだと伝えられている。そのため、今日に至るまで、アテネの各地には名前の刻まれていない祭壇が見られる。それは、この贖罪を記念したものである。

“Hence, when the Athenians were attacked by pestilence, and the Pythian priestess bade them purify the city, they sent a ship commanded by Nicias, son of Niceratus, to Crete to ask the help of Epimenides. And he came in the 46th Olympiad, purified their city, and stopped the pestilence in the following way. He took sheep, some black and others white, and brought them to the Areopagus; and there he let them go whither they pleased, instructing those who followed them to mark the spot where each sheep lay down and offer a sacrifice to the local divinity. And thus, it is said, the plague was stayed. Hence even to this day altars may be found in different parts of Athens with no name inscribed upon them, which are memorials of this atonement” (BOOK I p115,117 CHAPTER 10).1

ここで登場する「エピメニデス」とは、ギリシャ哲学者であり詩人でもあった人物です。この故事をパウロは知っていたと思われます。この点は後続の記事で触れますが、パウロはメッセージの後半(使徒17:28)でエピメニデスの詩を引用しており、エピメニデスに関する基本的な知識があったはずだからです。この出来事はアレオパゴスで起きたことなので、アレオパゴスの評議員もこの故事を当然知っていたはずです。

なぜパウロは「知られていない神」に言及したのか

ここでパウロが「知られていない神」にささげられた祭壇に言及した理由について考えてみたいと思います。これは偶然見かけたからだけではなく、おそらく以下のような意図があった、あるいは以下のような目的で神によって導かれたからだと思われます。

(1)「外国の神を伝えている」というアテネ人の誤解を正すため

パウロはアテネ人から「彼は他国の神々の宣伝者のようだ」と言われていました(使徒17:18)。そのため、パウロが最初にしたことは、イエスを外国の神ではなく、実はアテネ人も知らずに礼拝している方として示すことでした。パウロはこの後も、イエスは外国の神ではなく、あなた方の神でもあるということを一貫して主張しています。

(2)自分が宣べ伝えている神はアテネの歴史にもゆかりのある方であることを示すため

パウロは、「知られていない神」の祭壇に言及し、あなた方が礼拝している「知られていない神」が自分の宣べ伝えている方であると語ることで、アテネ人にも関係がある方であることを示しています。

(3)過去にもアテネ人に救いをもたらした外国人がいたことを思い起こさせるため

エピメニデスの故事は、過去に外国人(クレテ人のエピメニデス)がアテネに来て、アテネを危機(疫病)から救ったことを伝えています。パウロは、自分も外国人であるが、エピメニデスのようにアテネ人に救いをもたらす者であることを伝えたかったと考えることもできます。

まとめ

身近なものを使って真理を教えるというのは、イエス・キリストもよく使っていた手法です。パウロもイエスと同様の手法をここで用いています。それだけのために言及したと考えられなくもないのですが、上記で述べたようなメリットを考えると、パウロあるいは神の側の深謀遠慮によって、「知られていない神」の祭壇に言及したと考えることができます。

以下では、日本での伝道という文脈で、このパウロの手法から何を学べるかを考えてみます。

日本への適用

たいていの日本人は、イエス・キリストを外国の神だと誤解しています。アテネ人も同様の誤解をしていました。しかし、パウロは「知られていない神に」と刻まれた祭壇に言及することで、そうではなく、アテネ人の神でもあることを明らかにしました。日本人伝道でも、この誤解を解くことから始める必要があるように思います。

私自身もそうでしたが、キリストが外国の神であると思っている人がキリストを信じることは少ないのではないか思います。心のうちに「なぜ日本ではなく外国の神を拝まなくてはならないのか」という、日本人としての反発心があるためです。しかし、日本人も昔からすでに知っていた方であることがわかると、見方が変わってきます。

日本人にとっての「知られていない神」

日本人は初詣にお参りしたり、困ったことがあると「神様!」と助けを求めたりすることがあります。しかし、実際に自分がどのような神に祈っているのかを理解している人はわずかです。そのような人に、あなたが求めている神はこの方ですというアプローチは有効であるように思います。

また、参拝する神の名前や御利益は知っていても、神社の由来や歴史は知らない場合がほとんどでしょう。そして、歴史を知ると、自分は知らないで礼拝していたことを悟るのです。以下にそうした例をいくつか示していきたいと思います。

