日本人に福音をどう伝えるか ― 聖書に記された唯一の異邦人向け伝道メッセージに学ぶ(2)どのように語りかけるか(使徒17:16~22)

Idealized reconstruction of the Areopagus (front) and the Acropolis, Leo von Klenze, 1846.

前回、パウロがアテネで語ったメッセージ(使徒17:22~31)は、聖書に記録された唯一の異邦人向け伝道メッセージだということを説明しました。今回は、当時のアテネの状況を振り返り、パウロがどういう状況で、どのようにメッセージを語り始めたのかを確認していきます。

聖書箇所:使徒17:16~22

16  さて、パウロはアテネで二人を待っていたが、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた。 17  それでパウロは、会堂ではユダヤ人たちや神を敬う人たちと論じ、広場ではそこに居合わせた人たちと毎日論じ合った。 
18  エピクロス派とストア派の哲学者たちも何人か、パウロと議論していたが、ある者たちは「このおしゃべりは、何が言いたいのか」と言い、ほかの者たちは「彼は他国の神々の宣伝者のようだ」と言った。パウロが、イエスと復活を宣べ伝えていたからである。 
19  そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが語っているその新しい教えがどんなものか、知ることができるでしょうか。 20  私たちには耳慣れないことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなことなのか、知りたいのです。」 
21  アテネ人も、そこに滞在する他国人もみな、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。 
22  パウロは、アレオパゴスの中央に立って言った。「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております。

偶像の町アテネ(使徒17:16~17)

アテネは当時偶像が多い町として有名で、「人間よりも偶像の方が多い」と言われていたほどでした。

古代ローマの博物学者、大プリニウス(紀元23年~79年)は、アテネには神殿にある公式の偶像だけで3,000体あり、ほかにも各家庭の玄関に置かれている偶像が数知れずあると語っています。こうした偶像神の中心には、パルテノン神殿に祀られているアテネの守護神、アテナがあります。

パウロは「町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた」とあります。そのため、パウロは真の神を伝えるために、会堂ではユダヤ人とユダヤ教への改宗者と論じ、広場ではギリシャ人や在留外国人と論じました。

MEMO
人の前で信仰について論じ合うという光景は日本ではなかなか見かけませんが、戦国時代の日本でも同様のことが行われていたようです(ルイス・フロイス『完訳フロイス日本史』参照)。

エピクロス派とストア派(使徒17:18a)

パウロの宣教を聞いていた中に、エピクロス派とストア派という哲学者のグループがいました。

エピクロス派

エピクロス派は、エピクロス(紀元前341~270年)が始めた哲学集団で、通常「快楽主義者」と呼ばれています。ただ、この呼称は少し誤解を与えます。その主張は、自然で必要な欲求だけを求めることで、「アタラクシア(平静な心)」に至るというものです。アタラクシアは現実世界のわずらわしさから解放された状態で、仏教で言う悟りと似ています。

エピクロス派は、世界はすべて原子の組み合わせで成り立っているという物質主義的な世界観を持っていました。人間の魂も肉体も原子でできているという考えです。死後の世界はないという考えなので、今を生きることに集中するように教えられていました。エピクロスは死について次のように教えています。

死は私たちにとって何でもない。私たちが存在するとき、死は存在しない。死が存在するとき、私たちは存在しない。すべての感覚と意識は死とともに終わり、したがって死には喜びも痛みもない。死に対する恐怖は、死後も意識があると信じるから生じるものだ。

“Death is nothing to us. When we exist, death is not; and when death exists, we are not. All sensation and consciousness ends with death and therefore in death there is neither pleasure nor pain. The fear of death arises from the belief that in death, there is awareness.”1

エピクロス派は、神々の存在を認めてはいますが、神も原子の組み合わせで成り立っているとします。また、神々は人間に関心を持ったり干渉したりしないと考えるので、事実上の無神論と言えます。物質主義的な世界観は近代以降のものと思われがちですが、古代から物質主義的な世界観はあったことがわかります。

