ヘブルルーツ運動とは ― クリスチャンはモーセの律法に従う必要があるか

いちじくの木

筆者は、ハーベスト・タイムの中川健一牧師やアーノルド・フルクテンバウム博士を通して、ヘブル(ユダヤ)的視点で聖書を学ぶ祝福を受けてきた。しかし、近年米国を中心に広がっているヘブルルーツ運動(Hebrew Roots Movement)は、同じ「ヘブル」という言葉を使っていても、そうしたヘブル的視点で聖書を学ぶという聖書研究の姿勢とは違う異質な運動である。この運動と同様の主張を行う団体は日本にも存在しているようなので、注意が必要である。

今回は、ヘブルルーツ運動とは何か、またどのような問題があるかを見ていく。

MEMO
ヘブルルーツ運動については、中川健一牧師が動画「クリスチャンはトーラーを守るべきですか【3分でわかる!聖書】」(聖書入門.com)でいくつか重要な指摘をされている。ご覧になることをお勧めする。

ヘブルルーツ運動とは

ヘブルルーツ運動とは何か。Wikipediaに記載されている定義と、ヘブルルーツ運動の当事者による定義を見ていく。

Wikipediaの定義

ヘブルルーツ運動(HRM)は、律法の遵守を主張する混交宗教的な運動であり、この運動の人々がヘブライ語で「イェシュア」と呼ぶイエスをメシアであると信じている。この運動では、モーセの律法はイエスによって廃棄されたわけではなく、イエスの信者にとって今でも有効であるという信仰内容を強調し、広めている。HRMはモーセの律法が今も有効であると信じているため、7日目の安息日、聖書に記されている祝祭日、ユダヤ教の食物規定、割礼を守ることを主張している。また、HRM信者の中には、ツィツィートなどのユダヤ教の宗教的アイテムを身につける人もいる。ただし、HRM信者はユダヤ教に従うわけでも、タルムードを受け入れているわけでもない。

The Hebrew Roots Movement (HRM) is a syncretic religious movement that advocates adherence to the Torah and believe that Jesus, whom they often refer to by the Hebrew name Yeshua, is the Messiah. The movement emphasizes and promotes the belief that the Law of Moses was not abolished by Jesus and is, therefore, still in effect for his followers. Because HRM believes the Mosaic law is still active, it advocates the keeping of the seventh-day Sabbath; biblical feasts; laws of Kashrut; and circumcision. Some HRM followers also choose to wear tzitzit and other Jewish religious items. However, HRM followers do not follow Judaism or embrace the Talmud. 1

ここで重要なのは、ヘブルルーツ運動の「モーセの律法はイエスによって廃棄されたわけではなく、イエスの信者にとって今でも有効であるという信仰内容を強調し、広めている」という主張である。そのため、信仰生活では「7日目の安息日、聖書に記されている祝祭日、ユダヤ教の食物規定」が重要になり、割礼が義務付けられる。

ヘブルルーツ運動自身の定義

ヘブルルーツ運動を推進している団体の一つが運営しているウェブサイトに「Hebrew Roots of Christianity」がある。この記事では、このサイトの情報を元に考察を進めていく。ヘブルルーツ運動は草の根運動で、統轄する団体があるわけではない。そのため、各団体によって主張が少し違うかもしれない。しかし、ヘブルルーツ運動の主張として掲載されている内容は、当事者の主張として重要であり、最大公約数的な考え方を知ることができる。以下が同サイトに掲載されているヘブルルーツ運動の定義である。

ヘブルルーツ運動とは、メシア、初代教会、使徒たちが教えた紀元1世紀の信仰、信条、聖書理解の原点に立ち返ろうとするクリスチャンたちによって、世界中で起こっている草の根的な霊的覚醒の総称である。 ヘブルルーツは教派や教団ではなく、可能な限りイエス(イェシュア)にならおうとする考え方である。

The Hebrew Roots Movement is a general term used for an emerging grassroots spiritual awakening taking place worldwide with Christians returning to the original first century faith, beliefs, and understanding of the Scriptures as taught by the Messiah, Early Church and Apostles. Hebrew Roots is not a denomination or church, but rather a mindset seeking to emulate Jesus (Y’shua) as much as possible.2

一つ重要な点は、ヘブルルーツ運動は、ユダヤ人も関わってはいるが、基本的に異邦人が中心の運動で、ユダヤ人が中心となっているメシアニックジュー運動とは違うという点である。これはヘブルルーツ運動の上記サイトでも明言されている。メシアニックジュー運動では、ユダヤ人であるメシアニックジューはモーセの律法を守るべきかという点が問題になるが、ヘブルルーツ運動では、ユダヤ人だけではなく、異邦人(ユダヤ人以外の民族)もモーセの律法を守る必要があると主張される。