稲荷神社

「稲荷神社」というとキツネの神様というイメージがあると思いますが、あくまでキツネは神の使いであって、主祭神は「稲荷神」と呼ばれる神です。

稲荷神社は日本で最も数が多い神社です。稲荷神を主祭神としてしている神社は2970社、合祀をしている神社は32,000社を数えます。個人的に祀っている小さな祠(ほこら)を含めると、さらに膨大な数になるでしょう2

神社というと日本のものだというイメージがありますが、稲荷神社は渡来人、つまり外国人が創建した神社です。このことは以外に知られていません。稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社は、711年に秦伊侶具(はたのいろぐ)という豪族秦氏の一人が創建したものです。秦氏は、『日本書紀』や『新撰姓氏録』の記述によると、応神天皇の時代(4世紀末)に日本に来た渡来人です。つまり、稲荷神社という日本で最も数が多い神社は、外国人が創立したものだということです。

秦氏が創建した神社は、ほかにも松尾大社(京都市西京区)、大酒神社(京都市右京区太秦)、木嶋神社(蚕ノ社、京都市右京区)などがあります。

八幡神社

神社本庁に登録されている神社としては最も数が多い八幡神社も、秦氏が深く関係しています。『宗教新聞』の記事では次のように言われています。

八幡神を祀る八幡社は全国の神社8万8千社の半数近くを占め、二位の神明社を大きく上回る。八幡社の総本宮が大分県宇佐市の宇佐神宮で、伏見稲荷と共に渡来人秦氏の創建とされている。3

八幡神社の「幡(ハタ)」は、「秦(ハタ)」が由来とも言われています。

こう見てくると、日本の神社の大半は渡来人に由来するものであることがわかります。そのため、「キリスト教は外国の宗教なので日本人には関係ない」という言葉は、日本の歴史を見ると実態にそぐわない理屈であることがわかります。

日本は多神教の国か

「日本は多神教の国なので一神教は合わない」という主張もよく聞きます。しかし、歴史をたどると実はそれほど根拠のある主張ではないことがわかってきます。

稲荷神社の祝詞(のりと)の一つに「稲荷大神秘文」というものがあります。この祝詞は「秘文」と言われていることからわかるように、一般の参拝者向けの祈祷では聞くことがない、神職の間だけで受け継がれてきたものです。

MEMO
稲荷大神秘文の原文は初富稲荷神社公式ホームページで直接読むことができます。本記事では原文の現代語訳を引用しています。

この祝詞では、冒頭で次のように言われています。

そもそも神は唯一つであって、形があるものではない。形ある実体はなく虚であって、霊があるだけである。4

これを読むと、稲荷神社の祝詞では「神は唯一つ」として一神教的な信仰を告白していることがわかります。また、神は「形ある実体はなく虚であって、霊があるだけである」という言葉も、「神は霊です」(ヨハネ4:24)という聖書が語る一神教の世界観に通じるものがあります。

祝詞は次のように続きます。

天地ができてから、人が国常立尊(宇賀之御魂命)を拝み祀るのは、天から受け継いだ霊が、地に受け継がれ、人にも宿るからである。
神の霊は、食物(ケ、ウケ)をつかさどる、伊勢外宮にいらっしゃる豊受の神として立ち顕れ、同じく食物の神である宇賀之御魂命として現界した。

いくつか神道の神の名が登場しているので、以下に少し説明します。

国常立尊(くにとこたちのみこと) ― 『日本書紀』では、天地が初めて分かれた後に最初に出現した神として登場します。世界の創造に関わる根源的な神とされます。

宇賀之御魂命(うがのみたまのみこと)― 「宇賀」は「食(うけ)」を意味し、食物の神とされます。宇賀之御魂命は『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記され、どれも同じ神を指します。宇賀之御魂命は、稲荷神社の主祭神である稲荷神の別名です。

豊受の神(とようけのかみ) ― 伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)で祀られている神です。記紀(『古事記』と『日本書紀』)には明確な出自の記述がありません。豊受の神も、宇賀之御魂命と同様、食物を司る神です。

ここで言われているのは、唯一の神の霊は、豊受の神となり、宇賀之御魂命として世に現れ、この宇賀之御魂命は国常立尊と同じ神であるということです。つまり、豊受の神、宇賀之御魂命、国常立尊はすべて名前は違っても同じ神(異名同神)で、唯一の神を指しているという意味になります。