現代に生きる日本人も、エピクロス的な世界観や死生観を持っている人は多いのではないでしょうか。私も大学生の頃はそうでした。死ねばすべてが終わり、無になると考えていました。パウロが語りかけていた相手には、そういう無神論者もいたということです。

ストア派

ストア派はゼノン(紀元前334~262年)が創始者で、「禁欲主義」で知られています。

エピクロス派と同じく、ストア派も物質主義的な世界観を持っており、魂と体は一体であると教えます。徳のある生き方が幸せになるための条件とし、理性に従って生きることが自然と調和した徳のある生き方であると教えます。

ストア派は、何事にも動じない心のあり方「アパテイア」を目指します。このアパテイアには、感情(パトス)を理性(ロゴス)で制御することで到達します。これも仏教の悟りに似ています。

神は自然に宿り、自然は神とする汎神論者でもあります。日本で言うと天台宗の「一切衆生悉有仏性」の思想に近いと言えるかもしれません。一切衆生悉有仏性とは、生きとし生けるものは、すべて仏陀になる可能性(仏性)をもっており、すべて悟りうるという仏教の思想です。天台宗では、草木などの精神性をもたないものにまで仏性があるとするので、汎神論に近い思想です。ストア派も、日本人の思想と共通するものがあるように思います。

このように見てくると、ギリシャ人と日本人は文化的な異邦人として共通点が多いと感じます。そのため、パウロのメッセージを日本に適用することは適切だと思われます。

アレオパゴスの役割(使徒17:18b~21)

パウロが連れて行かれた「アレオパゴス」は、アテネの裁判所や議会のような機能を果たしていました。もう一つ、アレオパゴスが長年担っていた役割は、新しい神が宣べ伝えられた時に、アテネの神々に追加するかどうかを審査することでした。パウロがアレオパゴスに連れてこられたのは、パウロが宣べ伝えているイエスを新しい神として受け入れるかを審査するためであっただろうということが、使徒17:18b~19aのやり取りからわかります。

18 …ほかの者たちは「彼は他国の神々の宣伝者のようだ」と言った。パウロが、イエスと復活を宣べ伝えていたからである。 19 そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。…

ケンブリッジ大学のギリシャ・ローマ世界初期キリスト教研究所所長のブルース・ウィンターは、次のように語っています。

アレオパゴス評議会の長年にわたる任務のひとつは、新しい神が存在すると主張する宣教師の提出する証拠を審査することであった。この役割はローマ時代まで続いた。評議会が納得すれば、その神または女神はパルテノン神殿に受け入れられる。その神々のために専用の神殿が建てられ、毎年の祝祭日が設けられ、アテネ人の宗教暦に組み込まれるのである。

One of the long-established tasks of the Council of the Areopagites was to examine the proofs that a herald might offer in support of his claim that a new deity existed. That role continued into the Roman period. If the Council were so persuaded, then the god or goddess would be admitted to the Parthenon. A dedicated temple would be built to the divinity, an annual feast day endowed and included in the Athenians’ religious calendar.2

実際に、哲学者のソクラテス(紀元前470年頃~紀元前399年)も、アレオパゴスで「新しい神を導入した」という容疑をかけられて裁判を受けています。ソクラテスの同時代人であるクセノフォンは、ソクラテスは次の容疑で告発されたと言っています。

ソークラテースは国家の認める神々を信奉せず、かつまた新しい神格を輸入して罪科を犯している。また青年を腐敗せしめて罪科を犯している。
― クセノフォーン(佐々木理訳)『ソークラテースの思い出』(岩波文庫、1953年)p.21(出典:世界史の窓「ソクラテス」)

ただ、パウロの時代のアテネはローマの支配下に置かれていたため、アレオパゴスの裁判所や議会としての機能は制限されていたようです。そのため、使徒17:19b~21を見てもわかるように、パウロに対する態度は容疑者に対するものではありません。

19「あなたが語っているその新しい教えがどんなものか、知ることができるでしょうか。 20  私たちには耳慣れないことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなことなのか、知りたいのです。」 
21  アテネ人も、そこに滞在する他国人もみな、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。 

パウロのメッセージ(使徒17:22以降)

