日本人に福音をどう伝えるか ― 聖書に記された唯一の異邦人向け伝道メッセージに学ぶ(1)はじめに

Idealized reconstruction of the Areopagus (front) and the Acropolis, Leo von Klenze, 1846.

日本人に福音をどう伝えるか

日本人に福音をどう伝えるかということは、日本に住むクリスチャンにとって大きな課題だと思います。日本ではキリスト教人口が1%の壁を越えない状況が戦後80年以上続き、キリスト教徒の人口は、プロテスタントやカトリックをすべて合わせても約100万人と言われています(2021年度の数字では107万人1)。

私も、日本人に聖書の福音を語る際にどう伝えたらよいのかとよく考え、難しさを感じることがあります。たとえば、昔、祖父に福音を伝えていた時に、祖父から「剛史(筆者)はイエスさんを信じたらええ。イエスさんは位の高い立派な神さんや。わしとばあちゃんは○○さん(祖父母が信じていた新興宗教)でええんや」と言われて困ったことがあります。

多神教の世界観で生きている日本人にとって、イエス・キリストは数ある神の中の一つです。多神教的な世界観を持つ人は、数多くいる神々に新しい神を追加する寛容さは持ち合わせています。ただ、「わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません」(ヨハネ14:6)といったイエスのことばを示し、キリスト以外に救いの道はないと言うと途端に態度が変わります。

人は、無意識のうちにさまざまな色眼鏡をかけて生きています。多くの日本人は、多神教的世界観という色眼鏡をかけて生きています。こうした日本人がイエス・キリストの福音を受け入れるには、この色眼鏡を外す必要があります。

では、日本人のような異邦人がかけている非聖書的な色眼鏡をどうやって外すことができるのでしょうか。聖書にそのような事例が記録されていれば、大いに参考になります。ただ、実は、このような目的で聖書を探しても、日本人伝道に役立つような異邦人向けの伝道的メッセージはほとんどないことに気付きます。

聖書に記された異邦人向けの伝道メッセージ

旧約聖書

異邦人向けのメッセージというと、旧約聖書ではヨナのニネベでのメッセージが思い浮かびます。ただ、この箇所はあまり参考になりません。ヨナ書では、ヨナが語ったメッセージについて次のように記されているだけだからです(ヨナ3:4~5)。

4  ヨナはその都に入って、まず一日分の道のりを歩き回って叫んだ。「あと四十日すると、ニネベは滅びる。」 
5  すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで粗布をまとった。 

このようにメッセージの内容が「あと四十日すると、ニネベは滅びる」だけですので、あまり参考にはなりません。ニネベの町全体が神を信じて断食したという結果はすばらしいのですが、情報量が少なすぎるのです。

ほかにも、ダニエル書にバビロンの王ネブカドネツァルとダニエルが話す場面などがありますが、夢の解き明かしが中心で、聖書の神について伝道するという内容ではありません。

新約聖書

新約聖書には異邦人向けの伝道メッセージがあるだろうと思って探すと、意外にないということに気付かされます。

イエス・キリストの宣教は、基本的に「イスラエルの家の失われた羊たち」(マタイ15:24)に対するもので、ユダヤ人を対象にしたものでした。イエスが伝道したサマリヤの女はユダヤ人ではありませんが、旧約聖書の基礎知識があり、先祖はイスラエル十部族ですので、異邦人に対する伝道ではありません。

また、新約聖書の書簡は、すべて信者に向けて書かれたものです。もちろん、ローマ1~2章などに異邦人の伝道に関連する内容は記されていますが、あくまでも読み手は信者であって、異邦人に直接語られているものではありません。

使徒の働きにも、意外なことに異邦人に向けたメッセージはあまりありません。使徒の働きには、伝道メッセージがいくつか記録されていますが、基本的にユダヤ人向けです。代表的なものが、ペテロがペンテコステの日に語ったメッセージです(使徒2:14~36)。こうしたメッセージは、旧約聖書の知識がある人を対象にしています。エチオピアの宦官に対するピリポの伝道(使徒8:26~35)や、ローマの百人隊長コルネリウスに対するペテロのメッセージ(使徒10:34~43)は、異邦人が対象ですが、どちらもユダヤ教の改宗者で、旧約聖書の知識がすでにある人々に対する伝道です。