そして、祝詞は次の言葉で締めくくられています。

とこしえに神への祈りを受納いただき神のご意志を叶えるには、こうした天から地・人へと流れる霊を感じ、すべては神の末であると信じなければならない。

つまり、神に祈りを聞いていただくには、すべては唯一の神から出たものであると信じる必要があるということです。

この祝詞を読むと、唯一の神を信じる一神教から、複数の神を礼拝する多神教へ、そして自然崇拝(アニミズム)へと変化してきた日本の宗教の流れを見ることができます。これは自然崇拝から一神教へと進化したとする一般的な宗教進化論とは逆の流れです。

以上のことは、渡来系の稲荷神社だけが語っていることではありません。稲荷大神秘文に登場する「豊受の神」を古代から祀る由緒ある神社の宮司も、同様の証言をしています。

元伊勢籠神社
天橋立
籠神社が鎮座する天橋立(©写真AC)

京都府宮津市に「元伊勢」と呼ばれる「籠神社(このじんじゃ)」があります。籠神社の創建は719年ですが、吉佐宮(よさのみや)と呼ばれていた時代をさかのぼると、神話時代に至る長い歴史を持つと言われています。「元伊勢」とは、伊勢神宮に祀られている天照大神と豊受大神(=豊受の神)が伊勢に遷移する前に祀られていた神社を指す言葉です。元伊勢と呼ばれる神社はいくつかありますが、伊勢神社内宮の祭神である天照大神と、外宮の祭神である豊受大神の両方を主祭神としていたのは籠神社のみです。籠神社は日本三景の一つである天橋立(あまのはしだて)にある神社としても知られています。

籠神社の宮司は、代々海部(あまべ)という氏族が務めています。海部氏は由緒ある家系で、海部氏の家系図は日本最古の家系図として国宝に指定されています。この海部家の第81代当主である海部穀定(よしさだ)氏は、著書『元初の最高神と大和朝廷の元始』で、古代の神道について興味深いことを次のように語っています(以下、かっこ内の読みや説明は原文に追加したものです)。

記紀(『古事記』と『日本書紀』)撰進に至るまでの上古に、既に、元初の神、即ち、大元霊神の信仰があり、その御名は、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、天常立尊(あめのとこたちのみこと)、ウマシアシカビヒコヂノ尊、国常立尊、豊受大神、天照大神など、様々に申し上げていた…5

ここで海部宮司は、『古事記』と『日本書紀』が編纂される前の太古の時代に、すべての神の大元となる「元初の神」「大元霊神」と呼ばれる神への信仰があったと述べています。そして、次のようにも記しています。

それらの神々は、究極は、大元霊神、元初の神の一元に帰着するのであって、この究極の大神を、古事記は天御中主神と云い、書紀(『日本書紀』)は国常立尊と云い、神宮所伝では豊受大神と申し、神代本紀は、天譲日天狭霧国禅月国狭霧尊(あめゆずるひあまのさぎりくにゆずるつきくにさぎりのみこと)と申しているのである。したがって、これらの大元霊神は、もちろん異名同神であらせられる次第なのである。6

つまり、上記の神々は様々な名前で呼ばれていても同じ神であり、あらゆる神々の大元となる神なのだということです。

そして、海部宮司は、この神についてより明確に次のように語っています。

 現在に説くところは、現代に通用する字句(語句)によって説かれねばならぬ。近世までは、一神教というような字句は無かった。基督(キリスト)教渡来以降の現代では、否、将来も、信仰を説くには一神教、多神教といったような字句も用いねばならぬであろう。
 日本の過去の神道に、相当古い時代から「大元神(おおもとつかみ)」「大元霊神(おおもとつみたまのかみ)」という字句が用いられている。この「大元神」(大元霊神)は、一面、一神教の「神」に該当せられる御神格を有せられる。現代的字句では、これを最高神とも読んでいる7

ここで海部宮司は、日本には古い時代から「大元神」と呼ばれる元初の最高神がおり、「一神教の『神』に該当せられる御神格を有せられる」、つまり唯一神としての性格があると明確に語っています。そしてその後、「日本の神道には、多くの御分霊があり」とし、この神が様々な神々として立ち現れるとも語っています。

このように、日本の中で最も由緒ある神社の一つである籠神社の宮司も、稲荷神社の秘文と同様のことを語っていることがわかります。つまり、日本の宗教は、今は様々な神々を拝む多神教となっているが、元々は唯一神を信じる信仰から出発しているということです。