22節から、ついにパウロのメッセージが始まります。このメッセージ全体で注目すべき点は、パウロは聖書を一切引用していないという点です。ユダヤ人やユダヤ教への改宗者とは違い、一般の異邦人は聖書を知らない上、聖書の権威を認めてもいないためです。パウロは、相手に理解しやすい言葉を使って語りかけています。これはパウロ自身が1コリント9:20~22で語っている原則に従ったものと考えられます。

20  ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人たちには──私自身は律法の下にはいませんが──律法の下にある者のようになりました。律法の下にある人たちを獲得するためです。 21  律法を持たない人たちには──私自身は神の律法を持たない者ではなく、キリストの律法を守る者ですが──律法を持たない者のようになりました。律法を持たない人たちを獲得するためです。 22  弱い人たちには、弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。 

「律法を持たない人たちには…律法を持たない者のようになりました。律法を持たない人たちを獲得するためです」(1コリント9:21)とあるように、パウロは聖書を知らない人には、相手の文化でわかる言葉で語りかけています。

「宗教心にあつい方々」(22節)

パウロは、偶像礼拝に対する怒りを覚えていましたが(使徒17:16)、怒りを相手にぶつけてはいません。「人の怒りは神の義を実現しない」(ヤコブ1:20)というみことばの実践をパウロの対応に見ることができます。

ここでパウロは逆にアテネの人々に「宗教心にあつい方々」と呼びかけています。こう聞くと、パウロは偶像礼拝に対して怒っていたのに、おべっかを言っているように思えますが、そうではありません。

「宗教心にあつい」の原語(ギリシャ語)は「デイシダイモネステロス」です。この言葉は、「デイド(恐れる)」+「ダイモン(神々、悪霊)」+「ステレオス(固く)」が組み合わせられた複合語です。文字どおりに訳すと「悪霊や神々を恐れる」という意味になります。良い意味に取ると「宗教心にあつい」となりますが、悪い意味になると「迷信深い」となります。パウロはここで、どちらとも取れる絶妙な言葉遣いをしていることがわかります。

宗教心に訴える

パウロはアテネ人に「宗教心にあつい方々」と語りかけています。先ほど見たように、聴衆の中には物質主義的な世界観を持つエピクロス派のような人々もいましたが、あえてパウロはアテネ人の宗教心に訴えています。人には永遠を思う心が神から与えられているので、この世を超越した存在を求める宗教心があるためです。伝道者の書3:11では次のように言われています。

11  神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。 

永遠を思う心はすべての人に与えられています。物質主義的な世界観を持つ無神論者であっても、それは変わりません。本人には自覚がなくても、人の心は自分という存在を超えた永遠の存在を求めています。苦しいこと、つらいことを体験したり見聞きしたりすると「神がおられるなら、なぜこのような理不尽なことがまかり通るのか」と憤るのも、永遠に生き、すべてをつかさどっている神がいるはずだという思いが心にあるからです。人間が本当に進化によって物質から自然発生したのであれば、目に見えない永遠の存在を思う心はないはずです。

日本への適用

「無宗教」の日本人

2012年のロイター通信の記事では、日本では人口の半数以上(7200万人)が無宗教であると言われています3。NHKが実施した2018年のアンケート調査でも、信仰心が「ある」と回答した日本人は26%にとどまり、信仰心が「ない」と回答した割合は52%に達しています4

「無宗教」という仮面の下で

ただ、こうした日本人の自己認識とは裏腹に、日本人は宗教的な行事を大事にしている民族です。日本人の多くは正月になると初詣に行き、お盆になると墓参りに行って墓の前で手を合わせます。日本のように定期的な墓参りの習慣がある国は少ないのではないかと思います。また、子どもの七五三には神社に参り、結婚する時はキリスト教式で式を挙げ、葬儀は仏教式で執り行います。これは節操がないと言えばそうですが、人生の節目で宗教心をいかんなく発揮していると言うこともできます。

