日本人に福音をどう伝えるか ― パウロが語った唯一の異邦人向けメッセージに学ぶ(4)天地創造の神を宣べ伝える(使徒17:24~25)

レオ・フォン・クレンツェによる、アレオパゴス(前景)とアクロポリスの理想化された復元図、1846年。

前回、パウロは「知られない神」に言及して、自分が宣べ伝えている神は新しい神でも、外国の神でもないことを明らかにしたと説明しました。今回の箇所で、パウロは本格的な宣教に入り、自分が宣べ伝えている神がどのような方を具体的に語り始めます。

聖書箇所:使徒17:24~25

24  この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。 25  また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。 

天地創造の神を宣べ伝える

パウロは最初に、自分が宣べ伝えているのは天地創造の神であることを宣言します。パウロが語りかけているアテネ人には、まだ特別啓示(聖書)が与えられていませんでした。ただし、自然を通した一般啓示は与えられていました。そのため、パウロはまず、すべての人に与えられている一般啓示に訴えてアテネ人に語りかけたのです。

一般啓示と特別啓示
神を啓示するものが2種類あります。第一は「一般啓示」と呼ばれるもので、以下の3つを通してすべての人に神の存在が啓示されています。

  1. 自然
  2. 歴史
  3. 良心

一般啓示は、神の存在を示し、神をより深く知りたいという願いを与えます。しかし、一般啓示では救いの道は示されません。

そのため、第二の「特別啓示」によって救いの道が示されます。特別啓示は、神が人に語ったことばで、基本的には聖書を意味します。

パウロがローマ書で語っている福音の説明で、パウロは1:16~17で福音の概略を語った後、神の一般啓示から語り始めています(ローマ1:18~20)。

18 というのは、不義によって真理を阻んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。 19 神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。 20 神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。 

一般啓示について、20節でパウロは次のように語っています。

20  神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。 (ローマ1:20)

人はみな被造物を通して、天地を創造した神がおられることを心の奥底では知っているというのが、上記の聖句が語っていることです。そのため、聖書を知らない異邦人に対し、被造物を通した一般啓示から語り始めることは聖書的です。一般啓示に応答している人は、特別啓示である神のみことばを求めるようになります。

パウロは、この後のメッセージでも、一般啓示に訴えてアテネ人に福音を伝えようとしています。この点は、次回以降の記事でも見ていきたいと考えています。

アレオパゴスへの回答

パウロが語った「手で造られた宮にお住みにはなりません。また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません」(24b~25a節)という言葉は、アレオパゴスの審問に対する回答にもなっています。

アレオパゴスの役割は、新しい神を宣べ伝える者の主張を審査することでした。新しい神と認められた場合は、神殿が建てられ、供え物がささげられることになります。

前回、パウロは「知られない神」に言及することで、自分が宣べ伝えているのは新しい神でも、外国の神でもないことを明らかにしたことを学びました。今回は、自分が宣べ伝えている神は、神殿に住まうことも、人の手によって仕えられる必要もないと語ることで、アレオパゴスの審査対象ではないことをさらに明確にしています。

また、「神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから」(25b節)という言葉で、人にすべてを与えてくださっている神に対し、人は賛美と礼拝以外に何もささげるものがないという認識に導こうとしていることがうかがい知れます。

日本への適用

パウロは、被造物を通した一般啓示がアテネ人にも与えられているという事実に立脚して、キリストは天地を創造された神であるというところから語り始めました。この点が、日本の宣教では弱いところだと思います。おそらくそれには理由があって、日本人が学校教育ですり込まれてきた「進化論」という壁が立ちはだかっているためだと思います。天地創造の神を語るなら、何百億年、何十億年という時間をかけて自然発生的に宇宙と生物が誕生したという進化論の主張とどう折り合いを付けるかを説明する必要が出てくるためです。明治時代の初期からダーウィンの進化論を公教育に取り入れてきた日本では、高い壁となっていると思います。