こう見てくると、よく言われる「日本は多神教の国で一神教は合わない」という言葉は、神社の歴史からすると実はそれほど確かな主張ではないことがわかってきます。

原始一神教

このような現象は日本だけのものではなく、世界的に見られるものです。人類学者、宗教学者でウィーン大学教授のヴィルヘルム・シュミット(1868年~1954年)は、人類史上最古の段階で、すでに唯一の神による啓示と、その神への信仰が存在していたと語り、そのような信仰を「原始一神教」と呼んでいます。

宗教の進化論では、一般に宗教はアニミズムから多神教を経て一神教に進化したと言われますが、実際はその逆だという主張です。この主張は聖書の記述とも合致します。

シュミットは世界の様々な民族の宗教を分析して原始一神教説を説き、日本のアイヌの信仰についても次のように記しています。

アイヌもまたアニミズムの影響を強く受けているが、それでもアイヌの宗教にはアニミズムの影響をまったく受けていない最高神がおり、この存在はいわゆる「いと高き神」の性格を完全な形で保っている。

The Ainu again have been strongly influenced by animism; nevertheless in their religion we find a Supreme Being who is wholly unaffected by it, and preserves, so to speak, the character of a high god in a complete state of concentration. 8

また、聖書学者のジェームス・ヘイスティングス (1852年~1922年)の編纂による宗教・倫理百科事典では、アイヌの宗教の変遷が次のように記されています。

アイヌの宗教は、もともとは一神教的であった。…現在の形に発展したアイヌの宗教は、きわめて多神教的であるが、「神」を意味する単語が単数形であることから、その起源においては一神教的な性質を持っていたことを示しているように思われる。この単語は「カムイ」である。

The Ainu religion originally monotheistic… Although the Ainu religion, as now developed, is found to be extremely polytheistic, yet the very word in use for ‘God,’ being of the singular number, seems to indicate that in its beginning it was monotheistic in nature. This word is Kamui. 9

この記述は19世紀にアイヌの村に調査に入った学者によるもので、次のようにも記されています。

最高神の区別について
 一神教が多神教に取って代わられた後、アイヌの人々には神々の間に区別をつける必要が生じた。神々が多数になったことで、最高神を示すための特別な呼称が必要となったのである。そこでアイヌは「神の中の神」について語るとき、その神をパセ・カムイ(「創造主かつ天の所有者」)と呼んだ。その他の神々は「ヤイヤン・カムイ」すなわち「普通の神々」と呼ばれた。また「近い神々」「遠い神々」とも呼ばれた。
 「パセ」は形容詞で、位や権威を示し、元々の意味は「重みがある」「真実の」「位の高い」である。したがって「パセ・カムイ」は「主なる神」または「真の神」と訳すことができ、ヘブル人のように「すべての上に立つ神」と言うこともできる。
 これまでの説明から、アイヌ信仰の二つの基本的な教義が浮かび上がる。
(a)「私は唯一の至高の神、すべての世界と土地の創造主であり、天の所有者である神を信じる。この神を私たちは パセ・カムイ(真の神) と呼び、コタン・カラ・カムイ(村を作った神)、モシリ・カラ・カムイ(世界を作った神)、カンド・コロ・カムイ(天の上におわす神) とも呼ぶ」
(b)「私はまた、多くの下位の神々(カムイ)の存在を信じる。これらの神々はすべてこの創造主に従属しているしもべであり、彼から命と力を受けて、この世を治め、彼のもとで働いている」

The Supreme God distinguished. — After monotheism had given place to polytheism, it became necessary for the Ainus to distinguish between the deities. Making gods many rendered it imperative to have some term by which to designate the Supreme God. Hence, when speaking of the ‘God of Gods,’ the Ainus gave Him the name of Pase-Kamui, ‘Creator and Possessor of heaven.’ All the rest are termed Yaiyan Kamui or ‘common deities,’ also ‘near’ and ‘distant deities.’ Pase is an adjective, and points to rank and authority, its first meaning being ‘ weighty,’ ‘true,’ and ‘superior in rank,’ And so Pase Kamui may well be translated by the word ‘chief’ or ‘true God’; or, as the Hebrews would have said, “God over all.’ Thus far, then, we have reached a real basis for two articles of Ainu belief, viz. (a) ‘I believe in one supreme God, the Creator of all worlds and places, who is the Possessor of heaven, whom we call Pase Kamui, “The true God,” and whom we speak of as Kotan kara Kamui, Moshiri kara Kamui, Kando koro Kamui’ ; (b) ‘I believe also in the existence of a multitude of inferior deities (Kamui), all subject to this one Creator, who are His servants, who receive their life and power from Him, and who act and govern the world under Him.’ 10