このように見てくると、旧約聖書の知識がない一般的な異邦人に向けて語られた伝道メッセージは少ないことがわかります。使徒の働きで語られているメッセージで唯一異邦人を対象にしたものは、使徒17:22~31でパウロがアテネ人に語ったメッセージだけであることがわかります。この箇所は、アテネの裁判所や議会の役割を果たした「アレオパゴス」でパウロが語ったもので、聴衆はすべて異邦人です。

パウロがアテネで語った伝道メッセージ

パウロがアテネで語った異邦人向け伝道メッセージは以下のとおりです(使徒17:22~31)。

22  パウロは、アレオパゴスの中央に立って言った。「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております。 23  道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう。 
24  この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。 25  また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。 
26  神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。 27  それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。 
28  『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。あなたがたのうちのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。 
29  そのように私たちは神の子孫ですから、神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません。 30  神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます。 
31  なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」 

このメッセージを理解するには、メッセージが語られた状況や結果も見ていく必要があります。そうなると、使徒17:16~34が全体の文脈となります。このメッセージが、異邦人向けに語られた伝道メッセージとして、まとまった形で聖書に収録されている唯一のメッセージです。

MEMO
使徒の働きでは、使徒14:15~17にも、異邦人に対して語った伝道的な内容が記されています。ただ、これはパウロとバルナバを神と考えていけにえをささげようとしていた群衆を止めるために語ったことばで、まとまった伝道メッセージにはなっていません。

パウロのアテネでのメッセージの重要性

パウロは異邦人への使徒です。そのパウロがアテネの異邦人に向けて語ったメッセージは、異邦人伝道で特に重要な内容であることは論を俟ちません。また、このメッセージは、異邦人向け伝道メッセージの「サンプル」「型」として聖書に記されている可能性があります。

このような考えに基づいて、使徒17:16~34の聖書研究を行い、記事を掲載していきます。また、聖句を解説するだけでなく、日本人への適用も考えながら、論じていきたいと思っています。

パウロがアテネで語った伝道メッセージは失敗だったという意見

パウロのアテネでのメッセージは、これまでさほど注目されてこなかったという印象があります。一部の論者は、これには次のような理由があることを指摘しています。

回心者の少なさ

パウロがアテネで行ったメッセージの結果として、使徒17:32~34では次のように言われています。

32  死者の復活のことを聞くと、ある人たちはあざ笑ったが、ほかの人たちは「そのことについては、もう一度聞くことにしよう」と言った。 33  こうして、パウロは彼らの中から出て行った。 34  ある人々は彼につき従い、信仰に入った。その中には、アレオパゴスの裁判官ディオヌシオ、ダマリスという名の女の人、そのほかの人たちもいた。 

具体的に何人が信じたかは書かれていませんが、この書き方だと数名という印象です。そのため、2千人が回心したペンテコステの日のペテロのメッセージと比較すると、見劣りがします。しかし、ペテロは、すでに旧約聖書の知識があって、キリストに関してイスラエルで起きたことも知っているユダヤ人に向けてメッセージを語っています。そのため、旧約聖書の知識のない異邦人を相手にしているパウロの事例とは比較対象になりません。また、日本のクリスチャンであれば誰でもわかることですが、一度のメッセージで数人が回心するというのは大成功です。そのため、このパウロのメッセージは失敗だったという評価は正しくありません。むしろ、異邦人に伝道する者にとって学ぶことが多い教材となっています。

アテネの次にコリントを伝道したパウロの言葉

パウロは、アテネの次にコリントに行って宣教しています(使徒18:1)。アテネに教会ができたとは聖書に書かれてはいませんが、コリントでは回心する人が多数出て、教会ができました。このコリントの教会に向けて、パウロはコリント人への手紙第一で次のように語っています(1コリント2:1~5)。

1  兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。 2  なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。 3 あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。
4  そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。 5  それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。 

パウロがアテネで語った伝道メッセージが失敗だったと批判する人々は、アテネでは人間の知恵によって伝道しようとしたためにうまくいかなかったと言います。人間の知恵を使わず、十字架にかけられたキリストだけを宣べ伝えていればよかったのにという見解です。そうした人々の主張について、ギリシャ・ローマ世界の初期教会の研究者、ケンブリッジ大学フェローのブルース・ウィンターは、次のように語っています。