ヘブルルーツ運動の主張

以下は、先述のサイトに掲載されているヘブルルーツ運動の教理的内容である。

 第一に、私たちはナザレのイエス(イェシュア)をイスラエルのメシアとして信じ、イエスがイスラエルの神であることを信じる。イエスは私たちの主であり、救い主であり、王である。イエスは世の罪のために十字架上で死なれ、三日目に死者の中から復活された。イエス(イェシュア)は私たちの模範となる生涯を送られたので、イエスは私たちが生活の中で、考えの中で、人と話す中で、愛することにおいて、従うべき完璧なお手本である。
 第二に、神はご自分を愛するすべての人に、ご自分の戒め(旧約聖書と新約聖書)に従うよう命じておられると信じる。[1ヨハネ5:3|ヨハネ14:15、21|マタイ5:19]。
 第三に、私たちの救いはイエス(イェシュア)を信じる信仰によってもたらされることを明確に理解している。 私たちは、神の命令や戒めを守るのは救われるためではなく、救われたがゆえに、神を愛するがゆえに、それを行おうとするのである。救われた者が神の命令に違反し続けることはない。もしイエス(イェシュア)の弟子だと言いながら神の命令に違反し続けているなら、その人は嘘つきだとヨハネは語っている[1ヨハネ3:3~7]。

First and foremost we believe in Jesus (Y’shua) of Nazareth as the Messiah of Israel and that he is the God of Israel. He is our Lord, Savior, and King. He died on the cross for the sins of the world and was resurrected from the dead on the third day. Jesus (Y’shua) lived his life as our model, so we have a perfect example to follow in living, thinking, speaking, and loving.
Second, we believe that God commands all who love him to obey his commandments (Old and New Testaments).
[1 John 5:3 | John 14:15,21 NLT | Matthew 5:19 NLT] Third, we clearly recognize that our salvation comes by faith in Jesus (Y’shua). We do not obey God’s Laws and Commandments TO BE SAVED, we seek to do them because we love God, BECAUSE WE ARE SAVED. No one who is saved keeps on violating the Laws of God. If they say they are a disciple of Jesus (Y’shua) and continue violating God’s Laws, John says they are a liar [1 John 3:3-7].3

一つの目の「イエス(イェシュア)がメシアである」という主張についてはもちろん問題はない。

問題は、二つ目の「旧約聖書と新約聖書の両方の命令に従う必要がある」という主張である。つまり、ヘブルルーツ運動は、クリスチャンは新約聖書だけでなく、旧約聖書の戒め、モーセの律法も守る必要があると主張している。また、ここには明記されていないが、ユダヤ人だけでなく、異邦人(ユダヤ人ではない人)も等しく従う必要があると主張する。

三つ目の「救われるために神の命令や戒めを守るのではなく、救われたがゆえに、神を愛するがゆえに、それを行おうとする」という主張については、そのとおりである。ただ、クリスチャンは神のどの命令や戒めに従うかという点が問題となる。この点については長くなるので、別の記事で考察したいと思う。

ヘブルルーツ運動の問題点

ヘブルルーツ運動は、ユダヤ人だけでなく、異邦人も等しくモーセの律法を守る必要があると主張している。しかし、聖書ではそもそも異邦人はモーセの律法を守るようにとは命じられていない。この記事では、この点に焦点を絞ってヘブルルーツ運動の問題点を指摘していく。

MEMO
ユダヤ人か異邦人かに関わりなく、モーセの律法自体が今も有効かどうかという問いも別に立てる必要がある。この点については、記事「モーセの律法は今も有効か」をご参照いただきたい。
本稿では、異邦人がモーセの律法を守る必要があるかという点に的を絞って論じることにする。

1. 初代教会は異邦人に律法を守るようにとは命じなかった

第一の問題点は、ヘブルルーツ運動が立ち返ろうとする初代教会は、異邦人にモーセの律法を守るように命じなかったということである。

使徒15:1~3では、異邦人伝道を行っていたパウロとバルナバと、異邦人にモーセの律法を守るように求めるユダヤ人との間で論争が起こっている。そこで、パウロとバルナバは使徒たちと話し合うために、エルサレムに上ることになる。使徒15:4~5では、パウロとバルナバがエルサレムに到着した場面が次のように記されている。

4  エルサレムに着くと、彼らは教会の人々と使徒たちと長老たちに迎えられた。それで、神が彼らとともにいて行われたことをすべて報告した。 5 ところが、パリサイ派の者で信者になった人たちが立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべきである」と言った。