ダーウィン以前の戦国時代に日本で宣教したイエズス会は、パウロのメッセージと同様、天地創造の神から宣教を始めることをポリシーとしていました。イエズス会は、このポリシーによって宣教に成功していたことが、宣教師フロイスの『完訳フロイス日本史』(中央公論)に記録されています。

戦国時代のイエズス会による宣教

フロイスは、天地創造の神から宣べ伝えることがザビエルの方針であったことを次のように書き記しています。

メストレ・フランシスコ(・ザビエル)師の命令によって、日本で異教徒にキリシタンの教理を教えた方法は次のとおりであった。まず彼らに証明するのは、世界万物の創造主が存在すること、世界には初めがあって、[彼らのある人々が信じるように]永遠のものではないということ、太陽や月は、彼らの神々ではなく、またいずれにせよ生物ではないこと、さらに霊魂は肉体から離れた後も永久に生き続けること…

― ルイス・フロイス著(松田毅一、川崎桃太訳)『完訳フロイス日本史①将軍義輝の最期および自由都市堺』(中央公論、2000年)P. 220~221

実際に、司祭や修道士が天地創造の神から宣べ伝える場面がフロイスの記録に何度も出てきます。

ロレンソ修道士は、人声絶えた静けさの中で、世界の創造、天地万物の創造主について説き始め、その創造主は、生命の源であるが、自らは始めも終りもなく、人間には生命と恩寵と諸徳を授け給う。人間はそれによって死後に永遠の幸福を得、悪人や罪人たちが罰として被る永遠の呵責を免れ得るのである。…

― ルイス・フロイス著(松田毅一、川崎桃太訳)『完訳フロイス日本史①将軍義輝の最期および自由都市堺』(中央公論、2000年)P. 51

イエズス会はカトリックなので、聖書にはないことも教えています(特にマリアに関する教えなど)。そのため、プロテスタントである筆者は、ザビエルの宣教を手放しで評価しているわけではありません。ただ、宣教の方法論として、天地創造の神から説き始めていたことは高く評価しています。

キリシタンの宣教例

フロイスの『日本史』には、天地創造の神を宣べ伝えると目が開かれ、信仰に入る日本人が多数いたことが記録されています。たとえば、戦国大名の松永久秀の有力な家臣で、武芸にも学問にも秀でていた結城山城という武士です。結城山城氏は、キリシタンに反対して迫害しようとしていた時、ディオゴという日本人キリシタンと、キリスト教信仰について次のような問答をしています。なお、文中の「デウス」とはポルトガル語で「神」の意です。

 結城殿は彼に言った。「予は汝らがキリシタンであることを聞いている。ところで汝らの師匠なる天竺人(訳注:イエズス会の宣教師のこと)は、国に害を及ぼす者ゆえ、予が五畿(訳注:近畿)内から追放し、教会も家財も没収しようと決心しようとしていることを承知しておるか」と。ディオゴは答えた。「この世のことはすべて、全能のデウスが嘉(よみ)し、定め給うことでなければ起き得ませぬ」と。[結城氏]曰く、「汝の申すデウスとは何ぞや」。[ディオゴ曰く]、「私たちが拝み奉るデウスは、天地の御主であり、現世において最高の支配を司り給うのみならず、来世においても同様であります。また、デウスは人類の救い主、自然の造り主、世界ならびに見えるもの見えざるものの創造者であられます」と。

 結城殿はそれを聞いて驚嘆した。そして宗教討論では自分以上にやれるものは誰もいないと思えたので、彼は故意にディオゴならびにその従者と討論し始めた。…彼らは提出されたあらゆる疑問に対して完全に満足すべき解答を与えた。そこで結城殿は、手で畳を打ち、まるで深い眠りから覚めたかのように額をさすり、讃嘆の言葉を発してやまなかった。彼はそれまでは、伴天連や教会およびデウスの教えに対して憎しみに満ちており、狂暴な獅子のように彼らを滅亡させようと望んでいたのであるが、今や突然打って変り、「いやはや、御身らが申すとおりだから、予はキリシタンになりたいと思う。いかが致せばよかろう」と繰り返して言った。