また、自分は無宗教で、信仰心がないと考える人が半数を超える日本人でも、宗教心と言える以下のような性質があるという調査結果が報告されています。

  • 「バチ」を信じる ― 読売新聞の調査によると、自分勝手なことをしたり、残酷なことをしたりする人に「バチ」があたるということが「ある」と思う人は76%に上り、「ない」の23%を大きく上回っている5。しかも、バチがあたることが「ある」と思う人は1964年に実施された同様の調査では41%であり、大幅に増加している。バチがあると信じているということは、バチを与える高次の存在、道徳的な審判者がいるという認識を持っているということである。
  • 祈ったことがある ― NHKが2009年に実施したアンケート調査によると、「自分が何か非常に困った問題にぶつかったとき,神や仏に祈ったことはあるか」という質問に対して、「祈ったことがある」という人が63%を占め、「祈ったことがない」の37%を大きく上回っている。さらに、「宗教を信仰していない」人でも「祈ったことがある」人は54%で、「祈ったことがない」の46%を上回っている6。「苦しいときの神頼み」という言葉があるが、危機に陥った場合に祈るということは、人知を越えた存在がおられるという信仰があることを意味している。
  • 死後の世界を信じる ― 同じNHKの調査(2009年) で、「死後の世界」があると信じる人の割合が増加していることも報告されている6。1998年の同様の調査と比較して、「死後の世界」を信じると回答した人の割合が37%から44%に、「天国」を信じる人は31%から36%に、「地獄」を信じる人は26%から30%にいずれも増加している。また、年配者よりも若者の方が死後の世界が「ある」と信じる人が多いという調査結果も出ている(下図参照)。

NHK調査結果「死後の世界」ある.png (27.2 kB)

このように見てくると、普段は「無宗教」を自認している日本人でも、宗教的な活動をしたり、宗教心と言えるものを持っていたりすることがわかります。先ほど引用した「神はまた、人の心に永遠を与えられた」(伝道者3:11)という言葉にもあるとおり、人は永遠なる方の存在や、人の霊が永遠に存在し続けることを本能的に知っているのです。

「無宗教」の仮面を外す

日本人の「無宗教」は、西洋の「無神論」とは少し違うように思います。人知を越えた存在がおられるという宗教心がありつつも、特定の宗教の教えを信じているわけではないという意味での「無宗教」です。そのため、初詣にしても、危機に陥った時に祈る祈りでも、誰に祈っているのかわからずに祈っているということがあります。また、日本人の宗教心は、祈りや誓いの対象を理解していなくても発揮されるため、結婚式は教会で、葬式は仏教で、という日本人特有の習慣が存在しているのだと考えられます。

「無宗教」というのは、日本人のかぶっている「仮面」です。仮面の下には、人知をはるかに越えた存在を感覚的に知っている「宗教心」が眠っています。戦前の国家神道の強制や、オウム真理教の地下鉄サリン事件など、宗教というものに対してネガティブな印象を与える歴史的事件によって、多くの日本人は「宗教」と呼ばれるものには一歩距離を置いています。日本にはキリスト教に対する迫害の歴史もあります。しかし、仮面の奥にある宗教心に向かって、この世界には空想上の神ではない、真の神がおられるという聖書の真理を語る必要があります。

日本人の「誰に祈っているのかわからずに祈る」という習慣は、古代アテネにもあったことでした。それが、パウロが語るメッセージの次のテーマとなります。この点については次の記事で取り上げます。

参考文献

脚注

  1. Stoicism & Death: Facing Fears of Mortality with Stoic Beliefs

  2. Bruce W. Winter, “Introducing the Athenians to God: Paul’s failed apologetic in Acts 17?,” thermelios

  3. 『無宗教』が世界の第3勢力、日本では人口の半数占める=調査」(ロイター通信、2012年12月19日)

  4. 小林利行「日本人で宗教を信仰している人は何%? 増えてるの減ってるの?」(NHK文研ブログ、2019年5月24日)

  5. 自分勝手や残酷なことして「バチがあたる」…信じる人76%、半世紀前より割合高く」(読売新聞、2020年5月29日)

  6. “宗教的なもの”にひかれる日本人」『放送研究と調査』(NHK文化放送研究所、2009年5月) 2

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