「異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべきである」とは、ヘブルルーツ運動と同じ主張である。しかし、このように主張するユダヤ人信者に対して、使徒ペテロは使徒15:10~11で次のように語っている。

10 ……なぜ今あなたがたは、私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか。 11 私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。

ペテロは、モーセの律法を「私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびき」と表現している。ペテロは、自分もモーセの律法を負いきれなかったのだとここで告白している。そして、ヤコブが使徒を代表して裁定を下し(使徒15:19~21)、裁定結果を諸教会に次のように書き送っている(使徒15:24、28~29)。

24  私たちは何も指示していないのに、私たちの中のある者たちが出て行って、いろいろなことを言ってあなたがたを混乱させ、あなたがたの心を動揺させたと聞きました。 …… 28 聖霊と私たちは、次の必要なことのほかには、あなたがたに、それ以上のどんな重荷も負わせないことを決めました。 29 すなわち、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、淫らな行いを避けることです。これらを避けていれば、それで結構です。祝福を祈ります。

初代教会の使徒たちは、「偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、淫らな行い」という4つのことを避けてさえいれば、モーセの律法は守る必要がないと明言した。一方、異邦人にモーセの律法を守るように求めていた人々については、「私たちは何も指示していないのに、私たちの中のある者たちが出て行って、いろいろなことを言ってあなたがたを混乱させ、あなたがたの心を動揺させた」と苦言を呈している。この苦言は、現在のヘブルルーツ運動にもそのまま当てはまる。

MEMO
異邦人が避けるように命じられた4つの禁止事項は、モーセの律法の中で、ユダヤ人だけでなく、異邦人に対しても語られている命令である。モーセの律法で、いけにえを主ではなく異教の神に供えること(レビ17:8~9)、血を食べること(レビ17:10~14。創世記9:4も参照)、性的不道徳(レビ18:6~23、26)は、在留異邦人に対しても禁じられている。「絞め殺されたもの」の禁止は、血を抜かないまま肉を食することで、血を食べることの禁止とつながっている。これらの命令は、モーセの律法が一部今も有効というよりも、人類に普遍的な問題なので新約時代にも命じられていると考えられる。

以上の決定は使徒21:25でも再度確認されており、初代教会のポリシーとして確立していたことがわかる。

パウロは、1コリント7:18で次のように語っている。

18  召されたとき割礼を受けていたのなら、その跡をなくそうとしてはいけません。また、召されたとき割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。 

パウロは、元々割礼を受けていなかった異邦人の信者に「割礼を受けてはいけません」と命じている。ヘブルルーツ運動とは反対の教えである。ヘブルルーツ運動が初代教会のルーツに戻るように教えるなら、こうした使徒の教えに立ち返る必要がある。

2. モーセの律法は神とイスラエルとの間の契約である

もう一つ念頭に置いておく必要がある点は、モーセの律法を含むシナイ契約は、神がイスラエル民族に与えられたものだということである。出エジプト19:3~6には次のように記されている。

3  モーセが神のみもとに上って行くと、【主】が山から彼を呼んで言われた。「あなたは、こうヤコブの家に言い、イスラエルの子らに告げよ。 4 『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。 5 今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。 6 あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。』これが、イスラエルの子らにあなたが語るべきことばである。」 

ここで神はモーセに「ヤコブの家に言い、イスラエルの子らに告げよ」と語りかけている。また、「あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる」と神が語られているように、律法が与えられたのはすべての民族に対してではなく、イスラエル民族に対してであることがわかる。

モーセはこの点を何度も強調していて、申命記5:2~3では次のように語っている。

2  私たちの神、【主】はホレブで私たちと契約を結ばれた。 
3  【主】はこの契約を私たちの先祖と結ばれたのではなく、今日ここに生きている私たち一人ひとりと結ばれたのである。 

ホレブというのはシナイ山の別名で、「契約」というのはシナイ契約のことである。このシナイ契約にモーセの律法が含まれている。この契約は、神が出エジプト時代のイスラエル人と結ばれたもので、イスラエル人の父祖とも結ばれていないという。ましてや異邦人がシナイ契約の当事者であるはずがない。

MEMO
シナイ契約とは何かについては、中川健一「ディスペンセーショナリズムとは何か(5)」(聖書入門.com)を参照されたい。

この点は、ローマ9:4でも確認することができる。

4  彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものです。 

ここで「律法の授与」は、イスラエルに対するものであることが明言されている。モーセの律法はイスラエル民族に与えられたもので、私たち異邦人にはそもそも適用されないという点を理解しておくことが重要である。

置換神学の影響

以上のように、モーセの律法が異邦人に適用されないことは聖書を読むと明らかなのだが、なぜヘブルルーツ運動は異邦人にも適用されると主張するのだろうか。このアクロバティックな聖書解釈の鍵を握るのが「置換神学」である。置換神学は「神の計画の中でイスラエルは教会に置き換わった」と教える間違った教えである。