― ルイス・フロイス著(松田毅一、川崎桃太訳)『完訳フロイス日本史①将軍義輝の最期および自由都市堺』(中央公論、2000年)P. 154、155

このように結城山城氏は、一信徒であるディオゴに伝道され、その場でキリシタンになることを表明します。この時も、ディオゴは天地創造の神から説き始めていることに注目する必要があります。

イエズス会の宣教についてはさまざまな評価があると思いますが、多数の日本人が信仰に入る決心をしたという事実は動かせません。イエズス会の宣教の成果については、次のように言われています。

戦国時代当時、キリスト教は、我々が思っている以上に普及していた。キリシタン大名の追放が始まった慶長19(1614)年の時点で、日本人の信徒の数は少なく見積もっても20万、多い場合は50万人ほどいたと見られている。当時、日本の人口は1200万人程度だったとされているので、人口の2〜4%がキリスト教徒だったことになる。

― 大村大次郎「徳川家康『キリスト教を徹底弾圧した』深い事情」(東洋経済オンライン)

1614年というと、フランシスコ・ザビエルが1549年に来日してから65年しか経っていません。現在の日本のキリスト教人口は、戦後80年経っても人口1%の壁を突破していません。人数だけが問題ではありませんが、周りで救われる人が次々に起こされるという状況になっていないことも確かです。パウロのアテネ人に対するメッセージと同じように、まず天地創造の神を宣べ伝えるというイエズス会の方法論は正しかったと言えるのではないでしょうか。

個人的体験

私自身も、創造論と出会わなかったらおそらく救われていません。私が初めて行った教会は、創造論を教える教会でした。牧師が講壇から創造論を語り、教会には創造科学の本が何冊も置いてありました。

教会では本の貸し出しをしていたので、通い始めた頃に、勧められて創造論の本を借りてみたことがありました。それまでは進化論が正しいことを疑うこともなかったのですが、創造論の本を読み、進化論は実は証明されたものではないことに気付かされました。

当時、京都大学霊長類学研究所の今西錦司という人の本を読んでいました。人類の先祖がなぜ、どのように二足歩行を始めたかという考察が書かれてありました。私もなぜ、どのように二足歩行を始めたのだろうと考えていましたが、創造論の本を読んでから急に馬鹿馬鹿しくなりました。人間でも、自分の意思で悪習慣をやめることもできず、当時の自分のように自分を変えたいと思っていても変われない人が多いのに、猿のような動物(類人猿)が急に二本足で立って歩き出し、しかも一匹だけではなく集団で歩き出し、それが遺伝で子孫に受け継がれて新しい種、人間となったという発想自体が馬鹿馬鹿しく思えたのです。

そのように考えるよりも、聖書が言うように、天地創造の神が、あらゆる生物を初めから種に従って創造したと考えた方がずっと理にかなうと考えるようになりました。創造論に目が開かれて後、聖書に対する興味がさらに出てきて、通読してみようという思いになったのです。

進化論メガネを外すメッセージの必要性

現代の教会が天地創造の神を宣べ伝えようとすると、進化論という壁が立ちはだかると先ほど申しあげました。現代には、イエズス会が活躍した戦国時代にはなかった宣教の壁があるのです。ただ、この壁は避けて通れないもので、乗り越える必要があります。

天地創造の神を宣べ伝えるには、この世界は神の創造のわざではなく、進化のプロセスによって出来上がったという進化論に対して、有効な反論を提示する必要があるように思います。実のところ、進化論は堅固な土台に立った理論ではありません。反論には以下のような方法があります。