ほかにも、元々は唯一神を信仰していたが、時代が下るにつれて多神教的になっていった例として、中国とインカ帝国の例を挙げることができます。中国では、太古には「上帝」「天」と呼ばれる唯一神を礼拝していましたが、道教などの登場で多神教化していったことが明らかになっています11。インカ帝国でも、創造神とされる「ビラコチャ」への信仰が薄れていき、次第に太陽神の「インティ」を中心にした多神教へと変化していったと言われています12

結論

日本人も、パウロの時代のアテネ人と同様、誰に祈っているのかを知らずに祈っています。それを偶像礼拝として咎める前に、パウロのようにまず真の神はどういう方かを伝える必要があります。

また、日本人が信仰している神をよく知ることで、日本人がよく言う次のような言葉は誤解の上に成り立っていると言うことができます。

よく言われる言葉 実際の状況
「キリスト教は外国の宗教なので日本人には関係ない」 日本で神道は日本固有のものと思われているが、実は渡来人に由来する神社が多数を占めている。もちろん仏教はインド由来である。日本には渡来宗教を受け入れてきた歴史がある。
「日本は多神教の国なので一神教は合わない」 多神教と言われる神道の信仰も、元々は一神教的なものだったという有力な証拠がある。日本であがめられる様々な神は異名同神であることが多く、結局は同じ神を礼拝していることも多い。自然崇拝も、元をたどると唯一神への信仰から出てきたものだという証拠がある。

日本人は先祖を敬い、大切にする民族です。その日本人の先祖が、古代までさかのぼると唯一神を信仰していたという有力な証言があるのです。そうであれば、日本の古代に先祖たちが礼拝していた唯一の神に立ち返ることは、日本人にとってふさわしい行為だと言えるのではないでしょうか。

以上は福音そのものではありませんが、福音の種を蒔く前に土地を耕すという意味では、有効なアプローチであると思います。

最後に

最後に注意してほしいのは、神道に一神教の残滓が見られるからと言って、神道の神への信仰と聖書の神への信仰と同一視してはいけないということです。使徒4:12で、イエス・キリストに関してパウロが次のように語っているためです。

12  この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。 

また、イエスご自身も次のように語っています(ヨハネ14:6)。

6  イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。 

「知られていない神」を敬う思いは、あくまでも真の神を見出すための出発点に過ぎません。偶像礼拝では神に近付くことはできないからです。

次の記事では、「知られていない神」である聖書の神をどのようにお伝えするかという内容に入っていきます。

参考文献

脚注

  1. Diogenes Laërtius, “Lives of the Eminent Philosophers,” Wikisource

  2. 稲荷神社」(Wikipedia)

  3. 八幡神の始まり宇佐神宮」(宗教新聞、2022年7月28日)

  4. 初富稲荷神社公式ホームページ「稲荷祝詞・稲荷大神秘文」。

  5. 海部穀定『元初の最高神と大和朝廷の元始(第三版)』(桜楓社、1990年)p.565

  6. 海部穀定『元初の最高神と大和朝廷の元始(第三版)』(桜楓社、1990年)p.204

  7. 海部穀定『元初の最高神と大和朝廷の元始(第三版)』(桜楓社、1990年)p.242

  8. Wilhelm Schmidt, The Origin and Growth of Religion: Facts and Theories (Cooper Square Publishers, 1972), p.260

  9. James Hastings (Editor), Encyclopedia Of Religion And Ethics Vol I (Charles Scribner’s Sons, 1913), pp.239-240

  10. James Hastings (Editor), Encyclopedia Of Religion And Ethics Vol I (Charles Scribner’s Sons, 1913), p.240

  11. C.H. Kan and Ethel R. Nelson, The Discovery of Genesis, (Condordia Publishing House, 1979), Chapter 1 “Not Without Witness”

  12. Don Richardson, Eternity in Their Hearts (Ventura, California: Venture Books, Revised edition, 1984), Chapter 1 “Peoples of the Vague God”

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