 この説教は実質的に失敗だったと考える人々は、パウロ自身、宣教でこのようなアプローチを二度と試みないことを決意したではないかと言って、自分たちの主張の根拠としている。こうした人々は、次の寄港地、文化的に洗練された都市コリントで行う伝道活動について、パウロは「イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していた」(1コリント2:2)と主張する。
 そして、当時に回心者は出たが、パウロはアレオパゴスでの伝道スタイルをきっぱりやめたと結論付ける。また、パウロはアテネで採用した弁証論的アプローチをほかの人はまねをしないようにと考えていたと言う。このような使徒17章の見方では、現代にキリスト教の福音を伝えるためのパラダイム(枠組み)は提供されない。もしそういう見方が正しければ、この説教は、アテネとギリシャ文化の知の中心地で語られた興味深い話として、博物館の作品のように聖書に記録されていると結論づけざるを得ない。

Those who believe that this address was, in effect, a failure, support their contention by arguing that Paul, himself, subsequently resolved never again to attempt this approach in his ministry. They argue that, of his evangelistic endeavours at his next port of call, Paul ‘determined to know nothing but Jesus Christ and him crucified’ (1 Cor. 2:2) in that culturally sophisticated city of Corinth.
It is concluded that even though there were converts on the day, Paul put the Areopagus style of evangelism behind him. He expected that others would never attempt to imitate his Athenian foray into the field of apologetics. This view of Acts 17 provides no paradigm for contemporary presentations of the Christian gospel. If that is the case it also has to be concluded that the address was recorded in Scripture simply as an interesting museum piece in the intellectual heartland of Athens and Greek culture.2

ウィンターが言うように、パウロがアテネで行ったメッセージは失敗だったと言う人の主張と認めると、なぜ失敗作をわざわざ聖書に収録したのかがわかりません。しかも、その「失敗作」は、聖書に記されている唯一の異邦人向け伝道メッセージなのです。

聖書学者のトーマス・コンステーブル博士は、パウロのアテネでの説教について次のように語っています。

ルカはおそらく、知的な異邦人に対する説教の見本として、パウロの説教を記録したのだろう(13:16~41、14:15~18、20:18~35参照)。この説教でパウロは、すべての人の創造主としての神から議論を始め、すべての人の裁き主としての神に聴衆を導いた。

Luke probably recorded Paul’s address as a sample of his preaching to intellectual pagans (cf. 13:16-41; 14:15-18; 20:18-35). In this speech Paul began his argument with God as everyone’s Creator and brought his hearers to God as everyone’s Judge.3

私も、コンステーブル博士と同意見です。このパウロのメッセージは、分析すればするほど、よくできています。なぜそう言えるかは今後の記事で明らかにしていく予定ですが、このメッセージが失敗作のサンプルとして聖書に収録されているとは思えません。この点は、次回以降の記事でご理解いただけるのではないかと思っています。

結論

パウロがアテネで語ったメッセージ(使徒17:22~31)は、聖書に記録された唯一の異邦人向け伝道メッセージです。また、このメッセージは、ギリシャ人という知的活動を重んじる異邦人に向けて語られたものです。そのため、世界的に見て教育水準の高い日本人に対する伝道を考える上でも、このメッセージは研究対象として特に重要であると考えます。

以上のような観点から、以後、使徒17:16~34の聖句を研究し、日本への適用を考えていく記事を掲載していきます。

この聖句を日本人への適用も考えながら解説するというのはあまり過去に行われたことがない試みで、手探りの状態で進めていくことになります。読み進めながら、皆さんも日本人伝道のあり方を一緒に考えていただけると幸いです。また、フィードバックやご意見を歓迎いたします。

脚注

  1. 原田元道「なぜ日本でキリスト教が広まらないのか①:キリスト教界の『1%の壁』とその原因

  2. Bruce W. Winter, “Introducing the Athenians to God: Paul’s failed apologetic in Acts 17?,” thermelios

  3. Dr. Thomas L. Constable, “Notes on Acts 2024 Edition

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