宣教団体アンサーズ・イン・ジェネシスのティム・チャフィー博士は、モーセの律法はユダヤ人と結ばれた契約で、異邦人には適用されないという主張に対するヘブルルーツ運動の反論を次のように記している。

へブルルーツ運動の提唱者の多くは、そのような主張に対し、イエスを信じる者は、たとえユダヤ人の血筋でなくてもユダヤ人であると反論する。そのため、クリスチャンはモーセの律法の下にあると主張するのである。

Many HRM proponents respond to such claims by arguing that believers in Jesus are Jewish, even if they have no known Jewish heritage or ethnicity. Therefore, they argue that Christians are under the Mosaic law. 4

ヘブルルーツ運動は、ユダヤ的なルーツを強調しているようでいて、実のところは「教会がユダヤ人に置き換わり、もはや神の計画の中でユダヤ人が果たす特別な役割はない」と教える置換神学と同じ罠にはまっている。ユダヤ人とは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫であり、信仰によってなることができるものではない。

このように、ヘブルルーツ運動は置換神学の影響を強く受けている。ヘブル的ルーツに立ち返ろうと言いつつ、キリスト教信仰のユダヤ性を否定した置換神学に基づいて神学を構築しているのは皮肉なことである。この点は、メシアニックジュー運動と大きく違う点である。

また、この問題を通して置換神学の影響の大きさを知ることができる。ユダヤ的なルーツを強調つつも、ヘブルルーツ運動は結局のところ、反ユダヤ的な置換神学に絡め取られてしまっている。置換神学がキリスト教信仰に与える広範な悪影響については、別の機会に論じたい。

ヘブルルーツ運動は現代のユダヤ主義者か

ヘブルルーツ運動は、初代教会時代のユダヤ主義者と似ている。ユダヤ主義者は、クリスチャンが神と正しい関係を持つためには、モーセの律法に従わなければならないと教えた。「ユダヤ主義者(Judaizer)」という言葉は、次のガラテヤ2:14に由来している。 

14  彼らが福音の真理に向かってまっすぐに歩んでいないのを見て、私は皆の面前でケファにこう言いました。「あなた自身、ユダヤ人でありながら、ユダヤ人ではなく異邦人のように生活しているのならば、どうして異邦人に、ユダヤ人のように生活することを強いるのですか。」 

この「ユダヤ人のように生活する」という部分の原語(ギリシャ語)は「ユダイゾー」という単語で、英語にすると「Judaizer」となる。日本語で直訳すると「ユダヤ化する人」となるが、ここでは仮に「ユダヤ主義者」と訳しておく。「割礼派」(ガラテヤ2:12)と呼ばれることもある。

ユダヤ主義者にはペテロやバルナバも影響された(ガラテヤ2:12~13)ので、今日の教会が影響されても不思議ではない。しかし、パウロは当時のユダヤ主義者を「偽兄弟」と呼び、ガラテヤ2:4で次のように語っている。

4 忍び込んだ偽兄弟たちがいたのに、強いられるということはありませんでした。彼らは私たちを奴隷にしようとして、キリスト・イエスにあって私たちが持っている自由を狙って、忍び込んでいたのです。

ヘブルルーツ運動は「私たちの救いはイエス(イェシュア)を信じる信仰によってもたらされる」と主張しつつも、「救われた者が神の命令に違反し続けることはない。もしイエス(イェシュア)の弟子だと言いながら神の命令に違反し続けているなら、その人は嘘つきだとヨハネは語っている」とも語っている。ここでいう「神の命令」はモーセの律法を含むので、モーセの律法に違反し続ける人は「嘘つき」、つまり救われていないという主張につながる。実際に、ヘブルルーツ運動ではそのような論法で人の救いが否定されることもあるようだ。クリスチャンはキリストにある自由を失うことがないように、みことばに根ざす必要がある。

結論

日本人も含め、異邦人はモーセの律法を守るようには教えられていない。クリスチャンはモーセの律法を守る義務があると教えるヘブルルーツ運動は、律法主義に陥らせ、クリスチャンからキリストにある自由を奪う可能性がある。
 

参考資料

写真: Henri Ligsay (CC BY 4.0 Deed)

  1. Hebrew Roots,” Hebrew Roots of Christianity

  2. What Is and Is Not Hebrew Roots,” Hebrew Roots of Christianity

  3. What Is and Is Not Hebrew Roots,” Hebrew Roots of Christianity

  4. Dr. Tim Chaffey, “Dangers of the Hebrew Roots Movement,” Answers In Genesis

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