具体的な事実を指し示す

何百、何十億年もかけて起こったといわれる進化論のプロセスは、実験で証明できません。このようなプロセスで起こったのではないかという推測はありますが、あくまでも推測であり、仮説にすぎません。

また、以下のような進化論に不利な事実はいくつもあります。

  • 進化の中間形態と思われた発見が、後に捏造だったとわかった事件が多い(ピルトダウン事件など)。
  • パスツールが自然発生説を否定して以降、無生物から生物は生まれないというのが実証科学の立場である。
  • 無生物から生物が誕生するプロセスを解明する研究は、1953年のユーリー・ミラーの実験からほとんど進展していない。
  • ビッグバンで宇宙が誕生したと言うが、ビッグバンの元になった物質やエネルギーはどこから来たのか説明されていない。
  • ビッグバン理論が言うように宇宙に始まりがあるなら、宇宙は無から誕生したのか。もし無から有が誕生したのであれば、もはや科学理論で説明することは不可能である。科学理論で説明がつかないのであれば、もはや科学ではなく信仰である。
クリスチャン科学者の証言を引用する

科学の各分野の創始者となった科学者の82%は、天地創造の神を信じるキリスト教徒です。日本が西洋の科学を取り入れ始めた明治期には、ダーウィン進化論も一緒に入ってきていますので、こうした事実は知らされず、一般の人はほとんど知りません。そのため、自分が教科書で習った著名な科学者の多くが天地創造の神を信じていたという事実を知ると、科学と神の関係についても考え方が変わる可能性があります。また、自分では科学的な立証ができなくても、科学分野で大きな功績を残した科学者の証言には重みがあります。たとえば、科学の一分野を確立したような著名な科学者が以下のような言葉を残しているのはめずらしいことではありません。

  • ニュートン「この最も美しい太陽、惑星、彗星のシステムは、知性があり、力ある存在の考えと支配からしか生まれない」
  • フレミング「不確実で、常に変化する科学の上ではなく、神のみことばという岩の上に建てなければなりません」
  • ケプラー「私は神学者になるつもりでした。……しかし今では、私の研究によって、天文学の分野でも神の栄光をほめたたえられることがわかります。『天は神の栄光を語り告げ』(詩篇19:1)と言われているためです」

    など

こうした情報は、クリスチャンコモンズのサイトに掲載しており、今後も追加していく予定ですので、ぜひ用いていただきたいと思います。クリスチャンコモンズのコンテンツはクリエイティブコモンズ(CC)ライセンスで提供しているので、どなたにでも使っていただけます。

MEMO
創造科学から見た進化論の矛盾については、「ゴフェルトゥリー・プロダクション」というサイトで有益な情報が豊富に提供されています。まだの方は一度ご覧になることをおすすめします。

まとめ

すべての人に、神の存在を知るための一般啓示が被造物(自然)を通して与えられています。一般啓示に応答する人は、神のことをもっと知りたいという願いを抱くようになるので、特別啓示(聖書)にも耳を傾けるはずです。そのため、パウロは、異邦人にも与えられている一般啓示である天地創造の神から教え始めています。

現代では、天地創造の神を語るには、多くの場合、進化論という壁が立ちはだかっています。そのため、まずは伝道相手に進化論メガネをいったん外してもらう必要があります。個人的な体験から言うと、進化論的な世界観にひびが入るだけでも十分です。そうすれば、聖書が語っていることにも耳を傾けてみようと思い始めるというのが、個人的な実体験です。

参考文献

  • Arnold G. Fruchtenbaum, Ariel’s Bible Commentary: The Book of Acts (Ariel Ministries, 2020)
  • 中川健一「B-2-2 神の啓示と聖書の霊感」(ハーベスト聖書塾)
  • ルイス・フロイス著(松田毅一、川崎桃太訳)『完訳フロイス日本史①将軍義輝の最期および自由都市堺』(中央公論、2000年)

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